私の前世を鬼が殺した

湖城マコト

第1話 香坂希乃

「本当に入ってもいいのかな」

「何だよ、良太りょうた。今更怖気づいたのか?」


 夏休みを目前の七月中旬。日曜日の昼下がり、尾荷尾おにび市内の私立弓形学園中等部に通う二年生の男子生徒三人が、市北部の低山――赫美山あかみやまの中腹にある廃墟の入口に立っていた。眼鏡をかけた良太りょうたは不安気に当たりを見渡しているが、キャップを被った大柄な龍一りゅういちは、煽るように良太の背中を叩いた。残る一人、小柄な海人かいとは興味津々といった様子で、無言で廃墟に見入っていた。


 この廃墟は平成初期まで、赫美山に面する私立弓形学園高等部の学生寮として使われていた木造二階建ての建物で、使われなくなってからすでに三十年以上の年月が経過している。山に伝わる怖い伝承も相まって、廃墟となった学生寮の雰囲気は抜群だ。その存在を聞きつけた龍一が度胸試しと称して、日曜日を利用して同級生三人を連れ出した。良太は体の大きな龍一には逆らえず、渋々ついてきただけだが、怖い話の類が大好きな海人はむしろ前のめりで参加していた。


 なお、この旧学生寮はもちろん、山全体が学園を運営する地元の名士、弓形ゆみなり家が所有、管理する土地であるため、許可なく立ち入ることは出来ない。

 

「バレたら絶対怒られるよ」

「バレやしないって。ここに来るまで誰にも会わなかっただろう」

「バレたらバレたで、謝ったら許してもらえるよ。僕たちまだ中学生だし」


 これがいけないことだというのは誰もが理解していた。だけど、一夏の冒険心と、若さと幼さの境界で、全てが許されてしまうと錯覚させてくる全能感。それらを自制することなんて出来なかった。


「わ、分かったよ。ここまで来たら僕も付き合う」


 二対一ではもうどうしようもない。これまで消極的だった良太も渋々従う。三人で肩を並べ、リーダー格の龍一が正面入り口の引き戸に手をかけたが。


「開かない。鍵がかかってやがる」


 苛立つ龍一とは対照的に、良太はホッとを息を撫でおろした。廃墟とはいえ、これだけ立派な建物だし、安全のために施錠されていても不思議ではない。流石の龍一も扉や窓を壊してまで侵入しようとは思わないだろうし、これで穏便に帰れるかもしれない。


「立派な寮だし、勝手口ぐらいあるよ。そっちも見てみよう」

「お、俺も同じことを考えてたところだ」


 思った以上に前のめりな海人の提案によって、寮の裏側に回ることになってしまった。威厳だけは維持しようと海人を追い抜く龍一を、良太も重い足取りで追いかける。どうせ勝手口も鍵がかかっているに決まっているのに。


「ラッキー。こっちは開いてるぞ」


 龍一が勝手口のドアノブを捻ると、扉は抵抗なく開いた。鍵が劣化して壊れていたのか、管理者が鍵をかけ忘れていたのか。いずれにせよ、良太にとってはアンラッキーな出来事だった。


「ほら、行くぞ良太」


 一歩を踏み出せずにいた良太の腕を掴み、龍一が強引に中に引き寄せた。好奇心に突き動かされた海人は、すでに寮内の探索に入っている。


「埃が溜まってる。しばらく誰も入っていなそうだね」


 埃っぽい廊下に、海人の足跡が残されていく。定期的に掃除などがされている様子はない。


「急に仕切るなよ。俺が先頭だ」


 度胸試しという名目上、龍一は是が非でも先頭を譲りたくないらしい。海人を押しのけて、再び先頭へと躍り出た。海人は好奇心で動き回っているだけだし、良太はそもそも消極的。比べる必要なんてないのに、龍一はあくまでも、自分を大きく見せよることに拘り続ける。


「何だよ。大したことねえじゃねえか。鬼も出ねえし」


 龍一は拍子抜けした様子で、食堂へと繋がる長い廊下を進んでいく。学生寮だから窓が多く、明るい時間帯なので太陽の光も存分に注ぎ込んでいる。そのため慣れてさえしまえば、不気味さはほとんど感じなかった。


 しかしこの勇み足の代償は、一生忘れられない恐怖体験となって、龍一たちの記憶に刻み込まれることとなる。


「えっ?」


 先頭の龍一が廊下の中頃まで進むと、足元から木材が割れるような乾いた音が響いた。次の瞬間。


「うわああああああああ!」


 龍一が足を踏み入れた地点の床が抜けて大きな穴となり、龍一の姿が絶叫と共に消えた。離れて後ろを歩いていた良太と海人は巻き込まれずに済んだが、驚きも束の間、龍一が消えた床の穴へと慌てて駈けよった。


「龍一くん。大丈夫か?」

「ああ、何とかな」


 海人が穴を覗き込むと、壊れた床の木片の上に尻餅をつく龍一の姿を確認することが出来た。幸い大きな怪我もなさそうだ。幸いにもここは一階なので、床下はそこまで深くはない。龍一がバランスを崩して尻餅をついたので穴に飲み込まれたように見えたが、実際には立てば体の半分が穴から出る程度の深さのようだ。


「くそっ! これだから古い建物は」


 そういう危険性も含めて立ち入り禁止なのに、龍一は反省するどころか不機嫌さを増すばかりであった。まさか、良太と海人の前でこんな醜態を晒すことになろうとは。


「何だ? 何かに触れたような?」


 龍一が立ち上がろうと底に手をついた瞬間、右手が何か、丸みを帯びたものに触れた感覚があった。何の気なしに、右手の方に視線を向けると。


「うわああああああああああ!」


 落下した時を遥かに上回る絶叫が龍一から飛び出した。何事かと思い、良太と海人も同じ方を見ると。


「ひっ! ひいいいいいい――」

「骨、人の骨だ……」


 良太は完全に腰を抜かしてしまい、流石の海人も唖然として、力なくその場で膝を折る。

 龍一の右手が触れたのは、白骨化した人間の左手であった。白骨死体は全身が残されており、弓形学園の制服である、夏服のセーラーを身にまとっていた。


 平穏な日常が流れていた尾荷尾市を、その日のうちに衝撃的なニュースが駆け巡った。十七年間間行方不明となっていた女子高校生が、現在は廃墟となっている旧学生寮の床下から、白骨化した遺体となって発見されたのだ。


 通報を受けた尾荷尾警察署は、殺人、死体遺棄の容疑を視野に捜査を開始。遺体の側にはスクールバックや生徒手帳も残されており、遺体の身元はすぐに特定された。被害者の名前は香坂こうさか希乃まれの。失踪当時は十七歳で、弓形学園高等部二年A組に在籍していた。


 夏休み中だった十七年前の七月三十日の午後、部活動を終え、校舎を出て以降の消息が不明で、唯一の肉親であった祖母、香坂こうさか菊代きくよから捜索願が出されていた。なお、香坂菊代は、香坂稀乃の失踪から三年後に、病気で亡くなっている。

 

 十七年間行方不明となっていた少女が、白骨死体となって発見された。このセンセーショナルな事件は連日ニュースで取り上げられ、一躍世間の関心事となった。滅多に大きな事件など起こらぬ、静かな地方都市である尾荷尾市には連日多くの取材陣が駆けつけ、報道は過熱していった。


 事件の概要も然ることながら、より注目を集めたのは香坂希乃の人物像だ。当時の関係者から提供された写真に写る彼女は、可憐であると同時にどこか憂いを帯び、見る者の心を掴んで離さない絶世の美少女であった。人柄も良く、優しく思いやりに溢れた少女だったと誰もが口を揃える。どうしてそんな香坂希乃が殺されなければいけなかったのか、世間には十七年越しの激しい怒りと疑念が生じた。同時に、十七年前の失踪当時に迅速に対処することは出来なかったのかと、警察関係者にも厳しい目が向けられている。


 世間の関心事ということもあり、尾荷尾警察も全力で捜査に当たっているが、最大の敵は十七年間の時の流れだ。有力だったはずの情報も、時の奔流の中に飲み込まれてしまい、新たな情報を得ることが難しい。事件解決の兆しは見られない。

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