第一章 急速解凍
JPO――正式には日本警察機構(Japan Police Organization)東京湾岸本部。
単にJPOまたは湾岸本部と呼ばれる日本最新の警察機関で、医療や情報、通信部門など複数のセクションから構成される。昨年9月に設立されて半年がたった。
その中枢機関として、事件の捜査を担当するのがマスターセクション。
マスターセクションは3つの隊から成っており、第3隊には主任捜査官椎名隼人(26)警視以下3名の捜査官と1名の秘書官が所属している。
1
配属から数日。
三朝の仕事は、挨拶まわりや新組織についての理解など、雑事だけで終わってしまった。
今日からはやっと捜査に加わることになる。
まずは事件の詳細をつかむことから始まった。
3月第2土曜日の明け方5時。
都内から車で数十分かかる郊外の河川敷で若い女性の遺体が発見された。付近住民が犬の散歩中に見つけ、通報している。
金曜日の夜、被害者は友達数人と都内の繁華街で飲んでいた。
途中、化粧室にたった彼女は、戻るなり突然「先、帰るね。悪いけど」と言い残して店を出て行った。
それ以後の彼女の足取りは知れず、数時間後の発見時――堅く冷たい遺体となってしまっていたというわけだ。
遺体には1本の大きなナイフが刺さっていた。木の柄も刃も大きく曲線を描いた、いかにも『アラビアンナイト』の山賊が使っていそうなナイフで、刺した傷口からはおびただしい量の血が地面にどす黒いシミを広げていた。
女性は血の中で体をくの字に曲げ、ぐったりとなったきり、そのまま息絶えたという様子だった。衣服はボロボロに切り裂かれ、体中にスリ傷やアザがあり、暴行を受けたのは見た目に明らかであった。
「これがそのナイフ」
3隊捜査員、長野幌(26)が三朝にビニール袋に入ったナイフを差し出した。ナイフには血がべっとりと付いたままだ。
2人は司令室のテーブルに向かい合う形で座っている。他のメンバーは捜査や会議に出かけていて、部屋にいるのは2人だけだった。
「番号が入ってるだろ? 製品番号かと思って調べたてみたけど、メーカー製じゃなかった。自分で作ったか、誰かが作って犯人に渡したものだろうな」
「じゃあ販売経路から割り出しなんてことは出来ないんですね」
「そうなるな」
幌はため息をついた。そしてためらうように少し間をあけ、次のビニール袋を取り出した。
三朝に見せるのはあんまり気が進まないという様子だった。
「それで、これが被害者が握っていた写真だ」
幌の表情は渋かった。不吉なものを感じた三朝は、神妙に受け取った。
中には写真が入っていた。三朝はその透明の袋からのぞく写真を見て息をのみ、言葉を失った。
「信じられないだろ? そんな写真を撮れる奴がいるんだ」
前髪をかきあげ、幌は苦々しく笑った。しかし三朝は笑えなかった。とてもそんな気にはなれなかった。眉をひそめ、信じられない思いで数枚の写真をゆっくり順番に見ていく。
写っていたのは被害者の女性が暴行を受けている場面だった。写真の中で被害者の女性は顔をゆがめ、涙を流して苦しんでいた。突きつけられた悪夢を呪い、また必至で拒否している。そんな情景が生々しく目に浮かんだ。心臓が突然わしづかみにされたような感覚に見舞われた。
なんなんだ、この写真は。誰が撮ったか知らないが、ひどすぎる。
そこには何の感情も存在していなかった。怒りや悲痛はもちろん、興奮も快楽もない。あるとすれば冷酷さ。例えようもない冷たさが写真を持つ手からじわじわと伝わってくるようで、三朝は気分が悪くなった。
青ざめた顔を見て幌が「大丈夫か?」と心配してくれたが、三朝は無理にうなずいて先を促した。
「このすみに黒い影が映ってるだろ?」
幌は三朝の持っている写真を指さした。正直言えば、まだじっくり写真を見る気分ではなかったが、三朝は我慢して写真に目を凝らした。
確かに黒い影が丸く浮かんでいる。どうも人間の頭に見えた。
「これ、犯人の頭ですか?」
三朝が幌を見る。幌はうなずき、三朝の手から写真を取った。
「こっちにも。こっちの写真にも。ぜんぶで3人の頭が写ってる。じつは司法解剖の結果でも被害者の体内から3人の男の精液が検出された。つまり、犯人は少なく見積もっても3人。他に写ってないヤツがいたら4人、もしくはそれ以上ってことになるけど……でも俺は少なくとも、写真を撮ったのはこの3人じゃないと思う」
幌は強い口調で断言した。と同時にタバコを1本、箱から出して火を付ける。
「どうしてですか?」
「三朝はこの写真、見てなにを感じた? なにが伝わってきた?」
幌は少し詰め寄り、三朝に人差し指を突きつけた。自分が持っている答えを三朝にも求めているようだ。
伝わってきたもの? 考えるまでもなく即答できる。
「ただ冷たい、気持ち悪いくらい何も感情がないようで……」
三朝が答えると、幌は大きくうなずいた。
「そうだ。なにも感情がない。ただ冷たさだけがある。おまえ、そんな人間に今まで会ったことあるか?」
幌の言わんとしていることが、三朝にも何となくわかってきた。
タバコを灰皿へ投げ捨て、言った。
「この3人には撮れない、この写真は。この写真を撮った奴は普通じゃない」
幌の意見に三朝は納得していた。空恐ろしい空気が2人の間に流れた。
つまり、今回の事件はおよそ人間らしくない冷たい、感情のない犯人が相手だ、ということになる。恐怖と屈辱のどん底で泣き叫ぶ女を、3人の男がよってたかって犯す場面でさえ、平然と、なんの感情を感じることもなくフィルムに収めることが出来る人間……。
2
「まだいたのか?」
背後から声がした。
振り返ってみると主任の椎名隼人がいた。
時刻は午後9時すぎ。幌が帰った後も三朝は1人で司令室に残り、捜査記録を読んで考え込んでいた。
隼人が三朝のとなりに座った。タバコを出して火を付ける。
その何気ない隼人の仕草を目を目で追い、三朝は思わずドキッとした。もう何度となく目にした仕草だった。そのドキドキが止まらなくなる。
隼人がとなりに座っている。それが不思議だった。離れていた1年は確かに存在するが、その事がまるで嘘に思えた。
「元気にしてたのか?」
煙を吐き、平然と隼人が言った。久々に2人きりになり、三朝がこんなに緊張しているというのに、彼はまったく動じていない様子だった。もうあの日のことなんか……そんな不安がのぞいた。
「俺がこっちに帰ってからも何度か見かけたけど、ゆっくり話す機会なんてなかったな」
隼人はそう言って苦笑いをし、タバコをくわえる。あの頃から1日に何十本も吸っていたが、ヘビースモーカーであることは今も変わってないらしい。
「あいかわらずですね、タバコ」
緊張している事を悟られたくないので、三朝は照れ隠しにわざと責めるようなニュアンスをこめて言った。
「やめたたくてもなぁ……やめられるもんならやめるよ」
隼人は言ったが本気じゃなさそうだ。「全然そう思ってないでしょ」と突っ込むと、大きく笑ってごまかした。
隼人の笑いが消えると、しばらく沈黙が訪れた。
三朝は下を向き、隼人はタバコをふかしていたが、お互いなにも言わなかった。いや、言えなかったというべきか。
別れから1年。接点はまったくと言っていいほどなかったが、ごくたまに顔を合わせたりする機会があった。そのたびに心の隅に引っかかるものを感じていた。
まだ好きなんだろうか……と。
別れ際、お互いに相手に対して、ごまかせないくらいの強い想いがあることを思い知った。
離れたくない――結局、心でそう思っただけだった。
実際にはお互いが口には出来ず、三朝は涙をこらえて無理に笑い、隼人はわざと軽口をたたき、平気な顔して別れの時をやり過ごした。
怖かったのだ。
お互いに立場というものがあった。駆け出しの三朝は、日本に帰らなければそこで刑事としての道は閉ざされてしまう。その道をあきらめてまで隼人のそばに残るという選択は、いくらなんでも出来なかった。
隼人は隼人で、半年間ずっと部下として面倒を見てきた三朝には、刑事として頑張って行って欲しかったし、そのためにちゃんと送り出してやらねばと思う気持ちがあった。
でもそうするなら、そこで2人は離れなければならなかった。
1度きりで終われるほど、弱い気持ちではなかった。一線を越えれば、そこから抜け出せないのは目に見えていた。かといって、広い陸地と海を隔ててまで気持ちを繋いでいけるほど、お互い強いとは思えなかった。相手を縛ることもしたくなかった。
だから踏み出さなかった。いや、踏み出せなかった。お互いの将来のために気持ちを封印したまま別れていた。
「帰ろう。もう遅い。送ってくよ」
隼人は沈黙を破ってタバコの火を消し、立ち上がった。三朝はもう少しファイルを見ていくと言ったが、隼人は「記録は明日見たって同じだ」と言って、強引に三朝を立たせた。
夜10時を少し回ったところ。
本部から5分も歩いていくと住宅街がある。ここに点在するマンションに隼人たち3隊のメンバーもそれぞれ住んでいる。三朝もその1つに部屋を借りた。
「静かなんですね。この辺りは」
「昼間も静かだっただろ? あの角を曲がると公園がある。騒がしいのはそこくらいだな。学校もこの近くにはないし」
隼人は角を指さした。そう言いながら歩く夜道は、ほの暗い街灯の明かりだけが灯っていて心許ない。通りには他に誰もいなかった。
隼人は背が高く、並んで歩くと三朝の目線がちょうど肩あたりに来る。黒い薄手のセーターの肩口が視界のすみに入って、どうしても意識してしまう。
「家、どこ?」
「こっちに曲がった先です」
「ああ、俺もこっち。ちなみに、他の3人はあっち」
三叉路になった道の左右を、隼人はそれぞれ指さした。
「……偶然ですね、なんか」
三朝が笑う。
「この先って、あのレンガ塀のでっかいマンションか? ひょっとして」
「そうです。勝手に契約したんです、伯父が。でも家賃は自分が払うんですよ? 当然ですけど。もっと安いところに住みたかったのに」
三朝はぼやき、不満な顔をした。
「家賃いくら?」
「…………円です」
「はぁ、そりゃ大変だな」
三朝が耳打ちすると、隼人は大きくため息をついた。三朝は「でしょー」と笑った。
「先輩は? この先はまだ行ったことないですけど」
「お前のとこから歩いてすぐ」
隼人が指さす。その先は闇に続いていて、遠くまでは見えない。
なぜか、どちらからともなく黙り込んでしまう。がんばって会話を続けないと、さっきから沈黙がスキをついては訪れる。でもそれは、互いに何かを意識している事の現れだ。
そう――実際には1年後の今、こうして一緒にいる。
お互い苦しい思いをして別れた。
いま相手の気持ちは、どうなっている?
3
「ここだな?」
「はい」
三朝のマンションの前につき、2人は立ち止まった。また沈黙してしまう。
「じゃあ……あの、気を付けて」
静寂に堪えかねて三朝が言った。隼人がうなずくと、三朝はマンションのエントランスに足を向けた。
「三朝」
不意に隼人が呼び止める。
三朝が振り向くと、ぶつかりそうなくらい近くに隼人が立っていた。
驚いて隼人を見上げようとしたが、目が合う間もなく、そのままぎゅっと抱き寄せられた。
「…………」
一瞬かたくなったが、すぐに力は抜けた。三朝もためらいがちに隼人の背中に手を回す。気づかれるのが恥ずかしいくらい鼓動が早い。意識して触れ合うのは初めてだった。
そうだ。この瞬間が恐くて逃げた。この瞬間を迎えたら、先が見えない不安と戦わなければいけなかったから。
隼人が体をそっと離し、三朝を見下ろす。
暗くてはっきりとは見えなかったが、確かに2人は見つめ合った。やがて隼人は身をかがめ、三朝は目を閉じ、そうしてどちらからともなく唇を重ねた。
ほんの一瞬、それでも焼き付いたように感触は唇に強烈に残った。
「……じゃあ、明日な」
隼人が言うと、三朝はうなずいた。声は出なかった。
4
三朝がJPOに移動して2週間ほどたったある日。
JPO本部長の山本に、警視総監佐木沢から電話が入った。
『そうか。あの、ところでな……椎名君とはどうだ?』
仕事の話が終わると、佐木沢は急に声を潜めた。まるで妻にかくれて浮気相手と電話する夫のようだ。
「隼人と? ああ、三朝か。気になるか?」
むろん、佐木沢が聞いているのは上司と部下としての2人の関係のことではない。
『いや、上手くいっているならいいんだが……』
と語尾をにごす。父親代わりとして娘のように思っている三朝の男関係は気になるようだ。
山本の口の端が思わずニヤッとつり上がった。
「あの2人がなるようになったら、お前の思惑は成功じゃないか」
『思惑って何の話だ』
「今度の移動も、あの時と同じって事だよ」
佐木沢は考え込むようにうなった。
『話が見えないな』
「つまりだ。隼人がいたから、お前は三朝を寄越したんだって事だよ」
『椎名君の下ならいい訓練になるだろ。現にそうだった』
佐木沢は上手い返事を返したつもりだろう。山本はいきなり核心をついた。
「なぁ佐木沢。あの当時は三朝もかわいそうだったよ。あんな事にならなければ、とっくに嫁に行ってるんだ、あの子は」
佐木沢の返事はなかった。山本はつづけた。
「婚約を解消して、ひどく落ち込んでたそうじゃないか。おまえも見かねていた。研修派遣はその半年後だろ?」
『なんだ、いきなり。何が言いたいんだ』
「だから隼人に会わせるためだったって事だよ」
電話の向こうで佐木沢のため息が聞こえた。とぼけるのは無駄だとあきらめたのか、反論する様子はない。
「お前は隼人を買っているからな」
『そのこと、椎名君には話してないだろうな?』
「当たり前だ。隼人はそんなこと思ってもないだろう。三朝のJPO入りの事もな」
『もういい。くだらん事を言ってないで仕事しろ。頼んだこと忘れるなよ』
電話は切れた。
娘を持つ親心は複雑だ。これはまたしばらく電話の回数が増えるぞ、と山本はほくそ笑んだ。
そこにまた電話のベルが鳴り響く。
出ると通信部からだった。先ほど例の事件と酷似したケースの遺体が発見され、3隊がただちに出動したという。
表情は、一転して厳しいものになっていた。
5
20歳の女子学生が暴行、殺害された事件から約1ヶ月後の4月半ば。
犯人に関して決定的な手掛かりないまま第2の被害者が出てしまった。
遺体が見つかった場所は東京湾の港にあるさびれた廃工場。といっても中の機材はすべて処分されていて、今は地面むき出しのだだっ広い倉庫のようになっている。
「いやぁ、今日たまたま管理者の方が見えたからよかったものの。発見が遅れたらえらい事です。腐乱してねぇ」
初老の捜査員はそう言って白髪の混じった頭をかいた。
3隊捜査員の4人は、かがみ込んで遺体を確認している。
「眠ってるみたいだな」
幌が独り言のようにつぶやいた。だが言葉を返す者はいない。
三朝も目の前の女性をいたたまれない思いで見つめていた。綺麗な顔立ちで大人びて見えるが、どこかあどけなさが抜けていない。おそらく自分よりはいくつか年下だろう。
この若さでなぜ、こんな所で理不尽な殺され方をしなければならないのか。
体を丸め、おだやかな表情で横たわっている遺体は、幌の言うとおり眠っているようである。ただし、胸に大きなナイフと毒々しい血のシミがなければ。
胸に刺さったナイフには見覚えがあった。
「身元は?」
隼人が遺体のそばから立ち上がり、初老の捜査員にたずねた。
「まだわかっとりません。なにせあるのは写真だけで、あとは持ち物らしきものはまったくなかったですから」
「そうですか」
隼人はうなずきながら部下の高橋宏司(25)に目配せをした。宏司はうなずき、その場を離れた。
「じゃあ、現場の状況を説明しましょう」
初老の捜査員はそう言って、自分の部下を呼び寄せた。
6
被害者は都内の私立高校に通う17歳の少女だった。昨夜、友達数人とクラブへ行き、1人で店を出て以来、行方がわからぬまま今朝の遺体発見となった。第1の被害者と同じ状況である。
犯行の手口や凶器もほぼ同じ。また今回も遺体は例の悲惨な写真を握らされていたことから、3隊は同一犯による連続事件として捜査に当たることにした。
「被害者がクラブから出たのがきのうの午後10時頃。犯人と接触したのは早くても9時30分ごろのはずだ。この30分の被害者の行動を重点的に探っていこう」
隼人が言うと、捜査員一同うなずく。
「すこしでも有効と思われる情報はちゃんと書き留めて、あとで報告しろ。場合によってはその場で俺に報告するんだ。その判断は各自に任せる」
「はい」
「とにかく人が多い。よく考えて人を選べ。きのうもあのクラブにいた店員や常連客から先に話を聞いていくこと。それから刑事だと悟られないように。被害者が死んでいることなんかも伏せて。事件の捜査であると匂わせるような言動はするなよ」
隼人はそう言うと、視線を横にずらした。
3隊メンバーのわきを大笑いしながら若い娘の集団が通り過ぎていく。そこらじゅうで若い男女が輪を作って騒いでいる。その中にまぎれている隼人たちが警察官で、まさか殺人事件の捜査に来ているなど、誰も気づいていないし思ってもいないだろう。
隼人は腕時計を見た。
「いま6時半だ。7時に店内に入るくらいだな。とりあえず幌と宏司、俺と三朝のペアに別れる。で、別々に店に入ろう。そっちが入ったら電話してくれ」
「店に入ったあとはバラバラですね?」
幌がたずねた。隼人が一瞬、不可解な顔をする。
「いまさら聞くような事か? 一緒にいたら男になんか話しかけられないだろ」
「主任と三朝も?」
今度は宏司が聞いた。隼人がまた渋い顔をする。
「いいからとにかく聞き込みだ。段取りはわかってるだろ? 守備よく頼むぞ」
三朝と隼人は街を歩きながら幌から連絡が入るのを待った。
「あいつら何か言いたそうだったな」
「あの、なんで『一緒にいたら男に話しかけられない』んです?」
三朝が隼人を見上げた。
「ナンパが多いらしいぞ、あのクラブ。男2人で男に声かけたら怪しいだろ」
「刑事だって?」
「そう思われても困る。でも『そういう仲』だ、と思われてもな。なんにしろ目立つ」
「はあ、そういう」
「そういうことだ」
「じゃあアタシたちは? 別々じゃないんですか?」
隼人は三朝を一瞥した。返答に困っている様子である。
「さっき答えてなかったじゃないですか」
「おまえ……いいや。カップルで話を聞くのも変だろ?」
「じゃあ別々ね」
「ただし俺の目の届く範囲で」
隼人が言うと、三朝は首をかしげた。
「なぜ?」
「なぜって……なぜでもだ」
隼人がそっぽを向く。と同時に携帯が鳴った。
7
「ありがとう。また何か思い出したら教えてよ」
宏司は手を挙げ、少年と別れた。
まただ。思ったよりみんな興味を示し、気楽に話してくれる。でも肝心の情報は降りてこない。
被害者は昨日そうとう目立っていたらしく、半数くらいが彼女を覚えていた。でも顔を見れば思い出す、行動の断片を知っている、という程度で、犯人らしき男と接触しているのを見たという人物はいない。
宏司は人ゴミに疲れ、カウンターに避難した。
「お兄さん、1人なの?」
突然、声がした。驚いてとなりを振り返ると少女が1人座ってる。いつの間に?と宏司は少女を見つめた。
「アタシも1人なんだけど、遊んでくれない?」
そう言って勝手に腕を組む。仕事じゃなければOKなのだが、と思いつつ宏司はやんわりと彼女の手をはがそうとした。けれど離れてくれない。主任に見つかったら事だぞ、と思いとっさにごまかした。
「悪いけど、あの。連れがいるんだ」
「え? どこよ?」
少女がフロアに目をやる。どうしよう、見え透いたウソだったか。宏司は困ってあたりを見回すと、そこに運良く三朝を発見した。
「あ。あれあれ。ゴメンね、じゃ」
宏司は逃げるようにカウンターを離れると、三朝のところへ走り寄った。
「どうしたの?」
三朝が驚く。ちょうど話していた女の子と別れたところらしかった。
「いや。女の子につかまっちゃって」
「さぼってお茶なんか飲んでるから」
「冷たいこというなよ。でもホントにナンパ多いだろ?」
「そうだね。いいから早く散らないと」
三朝はフロアに目をやった。出入りの激しい店内だ。いつ有力情報を持った人物を逃がしてしまうかわからない。
宏司が店内に紛れていくのを見届けながら、ふたたび目星をつけはじめた。
20前後の少年が壁際にもたれてタバコを吸っている。三朝はその少年に近づいた。
「なに? 俺と遊びたいの?」
少年は自分に向かってきた三朝を見てそう言った。さっきからこればっかりだ。話しかければナンパだと思われる。そんなに物欲しそうに見えるのか、と三朝は心の中で悪態をつく。
「この子、きのう見かけなかった?」
「ナンパじゃないの? 俺、お姉さんと遊びたいのに」
「知らないならいいけど」
「いや、見たよ。昨日ここに来てた子でしょ?」
「そう。なにか話した?」
少年は三朝が差し出した写真を自分の手に取った。なにやら考え込むように「うーん」とうなる。やがて視線を三朝に戻した。
「なんか似てない? 妹? まあいいけど。遊んでくれるんだったら教えるよ」
「遊ぶって?」
「えー、とぼけるのは通用しないんじゃない」
少年はクスクスと笑った。本当になにか知ってるのか、それともただ『遊び』たいだけで言ってるのか。
よく分からないが気にかかる。どうもなにか知っているような気がする。
「じゃあ、これだけ……」
そう言いかけたとき、誰かに後ろから肩をつかまれた。驚いて振り向くと隼人だった。
三朝を後ろへ追いやり、少年を見下ろした。
「この子さぁ、俺らの事務所の子なんだけどね? 勝手にお金持ったまま逃げちゃって。困ってるのよ。で、昨日ここに来たって聞いて。何か知ってるんなら教えてもらえれば助かっちゃうんだよね。ほら、キミだってこのへんで遊びたいでしょ? 善意で教えてくれれば別にこんなもの使ったりしないし。本物なんだ、わかる? 毎日磨いてるんだよね。ちなみに音は出ないんだけど」
隼人はそう言って内ポケットをチラリと開け、黒く光る銃をのぞかせた。もちろん日本警察から支給されている本物だ。三朝はギョッとして隼人を見上げた。
隼人もなにか嗅ぎとっているのだろうか?
「お姉さんと引き替えで、なんてケチなことは言わないよね?」
隼人は笑顔で少年に詰め寄った。少年はたじろぎ、焦った様子で話し始めた。
「た、たいした事は知らないよ。ただ、きのう偶然トイレの前で見かけたんだ。なんか男が一緒で、これから2人で店を変えないか、とかなんとか」
当たった、三朝は思った。隼人も顔には出さないが、そう思ってるに違いない。
得体の知れない事務所の人間を語り、一般人に銃を見せるマネまでしたのだ。隼人が賭けに出ていることは三朝もわかっていた。
「それ、何時頃だった?」
「え、10時頃? だったと思う」
ますますビンゴだ。隼人は矢つぎ早に質問を続けた。
「どんな男? 知ってる男?」
「知らないけど」
「顔は覚えてる? 似顔絵作れる?」
「に、似顔絵?」
少年は顔をしかめた。だんだん不審に思えてきたのだろう。隼人と三朝を交互に見つめながら、『似顔絵って何だ?事務所ってなんの?』と思っている胸の内が手に取るようにわかる。
「三朝、この子を本部にお連れしろ。ご協力いただくんだ」
隼人はそう言い残し、またフロアへ戻っていった。
8
「もうちょっと目が細かったような……」
少年は画面を見つめて首を傾げた。担当員がキーボードを叩く。いまのところ画面に映っているのは肩まで伸ばしたクセ毛の、面長で切れ長の目をした男だ。
「ああ、コイツだ」
少年はうなずいた。三朝はすぐプリントアウトを頼むと、隼人の携帯に電話した。
『はい?』
「モンタージュ出来たけど。持っていく?」
『頼む。まだいるから』
隼人がそう言ったあとに「だぁれ~~~?」という若い女の声がした。
やけにハッキリ聞こえた。そうとう受話器に近付いている。ということは、隼人にもくっついているということになる。
『じゃあ急げよ』
隼人はあわてて電話を切った。
「隼人」
「おお、早かったな。どれ?」
三朝は写真を見せた。
「だぁれ~?って言ってた彼女は?」
「え? そんなの聞こえた?」
写真に見入るふりをして隼人がとぼける。三朝は思わずムッとした。
「そう。で、収穫は?」
「ない。よし、じゃあこれを幌と宏司にも渡そう」
「もう!」
むくれて立ち去ろうとしたが、その後ろ手を隼人につかまれた。
「よくやった。ご褒美は帰ってからな」
耳元でささやかれる。ご褒美って、どっちがご褒美だか。三朝は冷たいまなざしを返したが、顔は真っ赤になっていた。
9
少年の協力による写真は意外なほどに効力があり、モンタージュの男の仲間の顔も判明した。
任務終了後、幌と宏司は捜査の疲れをものともせず、そのまま連れだって繁華街へ遊びに出かけた。その2人をあきれ顔で見送り、隼人と三朝は車で本部へ戻るところである。
「いま何時?」
ハンドルを握る隼人が、助手席の三朝に言った。
「えー、11時37分」
「4時間以上の聞き込みか。成果はあったな」
隼人が言い、三朝はうなずく。
夜だというのに街並みは明るく、車の波も絶えない。街の光が輝く流線となり、車と並走していく。
ふと隣りを見たとき、対向車のヘッドライトが隼人の横顔を照らした。じっと前を見つめる隼人の目に、三朝は思わず目を奪われた。
「そういえば」
とつぜん隼人が言った。三朝は我に返り、あわてて「なに?」と返事した。もう少しで声が裏返るところだった。
「おまえ、さっき妬いてなかった?」
「え?」
「『だあれ~?って言ってた彼女は?』って、あのとき」
「あれはただ聞いただけですよ?」
「そう?」
隼人は薄く笑みを浮かべた。つっぱねてみても心の中を見透かされたようで悔しい。
「そちらこそ、妬いてませんでした?」
「いつ?」
「最初に協力してくれた彼に。『お姉さんと引き替えなんて』って」
「おまえ手を握られてたじゃないか。部下を守るのは義務だろ?」
「ええ、まあ」
三朝は笑って返事をし、窓の外に目を向けた。
隼人はなにげなく言ったのだろう。でも三朝は『部下、守るのが義務』その言葉に案外傷ついていた。
「どうした?」
「いえ、別に」
微妙なショックを気づかれたくなかったが、うまくいったかどうかはわからない。
隼人はそれ以上なにも言わず、ただ前を向いて運転を続けた。
部下だ、義務だというのは本当のことだ。なんで傷ついたりする?
答えはカンタンだ。部下だ、義務だなんて思われたくないから。もっとそれ以上に思って欲しいからだ。
だいいち、それならどうして抱きしめたり、キスしたりするのか、って問いたくもなる。隼人の気持ちを確かめてはいないのだから。それで「部下だ」と片づけられたら……。
車は本部近くまで来ていた。なにげなく窓の外を見ていた三朝は、やがて車が本部へ向かっていないことに気がついた。
「あれ? どこに行くの?」
三朝がそう言って辺りを見回しても隼人は答えなかった。かまわずにハンドルを切る。車は左に折れ、三朝がまだ行ったことのない方向へ走っていく。三朝は初めて見る景色を目で追っていった。
やがて車は止まった。景色は暗くてよく見えないが、かすかにザザーーと言う波の音が響いている。
海だ。
「夜中の海っていうのもいいもんだぞ」
隼人はそう言って車から降りた。戸惑いながら三朝も車を降りる。
軽い身のこなしで柵を越えると、手を差し出した。引っ張ってやる、という意味らしい。その手をつかみ、三朝も柵を越えた。
砂を踏みしめ、押し寄せる波のほうへ近づいていく。三朝はその背中を追いながら、緊張が高まるのを感じていた。
10
「海があるって知ってたか?」
隼人が言った。波の音と重なるその声はとても低く、静かな海がいっそう静まり返るような気がする。三朝は首を横に振った。
「JPOに来てすぐ探したんだ。そういや海のそばだったなと思って」
隼人はずっと先に目をやった。蒼い闇が果てしなく続いている。あるはずの水平線は見分けがつかなくなっていた。
「三朝」
隼人が呼ぶ。三朝が隼人を見ると、隼人も三朝を見ていた。
「ごめんな」
隼人が言う。三朝は何が「ごめん」なのかわからず、隼人の言葉を待った。
「一方的に抱き寄せたり、キスしたりして」
耳を疑った。隼人が何を言ったのか、なんのつもりで言ったのか、瞬時にはのみこめなかった。そしてしだいに悪い予感が広がっていく。
「なんで謝るんですか?」
三朝はやっとそれだけ言った。鼓動がどんどん早くなる。
そういう話は聴きたくない。身がすくむような感覚が襲う。
「誤解するなよ。俺は……」
「だめ、ちょっと待って」
「三朝」
目をそらした三朝に隼人が詰め寄る。ああ、もっと落ち着かないと。三朝は自分にそう言い聞かせ、大きく息をする。けれど心臓は暴れっぱなしだ。
「だから誤解するなって。ちゃんと聞いてくれ」
隼人に肩をつかまれ、引き寄せられた。
「卑怯だけど、ここなら言えると思ったんだ。だから来た」
隼人の目はまっすぐ三朝を見ている。
「さっき部下を守るのが義務だって言ったけど」
隼人は唇をかんだ。一瞬、ためらったようだ。でも隼人はすぐに言葉を続けた。
「ホントはそれだけじゃない。ずっと言えなかったから、ついごまかして」
鼓動はおとなしくならない。けれど悪い予感はすーっと引いていった。
「我ながら情けないけど、怖かったんだ。あのとき距離とか時間とか、条件だけに負けて押さえ込んだ。なのに今さら言葉にするのは都合よすぎるんじゃないかって。もう他に好きな奴だっているかもしれないとも思ったし……なのにおまえに会ったら抑えきれなかった」
だんだん肩の力が抜けていった。違った。隼人も自分と同じように考えていた。
「三朝、」
言いかけた隼人に、三朝は思いきり抱きついた。一度に全部きかなくてもいい。もう十分だった。
隼人も何も言わなかった。大事なのは言葉じゃない。恋に言葉はいらない。
ただ波の音だけが寄せては引き、繰り返し響いている。
どれくらいそうしていたのか。抱き合ったまま隼人が耳元で言った。
「そういや、ご褒美とか言ってたっけ?」
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