第2話 貴鞍の国
牛車に揺られること数日。牛車の外がだんだんと騒がしくなってきたことに、
人々の足音、会話する声、鉄を叩くような音、がらがらと車輪が引かれていく音。賑わいに誘われるように、澪咲は顔を上げた。
「
外から、牛車についてくれていた貴鞍の従者が呼びかけてきた。
澪咲は牛車の
目に飛び込んできた光景に、澪咲は目を見開いた。
整備された道、ずらりと立ち並ぶ店。行き交う人々の身なりはきちんとしていて、表情も生き生きとしている。店の前では店の者と客との会話がにこやかに交わされ、はたまた鍛冶屋らしき店では、上半身を裸にした男が鉄を打っていた。その前を、何か品物を満載にした台車を引いて通り過ぎる男に、子どもと手を繋いで歩く女……。
その光景は、活気に溢れていたのだ。
「あの、今日はお祭りですか?」
澪咲は従者に尋ねる。
「いいえ? いつもこのような様子ですよ」
不思議そうな返事が返ってきた。
——聞いていた話と違う。
貴鞍では軍備に力を入れるあまり民は貧しく、冬を越すのもやっとなのだと。この様子を見る限り、それはまったくの誤りだった。
「殿がしっかり
従者の声が追い討ちをかけるように澪咲へと届く。
当主の
困惑したままの澪咲を乗せ、牛車はとうとう、貴鞍の当主家の屋敷に到着した。
貴鞍の屋敷は、それはそれは立派なもので、
澪咲は牛車から降りた瞬間、そよそよと吹き抜けた風に懐かしい匂いを感じた。貴鞍には、初めて訪れたはずなのに。しかし緊張が勝って、その小さな違和感はすぐに澪咲の頭から消えてしまった。
しずしずと歩きながら、澪咲は目だけで辺りを見回した。
案内されるままに屋敷を歩き、
「ようこそお越しくださいました」
彼女からの言葉に、澪咲の心臓がどきりと鳴った。
遂に、やってきてしまった。貴鞍の、地に。
「……お出迎え感謝いたします。お顔を上げてくださいな」
澪咲の声に、頭を下げていた女が顔を上げた。
歳の頃は十五、六か。あどけなさが残りつつも可憐な容姿をしている。彼女と目が合い、そのままじっと見つめられた。
「……なんて綺麗なお方……」
少女がほやっと頬を染めて呟いた。
「え?」
「こ、これは、失礼いたしました! 私は、
舞純は再び床に手をついてぺこりと頭を下げると、顔を上げてにぱっと笑った。あまりに純粋な笑顔に、緊張でがんじがらめにされていた澪咲の心が少しほぐれた。きっとこの子は、良い子だ。
「ありがとう。よろしくお願いしますね」
澪咲が微笑むと、舞純が目を輝かせて頬を染め、あわあわと両手をばたつかせ始めた。
「わああ、こんなに美しくてお上品なお方にお仕えできるなんて、侍女冥利につきます!」
その様子に澪咲の目がぱちぱちと瞬いた。
……良い子、なのだろうけど。ちょっと、変わってる……?
舞純はひとしきりあわあわした後、はっと我に返ったように動きを止めた。
「あ、こうしてはいられません。澪咲様、早速ですがお召し替えを。殿とご対面がありますから」
「え、あの、殿、というのは」
「はい、当主の
その名を聞いた途端、ほぐれていた緊張の糸がまた澪咲の心を縛りにきた。
暴君だと聞いていたのに都はしっかり整備され、民にも活気がある。この屋敷だって隅々まで手入れが行き届き、綺麗に整っていた。
澪咲の中の「貴鞍 暉賢」像がぐらぐらと揺れて、覚悟ができなくなっていた。
しかし、時はそんな澪咲の心中を待ってはくれない。澪咲は無理やり自分を奮い立たせ、舞純が着替えを進めるままに受け入れた。
旅装束を脱ぎ、小さな紋がいくつも施された
「……お美しいです、澪咲様」
舞純がうっとりと呟く。
「さあ、対面のお部屋はあちらです。参りましょう」
舞純の声に、澪咲は静かに頷いた。こっそりと、あの大事な
澪咲は、震える手のひらを袖の中でぎゅっと握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。
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