花産霊の姫と冷徹当主

橄欖石 蒼

一章 出会い

第1話 異能の姫

 昔々の、もっともっと昔。


 創造の神が大地をひらきました。


 できたばかりの大地はまだ荒れ果てていて、


 命はあっても生きるのがやっとでした。


 それに心を痛めた——の神は——降りて——、


 人の——。


 ******

 

 青空にぽつぽつと白い雲が浮かんでいる、よく晴れた日。整えられた庭園を春風が吹き抜け、檜皮葺ひわだぶき屋根の寝殿の御簾みすを揺らした。

 几帳きちょうの向こうに香春高 澪咲かわらだかみさはひとり座し、春風を受けて穏やかに息をはいた。

 澪咲は「香春高の百花ひゃっか」と謳われる美貌の持ち主だった。ぱっちりとした目元に、小さく整った鼻、ぷくりとした唇、緩く結い上げられた艶やかな黒髪……。空色のうちぎが彼女の柔らかな雰囲気を包み込んでいる。よわいは二十五。香春高の国の、当主家の流れを汲む家柄の生まれである。

 一度は婚姻していたが、ゆえあって離縁し——国に戻って四年が経っていた。

「おねえさまー!」

 とてとてという賑やかな足音とともに、几帳の向こうから幼い少女が顔を出す。澪咲の姪だった。その両手には小さな花瓶が大事そうに抱えられている。

「あれ、あれやってください!」

「あれね、わかりました」

 せがむ少女に澪咲はにこやかに微笑み、花瓶を受け取った。

 目を閉じて花瓶を両手で包む。花瓶から双葉が芽吹くと、それはみるみる生長して葉や蔦が伸び、鮮やかな青い花を咲かせた。

 それは、春には見かけないはずの、朝顔。

「どうぞ」

「わああ! きれい……!」

 澪咲から花瓶を受け取った少女が瞳を輝かせる。それをあたたかい気持ちで眺めていると、しゃらりと音がして御簾が揺れた。部屋に入ってきたのは、兄嫁だった。この少女の母だ。

「ははうえ、おねえさまにいただきました!」

「そ、そう、良かったですね……」

 兄嫁は僅かに引き攣った笑みを浮かべると、少女から朝顔の咲いた花瓶を取り上げて、澪咲の前にかつんと冷たく音を立てて置いた。

「さ、行きますよ」

 少女の手をぐいと引いて、兄嫁は部屋を出ていく。少女は何度も振り返り、名残惜しそうに朝顔を見つめていた。距離を取る兄嫁の目にあったのは、はっきりとした恐怖。

 澪咲は目の前に置かれた朝顔に視線を落とし、小さく息を吐く。

 こんなことは慣れっこだった。

 物心ついた頃からある、この力。

 手元に水か土があれば、季節を問わず思い描いた花を咲かせることができる。それが澪咲の持つ不思議な力だった。

 この世に、不思議な力を持つ者などいない。

 ——澪咲一人を除いては。

 この力が何なのか、澪咲本人も含めて誰にも分からない。家の者は、この力をただ恐れていた。加えて当主家の流れを組む裕福なこの家では、花を咲かせる力など何の役にも立たなかった。

 虐げられこそしていないものの、澪咲は距離を置かれ、家の中ではいつも一人。気付けばずっと、そうだった。


******


「お前の嫁ぎ先が決まった」

 父に呼び出され告げられた言葉。あまりに急なことだった。

 嫁ぎ先は辺境の国——貴鞍たかくら

 この婚姻は香春高から持ち掛けたもので、近年力をつけてきた貴鞍との結びつきが欲しい、という思惑があってのことだった。香春高の当主家には姫がおらず、離縁して国に戻っていた澪咲に、再び婚姻の白羽の矢が立ったのだ。

 しかしこの婚姻は、貴鞍から複数の条件が突きつけられるという、契約ありきの婚姻だった。

 一、澪咲は側室として迎える

 二、香春高からの供は受け入れない

 三、澪咲を通じて互いの内情やまつりごとに干渉しない

 四、期間は一年間とする

 五、不履行があった場合すぐに契約無効とし澪咲を戻す

 香春高としては契約を呑むしかなかった。澪咲が側室でも、互いの国が不干渉でも、期間が一年でも、貴鞍との結びつきが欲しかったのだ。

 ——うららかな春のある日。澪咲は貴鞍が寄越した牛車に乗り、たった一人で旅立った。

 牛車の中で軽くため息をついて、懐から一本のかんざしを取り出した。螺鈿らでんで装飾された、漆塗りの簪。淑やかながらも美しく艶めくその逸品は、澪咲が持ってきた私物の中でも、最も大切なもの。簪を眺めながら、夫となる人物に思いを馳せた。

 夫となる人——貴鞍 暉賢たかくら あきまさは、よわい三十になる、貴鞍の国の当主。遠く離れたこの地にも彼の評判は轟いていた。

 ——冷徹な暴君である、と。

 気に入らない者は片っ端から粛清し、斬首もいとわないらしい。貴鞍の国は暉賢ただ一人が支配しており、部下も言いなり。また、軍備に力を注ぐあまり民は貧しく、冬を越すのもやっとなのだとか。

 澪咲は簪を両手で包んで胸に抱いた。

 こうなってしまった以上、もう自分の運命は受け入れていた。香春高の国のために、民のために、最期に一働きしよう。

 牛車の隅で焚かれている香の匂いを嗅ぎながら、澪咲は俯く。がたがたと牛車が揺れるまま、身を任せた。

 ——向こうでは、この花を咲かせる力を、誰かの役に立てられるだろうか。

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