第2話

『トキはどこに住んでるの』


 ある日わたしはとうとうそんなことを送ってしまった。いつもならすぐに返ってくるはずの返事は、何故か数十分待っても返ってこなかった。

 まずいことを聞いただろうか。やっぱりプライベートなことを聞くのはNGだったのかもしれない。

 送ってすぐに後悔に襲われた。送信取り消しなんて機能はないので、頭を抱えながら返信を待った。


 1時間経って、待ち侘びた返事はきた。


『最寄りは△△駅だよ』


 それはわたしの最寄り駅から二駅先の駅だった。トキがプライベートのことを教えてくれたことが嬉しい反面、意外に近くに住んでいるとわかって急に緊張が走った。

 

『教えてくれてありがとう』

『さゆは?』

『わたしは□□駅』

『近いじゃん』


 続けて送られてきたメッセージを見て、わたしは言葉を失った。


『会う?』


 あまりにもあっさりと、当たり前のように言うものだから、しばらく何て返せばいいのかわからずに固まってしまった。

 ずっと密かに願ってきたことが今、叶おうとしている。トキに会いたい。だけど、わたしが大学生のふりをした高校生だと知ったらどう思うだろう。

 それに見知らぬ男の人と会うなんて両親に知られたら、叱責されて引き止められるに違いない。


 だけど──。


 散々悩んだ挙句、わたしは決断をした。


『会ってみたい』


           .



 指定された駅は、二人の最寄駅の中間の駅だった。日時は金曜の夜。友達の家にお邪魔すると嘘をついて、わたしは家を出てきた。

 正直に言って、かなり緊張していた。マッチングアプリの男の人と会うなんて人生で初めてのイベントだからだ。


 でも、相手はあのトキだ。

 1ヶ月間ずっと文字だけのやり取りをしてきた人。

 一体どんな人なのだろう。文字打ちからして、自分の中でふんわりとしたイメージはついている。


 一応わたしは高校生に見えないように、大人っぽい私服を選んだつもりだ。グレーのニットトップスに、黒のハイウエストパンツを合わせて、髪はハーフアップで毛先を巻いてきた。

 慣れないメイクもこの日のために研究してきたし、何度も鏡の前で確認した。抜かりはないはずだ。


 緊張を落ち着けるように、ふうと一つ深呼吸をする。顔を上げると、ちょうど車掌さんのアナウンスが目的の駅への到着を告げた。


 電車を降りて改札を抜ける。近いけれど降りたことのない駅だから新鮮だ。駅の周りにはコンビニや薬局、ファミレスの入った商業ビルが立ち並んでいて、夜だというのに明るく賑やかで、少しだけで緊張が解れた。


『着きました。グレーの服を着て白のショルダーバッグを持ってます』


 柱に背を預けてメッセージを打ち込むと、すぐに既読がついた。待ち合わせの時間の5分前。もうトキも来ているのだろうか。


 わたしはきょろきょろと辺りを見渡した。すると、近くに背が低めの金髪の男の人がいるのを見つけた。

 その人が振り向いた矢先に目が合ってしまい、思わず視線を逸らす。


 柄の悪い龍の模様の入ったスカジャンに、ダメージジーンズ、それからギョロリとした目つき。手には煙草が添えられていて、わたしはさっと青ざめた。


 もしかしてあの人がトキ……?


 わたしの想像のトキ像ががらがらと音を立てて崩れ落ちる。しかもあろうことか、その人はずんずんとすごい勢いでこちらに向かってくるのだ。


 やっぱりそうなのかもしれない。


 別に好きなバンドの話をしながら楽しく過ごしたいだけであって、容姿なんて関係ないわけだけど、それでもちょっと煙草は嫌だし、あの目は怖すぎるっていうか……。


 頭が混乱してしまう。自分のしたことの重大さに初めて気がつき、怖気付いた。一瞬にして血の気が引いたわたしは顔を上げることもできず、足がすくんでその場から動けなくなってしまった。

 男の人があと数歩でわたしのところまで辿り着いてしまう。


 怖い……!

 わたしはぎゅっと目を閉じた。


「──あー、いた」


 俯いていたわたしは、すぐそばからそんな声がするのを死刑宣告のような気持ちで聞いていた。

 僅かに瞼を持ち上げると、視界に入るのは黒色のスニーカーだった。


「あの、すみません、やっぱり……」


 もうこうなったら、断ってめちゃくちゃ謝罪して速やかに帰ろう。そう決心したわたしは、意を決して勢いよく顔を上げた。


「やっほー」

「あ、えっ……」


 思いがけず声を漏らしてしまった。見上げた先にはさっきの男の人とは別の、背の高い男の人が立っていた。

 ゆるっとした黒いパーカーに、黒のスウェットパンツ。さらりとした金色の髪と、切れ長のアーモンドアイが印象的だった。


 男の人は確認するようにじっとわたしの顔を見つめた後に、楽しそうに口元に笑みを携えた。


「ねえ、なんで敬語なの」

「は……?」

「コレ」


 言っている意味がわからなくて首を傾げると、目の前にスマホの画面を見せられた。

 そこに写っていたのは、ついさっきまでやり取りしていたトキとのトーク画面だった。

 この人がこの画面を見せているということは、つまり──。


「"さゆ"だよね?」


 初めて音に乗せて名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。彼は驚いてごくりと唾を飲むわたしを見て、ますます楽しそうに目を細めた。


「俺、トキ。よろしく」


 緊張しているはずなのに、手を差し出されて当たり前のように握り返してしまった。

 本物のトキは、想像よりも背が高くて、想像よりも中性的で綺麗だった。


「この駅初めて来たけど意外と栄えてんね。こんなに明るいなんて思わなかった」

「あー……わたしも思った。人がたくさんいてちょっと安心した」

「あーね、初対面のマチアプの男になんて何されるかわかんねえもんな?」

「いや、別にそんな意味じゃ、ない……けど」


 微かに棘を含んだような嫌味な言い方にムッとするが、当の本人はクツクツと肩を震わせながら「ジョーダンだって」と笑っている。


「何食いたい? 俺オムライス」

「それってタツさんが好きだから?」

「大正解。さっすが。やっぱりあんたさゆだ」

「だからそうだってば……」


 本物のトキのことをどんな言葉で形容していいのかわからないけど、想像していたよりも『夜』が似合う人だなと感じた。

 夜の冷たさと危うさをない混ぜにしたような雰囲気を纏っている。


「あ、駅ビルん中にあるんだって、オムライス。行こ」


 トキは操作していたスマホをポケットにしまうと、そのままポケットに両手を突っ込んだ。

 かと思えば、わたしの返事も待たずに勝手に先を歩き始めてしまう。


 ……わたしに選択権はないのだろうか。完全にペースを持っていかれているような気がする。


 困惑しながらもトキに置いていかれないように、その背を追うために足を踏み出した。

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