叶うなら、君の嘘を暴かせて
藤咲ななせ
第1話
一人の夜は孤独だ。
こういうときに、他者とのコミュニケーションは人間が生きていくうえで欠かせないものなのだと実感する。
誰かとくだらない話をしたい。
生産性のない会話を生み出して、この寂しさを埋めてしまいたい。
根本的解決には何も繋がらないけど、夜を乗り越えようとするときに、そっと力をくれる存在が欲しい。
わたしがマッチングアプリを始めたのは、そんな動機があったからだ。
高校に入学して数ヶ月が経つ頃、退屈な夏休みに初めて登録した。しかし高校生は登録できないところが多かったので、年齢を偽って大学生のふりをした。
はじめはおぼつかなかった操作は、毎日のように繰り返すうちにすぐに慣れた。
名前と顔しか知らない相手とアプリを通じて他愛もないメッセージの交換を交わすこと。それは夏休みのちょうどいい暇潰しになるのではないかと、はじめのうちはそんな風に考えていた。
『どこ住み?』
『今日会える?』
『夜空いてる?』
だけど現実は甘くなかった。会うことを前提としたメッセージばかり送られてきて、返事に困った。何せわたしは大学生のふりをした高校生だ。アプリでマッチングしたばかりの男の人に会うことは怖い。
『会えません』
そう返すと大体の人からは返事がなくなった。たまに不満を物申してくる人もいた。そこから話が続くことはほとんどなかった。
だから、このアプリは男女が会うことを前提として作られているんだと、高校生のわたしでもすぐに理解することができた。
直接会うのは怖い。
ただ、ちょっとした寂しさを埋めたい。
一人でやり過ごす孤独な夜に、何気ない会話をしてくれる存在が欲しい。
大それたことを望んでいるわけではないはずなのに、この世界ではそれが一番難しいことなんだと、わたしは身をもって知った。
彼と出会ったのは、アプリを始めてから数週間後のことだった。
軽くうたた寝をしていた22時。通知音が鳴って目を覚ますと、マッチング成立の知らせと、その相手からの新着メッセージが届いていた。
寝ぼけながら目を擦り、メッセージを確認する。
『はじめまして。トキです』
『よろしくお願いします』
アプリ内にしては珍しい真面目な文章に好感を抱いた。確かこの人は、珍しく好きなバンドが一緒だったから『いいね』をした人だ。
写真は本人の写真なんだろうけど、ブレていて顔はよくわからない。唯一金髪のマッシュだということだけは読み取れる。
『よろしくお願いします。Sayuです』
返事をするとすぐに既読になった。もしかしてこの人も、今日早速会える人を探しているのだろうか。
せっかくあのバンドを好きだという人に初めて巡り会えたのに。少し残念な気持ちになりながらも、もう何度目かの失望を予想して覚悟を決める。
返事はすぐにきた。
『センセン好きなんですか?』
わたしは目を見開いた。そして、驚きのあまりスマホを床に落とした。角が足の爪先に当たって、ごつんと鈍い音が鳴る。声にならない呻き声を上げながら痛みに悶絶した。
センセン。
それは紛れもない、わたしの好きなバンドの名前だ。
てっきり『会おう』だとか『どこ住み?』だとかいう話題が出てくると思っていたのに、まさかその名前が最初に出てくるとは。顔も知らない相手なのに、わたしのテンションは急上昇した。
『好きです。CD全部持ってます』
『マジすか。初めて出会いました。俺も持ってます、ライブDVDも』
『わたしもです、人生で初めて買ったCDがセンセンです』
『うわ待って、一緒』
画面をタップする指先が喜びに震えた。まさかマッチングアプリで、こんな出会いがあるなんて思いもしなかった。
結局その日は夜通し彼とバンドの話で盛り上がって、やり取りを終えたのは朝の5時だった。
孤独に苛まれることのない、満たされた朝を迎えたのは初めてのことだった。
その日からわたしは彼──『トキ』と頻繁にメッセージを交わすようになった。
『おはよ。今朝の占い12位だった』
『どんまい。わたしは1位』
『うわずりー。てか月曜から雨って最悪じゃね? 帰りてえ』
『来ただけで褒められたいよね』
顔も本名も知らない相手。だからこそ、知り合いと話すよりも気が楽だった。
.
窓の外は鉛色の空と、激しく降り注ぐ雨。昼休みの教室の片隅で、わたしは今日も一人で弁当箱を開く。
クラスメイトの楽しそうな笑い声がそこら中から聞こえてくる。耳を塞ぎたくなるようなそれは、まるでひとりぼっちの自分のことを笑っているのではないかと、疑心暗鬼になることも少なくはない。
母親に作ってもらった玉子焼きを口にすれば、甘辛い味が口の中にじんわりと広がった。
以前よりも平気なふりをするのが上手くなったと思う。きっと周りから見れば、わたしは一人で黙々と弁当を食べている女子生徒にしか見えないだろう。
だけど心の中は違う。
あの日からずっと、寂しくて虚しい。情けなくて恥ずかしくて、今すぐにこの場から消えてしまいたいとさえ思っている。
ふと、ポケットに入れていたスマホが震えて、わたしは箸を置いた。スマホを取り出すと、一件の通知が来ている。見れば、トキからのメッセージだった。
『見て』
簡素な一言と共に一枚の写真が添付されている。開いてみると、いちごのサンドイッチと紙パックのコーヒー牛乳が並べられたものだった。
その二つは、染色体戦隊のボーカルメンバーが好きな食べ物としてあげているものだった。
こんな甘党すぎる組み合わせ、普通の人なら真似しようだなんて思わないだろう。
トキの行動力に思わず吹き出してしまう。少しの間の後、すぐにここが教室だと思い出したわたしは、緩んだ頬を元に戻す。
一瞬でも自分が教室にいるということを忘れかけたのは、初めてのことだった。
『天才じゃん』
『今日から俺もタツさん』
『おいしい?』
『ゲロ甘。胸焼けする』
『タツさんへの道のりは遠いね』
誰もわたしの味方にはなってくれないし、わたしと話してくれることはない。
だけど、トキは違う。
この狭い教室の中でどれだけの敵意が振り翳されたとしても、わたしにはトキがいる。
そう思うと自然と気持ちが楽になって、一番嫌いだった昼休みの時間をあっという間に乗り切ることができた。
──トキはどんな人なんだろう。
ある日わたしはふと思い立った。
いつもブレブレのアイコンと文字だけでやり取りを交わしているトキの、中身が知りたいと思うようになったのはこの頃からだった。
今まではアプリの男性から会いたいと声を掛けられても、死んでも会うもんかと頑なに拒否していた。
だから自分から会いたいと思うようになったのは初めてのことだった。
トキに会ってみたい。
直接話してみたい。
どんな表情で、どんな声で話すのかを知りたい。
そんな気持ちは日々膨らむばかりなのに、トキは一向にわたしのことを誘ってくれやしない。
もしかしたら会いたいと思っているのはわたしだけで、トキにとっては数多くいる話し相手のうちの一人なのかもしれない。
こんな軽いアプリで出会ったわけだし、別にそれでもいいはずなのに、なんだかすごく癪だった。
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