第三章:覇道の試練と強敵の信念
第9話:名門の驕り、大義の激突
洛陽近郊に築いた拠点都市には、日増しに活気が満ちていた。公孫瓚の善政は、ますますその名を天下に轟かせた。民は公孫瓚を「白馬の明君」と呼び、彼の元へ集う者が絶えなかった。荒廃した郷里を捨てて彼の治める地に移住してくる民は後を絶たず、彼らのために新たな村が次々と建設されていった。それは、単なる武力による支配ではなく、民の心をつかむ「光の統治」が機能し始めている証だった。しかし、その名声は、同時に既存の勢力からの警戒と嫉妬を呼び覚ましていた。特に、中原に広大な地盤を持つ名門、袁紹にとって、公孫瓚の台頭は看過できない脅威だった。
ある朝、公孫瓚の執務室に、一通の書簡が届いた。
「殿、袁紹(えんしょう)殿より、書簡が届きました」
幕僚が、緊張した面持ちで差し出した。彼の顔には、天下の大勢力が動き出したことへの怯えが滲んでいる。俺は書簡を受け取り、内容に目を通す。そこには、董卓を討つべき「義」を大仰に語り、自身が盟主となる反董卓連合への参加を呼びかける言葉が並んでいた。しかし、その裏には、公孫瓚の勢力拡大への牽制と、彼を自らの下に置こうとする傲慢な意図が透けて見えた。
「ふん。やはり来たか」
俺は鼻で笑った。書簡を卓に置く。
「袁紹は、漢の四世三公(四代にわたって三公という最高位に就いた家柄)の名門。己こそが天下を治めるに相応しいと信じて疑わない。彼の掲げる『大義』は、その家柄と名声にこそある。彼にとって、民の苦しみなど、所詮は権力を握るための道具でしかない」
俺は、側に控えていた荀彧と郭嘉に書簡を見せた。彼らはすでに、書簡の内容を予測していたかのように、静かにその場に控えていた。
荀彧は、書簡を一読すると、冷静な口調で言った。
「袁紹殿は、名門の権威を盾に、諸侯を糾合しようとしております。彼の掲げる大義は、確かにこの時代の多くの者にとっては魅力的に映るでしょう。しかし、その本質は、自身の権益の拡大にございます。彼は天下の秩序を乱す董卓を討つことには賛同するでしょうが、その後の天下が、新たな混乱に陥ることを懸念いたします」
郭嘉は、面白がるように口元を歪めた。
「所詮は、古き良き時代の因習に囚われた男。天下の大勢は、もはや名声や血統だけで動く時代ではありません。殿の『未来』の治世と、彼の『過去』の権威主義。どちらが民に選ばれるか、見ものですな」
郭嘉の言葉に、俺は頷いた。そうだ。袁紹の「大義」は、結局のところ「私利私欲」に過ぎない。民を救うという真の目的からは程遠い。
「返書を出せ。我は、董卓を討つ大義には賛同する。しかし、その方法は、お前たちのやり方とは異なる。我々は、自らの道を行く、とな」
俺は、明確な拒絶の意を示した。これにより、袁紹との対立は避けられない。むしろ、それを加速させるだろう。しかし、それが天下統一への最短ルートだと、俺は確信していた。
俺の返書を受け取った袁紹は、激怒したという。その報は、彼の陣営から公孫瓚の元へとすぐに届いた。
「公孫伯珪め!名門たる我らに逆らうとは!所詮は北の蛮族上がりの成り上がり者が!天子を擁したとて、その血筋は薄い!この袁紹が、その傲慢な鼻をへし折ってくれるわ!」
袁紹はそう罵り、公孫瓚を討つべく、諸侯に檄を飛ばし始めた。彼の名声は依然として高く、多くの諸侯が、袁紹の兵力に恐れをなし、彼の元へ馳せ参じた。反公孫瓚連合は、急速にその規模を拡大していく。その中には、かつて公孫瓚と誼を結んでいた者もいた。
「殿、袁紹は、すでに河北の諸将を傘下に収め、こちらへ兵を進めている模様です。その兵力は、十万を超えるとも……」
幕僚の報告に、会議室に緊張が走った。公孫瓚の兵力は、精鋭揃いとはいえ、袁紹の大軍には遠く及ばない。兵の数だけを見れば、絶望的な差がある。
「心配は無用だ」
俺は、静かに言った。その言葉には、先の洛陽での挫折を乗り越えた、揺るぎない自信が宿っていた。
「数だけならば、董卓も袁紹も変わらぬ。重要なのは、兵の質と、智謀だ。そして、何よりも、民の支持だ」
「その通りでございます」
荀彧が、凛とした声で応じた。
「袁紹殿は、数の多さに驕り、統制が取れておりませぬ。兵站も、その大軍ゆえに脆弱なはず。我らは、その隙を突きます。彼の本陣を奇襲し、その指揮系統を寸断すれば、大軍も烏合の衆と化しましょう」
郭嘉が、不敵な笑みを浮かべた。彼の瞳は、すでに戦場の未来を見通しているようだった。
「董卓討伐のための同盟、などと綺麗事を並べているが、その本質は、弱き者を食い荒らす獣の群れ。それを叩き潰すのが、殿の『善政』を広げる第一歩ですな。彼らが民を顧みぬ故に、我々が勝つ道理がある」
俺は頷いた。袁紹の「大義」は、結局のところ「私利私欲」に過ぎない。民を救うという真の目的からは程遠い。その傲慢さが、彼の最大の弱点となるだろう。
「趙雲、白馬義従の練度を最大まで引き上げろ。我らが進む道は、まさに修羅の道となるだろう。しかし、その先にこそ、民が心から安寧を得られる世がある」
俺は、趙雲に指示を出した。趙雲は、静かに、しかし力強く頷いた。彼の瞳には、曇りがない。公孫瓚の命じるまま、白馬義従は連日厳しい訓練に明け暮れた。その士気は、袁紹軍のそれに比べてはるかに高かった。彼らは、単なる兵士ではなく、民を守るという大義を共有する仲間たちだった。
白馬のたてがみが、戦の予感をはらんだ風に、高らかに躍る。その白い輝きは、闇を打ち払う光のように見えた。
遠く、北の地平線に、袁紹の大軍が迫りつつあった。名門の驕りが生み出す波が、公孫瓚の治める地に押し寄せようとしている。
これは、単なる戦ではない。
漢室の“古き義”を盾にする袁紹の「大義」と、民衆の“新たな幸福”を掲げる公孫瓚の「善政」。二つの異なる価値観が、今、激しくぶつかり合おうとしていた。それは、この乱世の未来を賭けた、避けられぬ激突だった。そして、公孫瓚は知っていた。この戦で、俺は袁紹に大きな一撃を与える。だが、その過程で、俺自身の内に潜む「驕り」が、試されることになるだろう。
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