第30話『飛蹴・上』

幽霊ゴーストの視点〗


 ……なんなんだコイツは。


 あの仮面。

 あの黒き外殻。


 記憶にある。

 名はマクモ。

 私をドアごと蹴り飛ばそうとした男だ。


 なぜ、ここが分かった?

 どうやって、ここへ来た?

 ちがう、問題はそこじゃない。


 他は指先ひとつで、いともたやすく形を失うというのに。

 コイツだけ私の殴打が効いていない、だと。

 明らかに他の獲物とは、質が違う。


 それに加えて、オーラの流れが全く読めない。


 真下に転がる死骸からも、そこに這いつくばっていたかつての主だった者からも、赤く染まりきれていない濁ったオーラが漂っている。


 こんなもの、以前は知覚できなかったが、今なら分かる。

 これが『魔力』と呼ばれるものなのだろう。

 人間はこの魔力を生命活動に利用するほか、人智を超えた秘術、『魔術』を扱う、そう認識している。


 ……コイツにはそれがない。


 何も、ないのだ。


 いや、だからこそ、その圧倒的な存在感を骨の髄まで感じずにはいられない。


 この世の上位種であれば、魔力を隠せる者もいるのか?


 面白い。


 自分の真価を試すに相応しい相手だ。


 全身の隅々までオーラを行き渡らせる。

 細胞、血管の一つひとつにまで深く染み込ませることで、拳は肥大し獲物の外殻を容易に砕くための鈍器へ、胴体はどんな攻撃も通さぬ分厚い甲殻へ、脚は瞬時に間合いを詰めるため、大地を蹴り穿つ強靭な杭へと変質していく。


 その血の一滴まで、糧としてやる。

 この体は、未だ進化に飢えているのだ。

 私自身も底が見えないほどに。


 どうか、壊れてくれるなよ。 


——————


〖グズの視点〗


「……あれが、幽霊さんなの?」


 以前の幽霊ゴーストの面影は、どこにもない。

 人の頭蓋骨に、魔物モンスターの鉤爪。

 そして、体表に生えた無数の眼球と耳を模したみにくい肉のひだが、胸部から肩、背中にかけて脈打っている。

 それはもはや、恐怖の権化と呼ぶべき、おぞましい姿へと変貌へんぼうしていた。


 尾がみるみるうちに横幅を広げ、蛇腹状の刃へと変化していく頃には、2メートルほどだった全長は、さらに2倍、いや3倍にもなっていた。

 このまま放っておけば、この部屋を覆い尽くしてしまうかもしれない、それくらいの勢いだ。


「ダメだよ……こんなの、かないっこないって」


 幽霊は今も、私たちの眼上で、その身を再構築し続けている。


 無意識に、頭や首を抉り取られた骸たちへと視線を落とす。


 ある懸念が脳裏をよぎった。

 私が視力を失っている間に、彼らはどうやって殺されたのか。


 正面から向き合った戦闘にしては、防御創がほとんど見られないのだ。

 通常、外敵と対峙すれば致命傷を避けながらの戦いになるため、防御した腕や足に傷が集中する。

 それなのに、ここにあるのは無防備な状態で、なす術もなくむごたらしく殺された、そんな死体ばかりだ。


 それと、今も私には見えているのに、彼……マクモさんには見えていない。


 ……最悪だ。


 ゴーストメイカーを通して、幽霊の特性は誰よりも熟知している。


 あの幽霊ができること、それは。


 私以外に目視されないこと。

 他者の記憶を読み取り、姿や声を模倣すること。


 そして、


 特に最後の能力を、アレは明確な意思をもって使用している。


 事態は、思っていたよりもずっと深刻だ。


 ただでさえ見えないというのに、霊体化されたら、どんなに干渉しようと全てすり抜けてしまう。

 この人がどれだけ頑丈でも、こちらから触れられない以上、一方的になぶられて、いつか力尽きるだろう。


 だから、勝てない。


 ……手も足も動く。


 幽霊はまだ、変異を続けている。

 この時間が、私に残された唯一の好機チャンスだ。


 街の人ごみに紛れて、身を潜めよう。

 その間、多くの犠牲を出すことになるが、逆にいえば、その分時間を稼げる。

 事態が大きくなれば、冒険者管理ギルドもその脅威を認識し、相応の冒険者を差し向けるはずだ。


 闘階級クラスのパーティで構成されたクランならば、打開策が見つかるかもしれない。

 それでも、半数以上は命を落とすだろうけど。


 あの幽霊が討伐されるまで……。

 それまで私は見つからないよう、姿を消し続けて………。


 以前の私なら、迷いなく決断していた。


 ……でも。


 この人はどうなるの?


 私の前で二度にわたって化物バケモノに立ち向かっている彼を置いて、一人だけ逃げ出す道を選ぶ気にはどうしてか、なれなかった。


「ぜんっぜん見えねぇ……」


「どうしても、戦うの?」


「ん?ああ……」


「死ぬかもしれないのに……」


「こいつが見える奴って、結構いるのか?」


「………私以外、いない」


「だったら、なおさら戦う」


「っ!なんで!」


「ここで逃がしたら、外の連中までやるだろ。街には俺の仲間ダチがいんだ、それにそいつをよくしてくれるヤツもな、見過ごせねぇよ」


「………ッ」


「と、いうのは建前で………単純に、やられっぱなしなのが気に食わねぇだけだ。知ってっか?やり返してこねぇとタカくくってる野郎に一発食らわせてやるとよ……最っ高に気持ちいいんだぜ」


「!」


「お、おい、立つなって。まだ安静にしてろよ」


「私に、できることは?」


「…………ふっ、じゃあ、もっかい正確な位置をおしえ゛ッ———」



——————


〖真雲の視点〗


 衝撃。

 側頭部を打たれた。

 ぐらりとバランスを崩しながら、地面に片手をつく。


「ふんッ!」


 掌に体重を乗せる。

 反動で跳ね上がり、逆立ちの体勢へ。

 その一連の動作から両脚を大きく開き、殴りかかってきた方向へ蹴りを繰り出す。


 カポエイラ、ベイジャフロール。


 本来は相手の攻撃を回避しながら繰り出すものだが、タイミングとしても相手の力を使った完璧なカウンターとなった。


「……おい、マジか」


 手応えがなかった。

 空を切ったようだ。


 素早く体勢を立て直す。


 どこいった。

 いかん、持ち前の視力でなんとかなるかなって思ったけどやっぱあめぇわ。

 これ、サーマルとかX線とか探知機能がいるやつだ。

 冷静に考えて、目視でどうにかなるもんじゃ……。


「うしろ!!」


 警告とほぼ同時に、背後から不意の一撃。

 前方へと勢いよく吹き飛ばされながらも、空中で身をひるがえし、床に突き刺した指で急ブレーキをかける。


 辺りがスローモーションに見える中、顔を上げて警戒し、思考を巡らせる。


 あの手応えのなさ。

 覚えがある。

 そうか………宿にいたヤ゛ッ———。


 側頭部。

 ずてーっと、殴られた勢いで血にまみれた床を滑り、女の足元でぴたりと止まった。


 ……さっきより打撃、重くなってないか?


「くそっ」


 だめだ、聞いてから反応していては間に合わん。


「おい、耳ふさいで伏せてろ」


「え、それ……何に使っ」


「いいから、はや゛ッ———!」


 片足を引っ張られ、体が浮き上がる。


 次の瞬間、背中から天井に叩きつけられた。

 そのまま床、壁、また天井へ。


 絶え間なく視界が揺らぐ。


 剣、骨、崩れた瓦礫がれき

 打ちつけられるたびに、強化外骨格パワードスーツが衝撃を吸収するが、その振動は直接脳を揺さぶり、意識をかき乱した。


 体感では、20……30秒ほど経ったくらいか。


 上下左右の感覚が掴めなくなり、今自分がどこにいるのかすら分からなくなったあたりで、抵抗することをやめた。

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