第29話『シンの襲撃者』

〖グズの視点〗


 ………カッツォさまの声が聞こえる。


 いつもの汚い罵声じゃなくて、どちらかというと赤ん坊が泣きじゃくってるような、そんな叫び声だ。


「……………」


 しばらくすると、その悲鳴はか細いうめき声に………やがて途切れ、骨ごと肉が引きちぎられるおぞましい音へと変わっていった。


 さすがにどうなったのか、視えなくても分かる。


 これまでずっと、悪行の限りを尽くしてきた人だ。

 感傷に浸るつもりはない。


 でも、こうも呆気あっけなくってしまうなんて……。


「………また、独りになっちゃった」


 この世界でずっと孤独だった私に、唯一寄り添ってくれた幽霊さんは、もういない。


 自分の体を抱きしめるように両腕を交差させ、虚無感に飲み込まれそうな心を必死で抑え込む。


「……ぐすっ」


 切り替えなければ。

 頼れるのは、結局、自分だけ。


「身を……守らないと…」


 そうだ、自分の力でどうにかするしかないんだ。

 もし命を落しても、それは全部、自分の力量が足りなかったせい。

 弱いのが悪い。


 前世も、ここも、そういう世界だって、もう分かっている。


「……丸腰……武器……」


 幽霊ゴーストの制御が効かない以上、私だって安全じゃない。


 そうだ、さっき落としたナイフ。


 四つん這いになり、暗闇の中をまさぐる。

 絨毯じゅうたんがぐっしょりと濡れている。


 掴んで引っ張ると、強い抵抗と共に、何かを捉えた感触がある。


 すぐ近くにある。

 きっと、絨毯に突き刺さったナイフだ。


 もう少しだけ、前へ。


 指先に硬いモノが触れた。


 ………?


 咄嗟に掴むが、ゴツゴツしている。


 微妙に柔らかくて、ずしりと重い。

 千切られたような断面。

 ぬめっとした感触。


 嗅ぎ慣れた、甘く独特な刺激臭が漂ってきた。


 ……ヤクだ。


 じゃあ、これ、タルォさまの首———。



   ズヂャッ



 前の方に、濡れそぼったものが落ちてきた。

 血の臭いが、一層強く鼻をつく。


「……………」


 もう、そこにいる。


 刹那、ドロドロとした瘴気が肌にまとわりつく。


「ヴッ……」


 堪えきれず、その場で嘔吐えずく。


 胃液を伴って、今朝食べたリンゴのドロっとしたかたまりが勢いよくのどから噴き出し、膝の上や、そこにあるタルォさまに降りかかる。


「はア、ハァ」


 胃が痙攣けいれんしている。

 口の中に広がる、酸っぱい吐瀉物としゃぶつの味。


 何……この感覚。

 こんなの、今まで感じたこと……。


 殺気などという生ぬるい言葉では言い表せない。

 例えるなら、本能を叩き起こす、根源的な警告。


 目に見えないはずなのに、新鮮なハラワタうごめいて、首を締め付けてくるような、そんな生々しいイメージが浮かび上がった。


 遅まきながら、ギルドメンバーが襲われている間に、無理にでも逃げるべきだったと悟る。


 身を守る?

 なぜそんな馬鹿げたことを。


 こんなものに、私一人で太刀打ちできるわけがない。


「……私……やっぱり、死ぬのかな」




 思わずそう口にするが、返事はなかった。




「………そっか………今までこき使っちゃってごめん…………せめて、痛みを感じず殺してほ゛ジエ゛ッ゛!?」


 次の瞬間、右頬から鋭利なモノが食い込み、そのまま口の中まで突き抜けた。


「ア゛、ァ゛ガッ゛」


 血の味が広がり、歯が数本、口内に散らばる。


 舌のざらつき、残りの歯で噛みしめた感触。

 すぐに爪だと気づいた。


 わなわなと、頬を貫くそれを伝って腕を掴み、頭を乱暴に振る。


  ブヂィッ


 口の片側が裂けた。

 痛みに耐えながら、急いで後方へと走る。


「グ゛ア゛ッッ゛」


 背後から激痛が走り、転倒してしまった。


「………ぐッ」


 振り返る余裕なんてない。


 すぐに立ち上がろうとするが、背中がじくじくと痛む。


 皮膚がただれるほど熱い。

 あの爪で何箇所も肉を深く抉られたのだと、直感的に理解した。


 爪は今も衣服に絡みつき、藻掻もがくたびに布地が裂け、肩から、胸を、腹を晒すようにはだけていく。


「ゥ゛ッ、グ……」


 かろうじて腰から下を隠す布だけは残ったが、身につけているものはそれだけ。


 上裸のまま、弱々しく、ひたすらに床を這いずるが、次第に全身の力が抜け、それ以上動くことができなくなった。


「……………」


 おかしい。

 とどめを刺さしてこない。


 ぼんやりとした頭で考える。


 最後に私が残ったのは、単に運が良かったからだと思ってた。


 だったら……、なんですぐに私を殺さなかったの?

 やろうと思えば、あの爪で私の頭を狙うことだって、簡単にできたはずなのに。


 ……いや、そんなの決まってる。


 最初から、いたぶるために私を残したんだ。

 そんなに、私のことをうらんで———。


    カツッ


 手元に硬いものが当たった。


 あった。

 探していたナイフが。 


 朦朧もうろうとしていた意識が、一瞬で覚醒する。


 ……もう躊躇ためらう時間なんてない。


 咄嗟にその刃を握りしめ、自らの頸動脈に押し当てる。


 今死なかったら、次は何をされるか分からない。


「ヒュー、ヒュー」


 呼吸が荒くなり、首筋にジグリと痛みが走る。


 平気、刃物ならこれまで嫌というほど使ってきたじゃない。

 あと数センチ押し込んで、勢いよく引けば楽になる。


 ……急げ!


 早く!


 一刻も早く!


 ああ、急がなきゃ!急いで!もう、今すぐにでも!


 躊躇っちゃだめだって!早く、早く、早く!ああ、いますぐ!急げ、急げ、急げ!即座にやらないと!すぐにでも!急いで!早く、早く、早く、早く!急がないと!


 急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、早く、早く、早く、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ、急げ———。


 ガチャッ


 寸でのところで、ナイフを投げ捨てた。


「……平気なわけ……ないじゃん……」


 なんで私ばっかり。

 なんで私だけが、こんな目に。


 そう思ったら、もう止まらなかった。

 これまで押し殺してきたはずの感情が、急にせきを切ったように溢れ出す。


 なんでまた死なないといけないの?

 生きたい。

 生きたいよ……。


 こんな暗闇で、血と死体に囲まれて死にたくない。


 一人になりたくない!


 ホントは、友達だって欲しかった……!

 恋人作って!

 家族作って!


 死ぬときも誰かに見送られて、『ありがとう』って言われて!

 そんな人生を送りたかった!


 グズって罵られても!

 魔族って蔑まれても!


 私の人生なんだよ!

 自分で人生こんなもんだなんて、割り切ってたまるか!


「う゛、う゛ぅ……っ」


 涙が勝手に溢れる。

 血まみれの目から、熱い雫が裂かれた頬を伝う。


 まるで塩をすり込まれてるみたいだ。

 泣くたびに、眼窩が焼けるように痛む。


 なのに、私の口は———。


「ねえ、そんなに生きようとすることがダメなの!?私だって頑張って生きようとしたよ!?たくさん手を汚して、やりたくないこともやって!必死に生きようとしたんだよ!!でも、それでも………ちょっとくらい良い事あっていいじゃん!!幸せになりたかったよ………誰かに愛されだがったよ゛!………ぐぞぅ………ぐそぅ゛………うあ゛あ゛あ゛あああああん!!……神様のバガァ゛ぁ゛ぁァァあ゛!!!」


 幽霊がいるであろう方向に。

 頭がぐちゃぐちゃになるくらい、泣いた。


 ………ああ、新しい人生に期待なんかしなければよかった。


 期待すればするほど、見放された時に惨めな思いをするって、分かっていたはずなのに。


 結局、私の人生に光が差すことなんて、一度もなかったんだ。


 誰にも見つけられず、誰にも助けを求められず、ただ独りで死んでいく。

 前世と同じように、この世界でも私は独りぼっちだ。


「………誰か、助けて」












 それまで静まり返っていた室内が、突然、ビリビリと震えだした。


 心臓が警鐘を鳴らし、全身の毛が逆立つ。


「…………え……」



 何かが、とてつもない速さでこちらへ向かってくる。



 それはいつもの、根拠のない勘だ。


 にもかかわらず、その勘が正しいと、肌で感じるほどの確信が何故なぜかあった。


 そして———。




 ゴオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!



 空気が鳴動し、衝撃で後ろへ押しやられる。


 前方では、氷や木片、武器、肉塊が猛烈な勢いで飛び散り、周囲の壁に叩きつけられる鈍い音と重なり響く。


 耳鳴りがする中、突如として、その声がはっきりと届いた。


「出てこいや盗人ぬすっとぉぉぉおおお!!」


 ……この声、聴き覚えがある。


 もうもうと立ち込める粉塵ふんじんに咳き込みながら、雄叫びが聞こえる方へと顔を向ける。


 すると、右側から大量の風が吹き抜け、頬をでた。


 ……壁を壊して入っ……え、ここ…最上階———。


「次は逃さねぇ、第2ラウンドだ」

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