第13話『魔力感染』

 この人はいったい……何を言っているんだ?


 あまりに自然な口調だったから、頭に入ってこなかった。


「アランさん……どういう意味ですか」


「ん? 何が?」


「死んでるかもって……」


「ああ、あれか!ちがう、ちがう、お前はちゃんと仲間だよ!んだよ、同郷のよしみじゃねぇか」


 会話が噛み合っていない。

 なんだこの違和感。

 これは、何かを前提とした返答だ……。


「ちゃんと説明してください。さっきだって、『代えが利く』とか言ってましたよね?なんでそんな……」


 そうだ。

 この人の言動は、まるで。


「ここの人たちを……人じゃないみたいに……」


「人じゃねぇだろ」


「ッ!何を言って——!」


「知ってっか?俺たちの体って、脳や筋肉、血なんかの人間らしい機能は半分で、残りは内包されてる魔力で生命を維持してんだ。見た目は人と一緒なのに、骨はスカスカ。所々開きまくった穴に、魔力が通ってんだぜ?」


 この世界の人体構造なんて……知らない。

 けれど、その言葉には言いようのない嫌悪感がこみ上げてくる。


「……それが、どうしたっていうんですか」


「この世界に生まれて9つくらいか……父親を名乗るヤツが畑仕事中にな、腹を空かせたモンスターに喰われたんだ……そいつの残骸を片付ける時、空っぽの腹から骨が見えちまってよ……心底、気持ち悪かった」


 目を細め、言葉を続ける。


「なぁシルバ。この世界には俺たちの知る『人間』なんていねぇ。俺も、お前も、ここにいる誰もが、ただの人の形を模した異物だ。だから死んでも、なんとも思わねぇ」


 喉が詰まる。

 

 異常だ。

 到底、受け入れられるものじゃない。

 間違ってる。


「お前を産んだ母親だって———」


 ダンッ!!


 思わずテーブルを叩き、言葉の続きをさえぎった。


「やめろ……俺の両親を、あんたの歪んだ価値観で汚すな」


 はらわたが煮えくり返る。


「見損なったよ。僕は……いや、俺はあんたと同じ世界の人間だったことを、今、心底恥ずかしいと思ってる」


「………………」


「この世に生まれたからには誰かのために生きると、俺は決めているんだ。あんたみたいに命を軽んじるヤツとは、絶対にわかり合えない。パーティの件、やはり断らせてもらう」


「それ、本気で言ってんのか?」


「ああ、二度とアンタの顔は見たくない」


「……そうかい。ま、いいけどさ」


「失礼する」


 立ち上がり、革袋を肩にかけ直す。

 少しの間、アランはじっと自分を見つめていたが、突然、口元を歪めた。


「あーあ、やっぱ使うことになるかー」


「……どういう意味だ?」


 アランはテーブルに身を乗り出し、カウンターのほうに視線を送った。


「おい、オヤジ!ちょっとこっち来いよ!」


 カウンターの隅でジョッキを磨いていた店主が、ゆっくりと顔を上げる。

 その目は濁り、どこか虚ろだった。

 無言のまま、こちらに歩み寄ってくる。


「今からシルバに俺の力を説明したいんだ。言葉だけじゃ説得力に欠けるからさ、死んでくれ。できるだけ派手にな」


「は!? 何を!? ふざけ——」


『ああ、いいとも』


 店主は低くつぶやき、カウンターからナイフを取り出す。

 そして何の躊躇ためらいもなく、右のこめかみに切っ先を突き立てた。


 プジュゥッ


 血の飛沫がテーブルに散った。


「う゛……あ゛ッ…………」


 店主は一度ナイフを抜き、再び、より深く、より強く突き刺す。

 それを何度も、何度も繰り返す。

 その度に、こめかみの皮膚は裂け、肉がえぐり取られていく。


「やめろ! やめろって!」


 店主に駆け寄ろうとした。

 だが——。


「動くな、シルバ」


 その声が、脳の奥を揺さぶる。


 

 


 思考が縛られる。


 顔をそむけることすらできない。

 店主が自らを切り刻む様を、ただじっと見続けることしかできなかった。


 ぐじゅり


 嫌な音が響いた。


「うっ…!」


 こめかみの骨が砕けた拍子に刃先が滑り、眼球を刺し潰したのだ。

 眼球はひしゃげ、濁った液体が顔にかかった。


 止まらない。

 止まってくれない。


 やがて、店主は崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。


「あーあ、この店、根城にすんのに丁度よかったんだけどな。うん、ダメだ、酔った勢いで命令すんのは……。よくよく考えたら、このオヤジ殺さなくてもよかったじゃん」


「な……何を…した」


「転生する前、神を名乗るヤツがよこしてきたんだよ。『魔力感染スパム・ウイルス』って呼んでたかな」


 アランは空になったジョッキを覗き込みながら、話を続ける。


「この世界の奴ら、体の半分は魔力で動いてるつったろ?なんつーか上手く説明できねぇが………俺に一度でも触れた奴は、そいつの魔力を通じて、俺の命令を聞くようになる。脳の電気信号みたいなもんだ」


「まさか、俺にも……」


「おお、勘違いすんな?保険としてだぞ?マジで仲間だと思ってたんだからな。それをお前、裏切りやがって」


「……ッ」


「抵抗しても無駄だ。さっき手ぇ握ったろ?もうお前は俺の駒だよ」


 油断した。

 神から授かった力に精神を干渉するような、そんなふざけたモノがあるなんて、想像もしなかった。


「まだ初期段階だから、『従ったほうがいい』って気分になる程度だけどな。ま、すぐに俺の指示なしじゃ何もできなくなるぜ。そこの死体みたいにな」


 コイツ……!

 そんなくだらない証明をするために……!


「そうそう、お前くらいのとしに力が目覚めたんだけどさ。やっぱ最初は無自覚だから、使い方とか分かんねぇじゃん?気づいたら母親ヅラした女が、泣きながら自分の赤ん坊を絞め殺してたんだよ。うるせぇから黙らせてくれって、言ったときな?そんときの女の顔が最高にブっっサイクでよwww」


 話の最中、アランの下腹部が不気味に膨らんでいるのに気づいた。


「狂ってる……」


「ハハぁ、気持ちいいなぁ。抵抗できねぇヤツに、自分をさらけ出すって最高にギモヂいぃよな゛ぁ゛ッ!そうだシルバお前も晒せよ!隠してる力とか、ここで言ってみろ!」


 ダメだ。

 手の内を見せれば、この場を切り抜ける手段が完全になくなる。


 しかし、口が勝手に動く。


「……手から、俺にしか見えない糸を出す。強度や形は自由に操れる……あと、触れた相手を溶かす毒が、体内に宿ってる」


「ふーん、能力二個持ちか。そのわりには地味っていうか。パッとしないな」


 期待外れだとばかりに落胆する顔を見せる。

 だが、すぐに表情を変える。


「いや、まてよ。自滅覚悟でコイツをガーディアンに突っ込ませたら、その毒で……お、これいけるんじゃね?やっべ、俺、天才じゃねえか!」


 胸の奥で、怒りが渦を巻く。


 ……こいつの言葉は、命を玩具のように扱う子供の戯言だ。


「可哀想なヤツ」


「………おい、なんつった?」


「誰かを傷つけることでしか、自分の存在を誇示できない、そんな可哀想なヤツだって言ってるんだよ。日本に戻ったところでお前は、はみ出し者のままだ。そして、見下されるんだよ、お前と同じ、口先だけの連中にな」


 アランの顔が素に戻る。


「へぇ、偉そうな口、叩くじゃねぇか。これからガーディアンと心中するってのによ……気が変わった。意識があるうちに、灸を据えてやる」


「やってみろ、お前なんかに——」


「右の人差し指を折れ」


 思考が拒否するよりも早く、体はアランの言葉に従った。

 右手は抵抗虚しくテーブルに固定され、左手が狙いを定めるように人差し指を掴む。

 指の根元、第一関節と第二関節の間を意識し、力を一点に集中させる。


 グキッ


 骨が耐えきれず、内部から砕けた音が耳に届く。

 関節はあらぬ方向にねじ曲がり、支えを失った指はだらりと垂れ下がる。


「がッ……うあ゛っ゛……」


 皮膚は骨の変形に引き伸ばされ、今にも破裂しそうだった。

 肉の筋が断裂し、鮮血が滲み始める。

 折れた骨の断面が神経を刺激し、意識が遠のくほどの激痛が全身を駆け巡る。


「次、中指を折れ」


 パキッ


「ぁ゛あ゛ッ゛!」


 二度目の骨の砕ける音が、耳の奥で生々しく響く。

 追い打ちをかけるような激痛が襲う。

 汗と涙がとめどなく流れ、どれだけ歯を食いしばっても、この屈辱に抗うことはできない。


「次は薬指。ほら、さっさとやれ」



———



—————————



——————————————————




「はぁ、はぁ」


 右手の指が、すべて反対側に曲がってしまった。

 皮膚が裂け、砕けた骨が皮膚を突き破り、白く尖った断面が見える。

 元に戻したくても、もう戻らない。


 それでも、コイツだけは……。


「へぇ、まだそんな目ができんだな。じゃ、今度はその減らず口を使って左手の指な。終わったら、綺麗に治してやるよ。そしたら、また最初からだ」


「ハァ、ハ……グ……」


 あれだけ叫んでも、店の客は誰一人、こちらに目を向けない。

 この店にいる全員、アランの支配下に置かれているのか。


「俺がションベン終わらせて戻ってくる頃には、お前の目は従順な犬のそれになっているはずだ。せいぜい気張れよ、シルバ」


「ッ………フぅ、フゥ……カヒュッ、くひょッ……グヒョ゛ォ゛!!………!」


 悔しい。

 こんなにも悔しいのに。


「ヴヴヴヴヴァ゛ヴヴァァ゛ッ!!」


 自分の奥歯は、左の人差し指を食いしばったまま、離そうとしなかった。





〖アランの視点〗


 ……うっざ。


「はあ、やっとまともな奴に出会えたと思ったのにな。バカに説教されるとか、ほんとムカつくぜ」


 シルバの悲鳴を背に、軽い足取りでカウンター横の厠へ向かう。


「…………?」


 この扉、こんな立て付け悪かったか?


 取っ手に手をかけるが、開かない。


 今度は力を込めてノブを引く。

 ブチッ、と何かが千切れる音がした。


 …………。


 扉の内側には、ジュクジュクとうごめく根が張り巡らされていた。


 それだけではない。

 灯りを含め、室内全体が根に覆われている。


「んだよ。あれ………」


 暗い空間に、人型の影。

 背後からの光で目を凝らす。


 なんか、いる。


 それは仮面マスクを被っていて、じっとこちらを見つめていた。

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