異世界仮面～無貌の英雄、『蹴聖』の名を背負う～

第7話『根の巨神、異邦の客人』

「いや、カビくさッ！！」

　勢いよく石扉を押し開けた瞬間、突き刺さる異臭に思わず叫んだ。

　ただでさえ通路が薄暗いのに、もっと暗い空間が、目の前に広がっている。

「どこだココ？」

　スライムを脇に抱えたまま一歩踏み出し、仮面（マスク）越しにだだっ広い空間を見渡す。

　ひび割れた石床には苔が点在し、厚い埃が積もっている。

　往来の形跡が一切見られないことから、ここが通常のルートではないとすぐに理解できた。

　どうやら隠し部屋を引き当てたようだ。

　意気消沈しかけるが、すぐに俺の視線は部屋の最奥に引き寄せられる。

「んだよ……これ」

　巨大な玉座。

　それだけじゃない。

　10メートルはあろうか

　その上には、人型の巨体がぐったりと座っているのだ。

　樹皮に覆われた顔。

　両腕は太い根が絡みつき、指先は鋭い棘で覆われている。

　足元は玉座に深く根を張り、この迷宮（ダンジョン）そのものと繋がっているようにも見えた。

「でけぇ」

　さっき戦闘した牛が霞（かす）んで見える。

　まさに裏ボスと言っても過言ではない風貌だ。

　スライムをギュッと抱え直す。

　天井や石壁には無数の木の根が張り巡らされ、玉座と巨人を囲んでいた。

　隠し部屋と聞けば、金銀財宝や伝説の剣、RPGでいう所の『ボーナス部屋』を想像するものだが、この部屋は違う。

　そびえ立つ巨人の存在だけで、空間全体が異様な威圧感に満ちている。

　もう、ここから抜け出せれば文句はねぇよ。

　こいつが出口のカギになるのか？

　 倒せば秘密の扉が出てくるとか。

　ありえそうな話だ。

　ありえそうではあるのだが——。

　こっちに気づいていないのか、はたまた、眠っているのか不明だが、１ミリも動く気配が見られない。

　うん、戦いたくない。

　というか、もう、見たくない。

　骨が折れそうとかじゃなく、単に見た目がキモいからだ。

　なんというか、ネット画像の『蓮コラ』を見てる気分に近い。

「……刺激しないようにしよ。隠し扉とか、ねえかな」

　巨人を警戒しつつ、石壁に近づき、木の根を軽く叩いて回る。

「反応なし、か」

　ここまで来て出口がないとなると、気が滅入る。 

　その瞬間——。

『Бзги ｌБзги（ほう、異邦の客人か。珍しい）』

　言語とも呪詛ともつかぬ異質な声が頭上から響いた。

　「ッ！？」 

　心臓が跳ね上がり、反射的に身構える。

　声は確かに、そこにいる巨人のものだった。

『 ℵ/.ℵмфΕno< ？（どうした、聞こえておらんのか？）』

　玉座に座したまま、巨人は太い根の腕を肘掛けに置く。

　根で象（かたど）られた眼窩（がんか）が、こちらをじっと見つめていた。

『 ΔΓΕФлхкЖмрлцпф（安心せよ。我は戦う意思を持たぬ。また、再び試練を課すこともない）』

「……えーと」

　何を言っているのか、さっぱり分からん。

　なんかヤバい存在だと直感は告げているのだが………敵意は不思議と感じない。

『 ΩфнтЦпф（ふむ。我の言葉が通じぬか。であれば）………』

　巨人の喉元がごわごわと蠢（うごめ）き出す。

　蔓（つる）が筋肉のようにうねり、みるみるうちに声帯を再構築していく。

『どうだ、これなら通じるか？』

「！、 日本語ッ！！」

　突然、聞き慣れた言語に変わった。

　巨人は構わず言葉を続ける。

『どうだと聞いておる』

「あ、あぁ……問題ない。その言葉なら分かる」

『なら、よい。さて——異邦の客人よ。我の守り手（ガーディアン）を倒したのは、そなたで間違いないな？』

　守り手（ガーディアン）？

　あの牛のことか？

「ッ、すまん。アンタの仲間だったか」

『まさか。気まぐれで造ったものだ、情などない。それよりもだ』

「？」

『強かったか？』

「？？？」

『どうなのだ』

「……迫力はあったけど、その……頭、蹴ったらすぐ破裂したから……よくわかんねぇ」

　思ったことをそのまま口にした。

『破裂だと！？ ゴホッ……ヌハハハッ！ ！我が遣わしたる守護者を、斯様（かような）な言（げん）で一蹴するか！ なんたる豪胆さよ！ヌハハハハハハ！！』

　ゴホゴホと咳き込みながら大笑いしている。

　玉座に根を張った巨体が大きく揺れ、部屋に木の根が擦れる音が反響する。

　めちゃくちゃ、うるせぇ。

『ゴホッゴホッ、いやはや、すまん。久方ぶりに口を開いたものでな………それにしても、稀有（けう）な存在（モノ）が現れたものだ』

　太い根の腕を玉座に置いて体を支え、こちらを見つめている。

　物珍しい、そういった様子がありありと伝わった。

「あんた……俺のこと、知ってるのか？」

『知らぬ。だが、感じる。そなたがこの世の理から外れた存在だということを。転生は輪廻の定めに従うが、転移は別。どうやら、何者かの手によって、この世界に迷い込んだようだな……』

「……誰に？」

『我はこのダンジョンの深奥に根を張る者。そなたを引き寄せたモノの正体までは知らぬ。されど……』

　言葉を切り、樹皮の顔をわずかに傾ける。

『導くことはできる』

　なに考えてんのか、読めねぇ。

　こいつの物珍しげな視線も、腹の底に響くような声も、なんかもう全部が気持ち悪い。

「アンタ、何者だ？」

『見て分からぬか。我が名は、ハディ——この深淵の門。ダンジョンの主にして、この世の神と呼ばれし存在（モノ）なり』

　いや、全然分からん。

　自称じゃないかとすら思う……。

　というか、導くって言ったけど、手を貸してくれるってことか？

　宗教勧誘？

　どっちだ？

『何をブツブツ言っておる。ここはそなたの言うところのボーナス部屋。攻略者に褒美を与えるのは、当然であろう』

「！？」

　口に出していない。

　しかも、石扉を開けたとき、頭で考えていたことをピンポイントで突いてきた。

　ゴクッ

「俺の……頭、覗けるのか？」

『フッ、それだけではない。その面（めん）の奥、驚きを隠しきれぬ素顔も、丸見えだ』

「……………」

『変顔しても無駄だぞ』

「……………」

　なるほど。

　どうやら、マジだ。

　巨人じゃなくて、巨神ってか。

『さて、客人よ。何を望む？ 願いを言ってみよ』

「願い………」

　言葉に詰まる。

　いつも、むしゃくしゃしていた。

　人生、やり直したい。

　こんなクソみたいな戦いから解放されたい……と。

　 金銀財宝も、伝説の武器も、本当は別に欲しくない。

　ただ純粋に、俺が今、求めるものは——。

「……なんでこの世界に呼ばれたのか。その理由（ワケ）を知りたい」

　ハディの眼窩が俺を捉える。

『願いは決まったな』

　ハディの胸元が動いたかと思ったら、小さな玉が現れる。

　根を伸ばし、俺に差し出す。

『これを授ける』

　臓物みたいな、ぬめぬめした肉の根だった。

　表面が脈を打っていて、じゅくじゅくと湿った音を立てて粘液を滴らせている。

　ひゅっ

　ゾワッと鳥肌が立つ。

「え、え、なにこれ……きっしょ……」

『他の神を探せ、出会ったなら、これを見せよ。そなたの力になってくれよう』

「ねぇ、どうしても、受け取らないとダメなのかな、コレ。推薦状みたいなものなら、別にメモ紙とかでも……」

『願いを放棄することになるが、よいのか？』

「………」

　見ているだけで、背筋に寒気が走る。

　吐きそうになるが、巨神の言葉には妙に引き込まれる重みがあった。

　渋々、そのキモイのを受け取る。

　手にするとピクッと震え、小石サイズに縮んだ。

「うぇぇ……」

　胸ポケットに押し込む。

『そなた、行く当てはあるのか？』

「ねぇよ、来たばっかだぞ」

『知っておる』

「こ、こいつ」

『おまけだ。笑わせてくれた礼にな』

　ハディは続ける。

『この世界の言葉が使えぬとなると、なにかと不便であろう。そなたの知人の許（もと）へ送ってやる』

「知人？」

　天井から根が伸びてきた。

「ちょ、おい」

　全身をスライムごと絡めとられ、根自体が深緑色の光を強く放ち出す。

「ま、待て、なにをッ！」

　空間が歪み、視界が光に飲み込まれる。

『しばし、別れのときだ。願わくは、そなたの新たな人生におおいなる祝福を……』

　ハディの声が遠ざかる。

「ああ、もう！またこの展開かよおおお！せめてどこ行くか、場所くら——」

　そして、光と共に真雲とスライムはダンジョンから姿を消した。

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　余談ではあるが、このハディとの別れから数日後。

　一つの噂（うわさ）が、王都を駆け巡ることになる。

　『ガーディアンを一撃で屠（ほふ）った怪物がいる』

　その噂に誘（いざな）われ、ある者は腕試しに名乗りを上げ、ある者は功績狙いに仲間を集め、ある者は捕食するために密偵を放った。

　真雲の知らぬまま、名だたる者たちがその影を追って動き始めたのだ。