第90話 セレスティーナ視点

 私の世界は光に満ちていた。

 あの日、師匠が私を絶望の淵から救い出してくれてから数週間。

 アストレア・ノヴァの空はまるで私たちの帰還を祝福してくれるかのように、どこまでも青く澄み渡っている。


 私の右腕を蝕んでいたあの禍々しい黒い痣は、もうどこにもない。

 それどころか【原初の涙ティアーズ・オリジン】と世界樹様の祝福を受けた私の身体は、以前よりもさらに清浄な聖なる力で満ち溢れているのを感じる。

 左腕にはリック君が私のために作ってくれた白銀の腕輪が、今も優しい光を放ちながら私の生命を見守ってくれていた。

 これはもう、ただの生命維持装置ではない。

 仲間たちとの絆の証だ。


 私は今、師匠と仲間たち、そしてこの国の民と共に植えた世界樹の若木の前に立ち、静かに祈りを捧げていた。

 白銀に輝く若木はこの地に根を張ってからというものの常に温かい生命力の波動を放ち、アストレア・ノヴァの大地を、そして人々の心を豊かに育んでくれている。


「セレスティーナ様、今日もありがとうございます」

「あなた様のおかげで、うちの子の咳がすっかり治りました」


 祈りを終えると、後ろに控えていた開拓民の方々が感謝の言葉と共に深々と頭を下げてくれた。

 私は慌てて首を横に振る。


「いいえ、これは私一人の力ではありません。この大地を蘇らせてくださった師匠と、この若木がもたらしてくれた祝福のおかげです」


 私のその言葉に、民の方々は「カイト侯爵様と聖女様は、我らが国の二つの太陽だ」と幸せそうに笑ってくれた。


 そうだ。

 この奇跡の全ては、私の師匠、カイト様が成し遂げたこと。

 そしてその師匠が、自らの信条である『効率』と『合理性』の全てを捨ててまで私のために勝ち取ってくれた未来。

 この温かい日常は、師匠のあまりにも人間的で非効率な優しさの上に成り立っているのだ。


 その日の午後、私は天空の尖塔にある師匠の執務室でいつものように彼の補佐をしていた。

 彼はあの日以来、再び以前のような冷徹で効率の塊のようなアストレア・ノヴァの君主の顔に戻っていた。

 大陸全土から『シャドウ』がもたらす膨大な情報を処理し、父君であるアーク様と連携して各国の政治に水面下で干渉し、そしてこのアストレア・ノヴァの次なる発展チャートを寸分の狂いもなく設計していく。


 その姿は以前と何も変わらない、完璧な私の師匠。

 でも、私には分かるのだ。

 時折書類から顔を上げて私の方を見るそのアイスブルーの瞳の奥に、以前にはなかった確かな光が灯っていることを。

 それは全てを『リソース』として見る冷たい光ではなく、私という存在の無事を確かめるような、温かい光。

 その光を感じるたびに、私の胸は温かいもので満たされるのだった。


「師匠、先日リック君が提出した次世代型ゴーレムの設計図です。ボルガン様の承認印も」

「ああ、そこへ」


 私が書類を差し出すと、師匠はそれを受け取りながら、ふと巨大な大陸地図が投影された魔導ディスプレイに視線を移した。


「セレスティーナ」

「はい、師匠」

「お前の身体は、もう万全だな?」

「はい! おかげさまで、以前よりもずっと力がみなぎっています!」

「そうか。ならば、中断していたチャートを再開する」


 その言葉に私の背筋がぴんと伸びた。

 師匠はディスプレイを操作し、大陸地図の上にかつて私たちが戦った『第一魔将』の封印地帯と、オルベリウスたちから得た裏切り者たちのネットワーク図を重ねて表示させた。


「第一魔将は駆除し、裏切り者たちも粛清した。だがそれはメインシナリオの序章に過ぎん。俺の知識とその後の『シャドウ』の調査によれば、魔王軍の本当の脅威は大陸の地下深くに張り巡らされた古代の転移ゲートネットワークだ。そしてそのネットワークの中心ハブであり、第二の魔将が眠る封印の地が、ここだ」


 師匠が指し示したのは、ヴァルハイト帝国の遥か南、地図の上ではただの巨大な砂漠として描かれている『虚無の大砂漠』だった。


「次の目標は第二魔将の完全なる封印、及び、転移ゲートネットワークの破壊。これが魔王復活という最悪のイベントを阻止するための現時点での最適解だ」


 その壮大な計画に私は息を呑んだ。

 師匠は私に向き直ると、その瞳で私をまっすぐに見据えた。


「セレスティーナ。この作戦において、お前には二つの重要な役割を担ってもらう。一つは、シルフィードの航行支援。虚無の大砂漠は強力な幻惑と空間歪曲の結界に守られている。お前の聖なる力で航路を浄化し、シルフィードを導け。そして、二つ目」


 師匠はそこで一度、言葉を切った。


「この世界樹の若木とお前の魂を同調させ、アストレア・ノヴァ全土を覆う超広域防御結界の『礎』となってもらう。俺たちが不在の間、万が一にもこの国に脅威が及んだ場合、お前が最後の砦だ。できるな?」


 それは私の想像を遥かに超える、あまりにも重く、そして名誉ある任務だった。


 この国を守る、最後の砦。

 師匠が私にこの国の未来を託してくれている。

 その事実が私の魂を震わせた。


「――はいっ、師匠!」


 私は胸に抱いた聖剣〈光の解放者〉の柄を強く握りしめ、これまでで一番力強く、そして晴れやかな声で答えた。


「この身に代えても、あなたの国を、あなたの帰る場所を、守ってみせます!」


 私の返事に師匠は初めて、ほんのわずかだが満足げな笑みを浮かべてくれた。

 それは最高の『リソース』を手に入れた時の傲慢な笑みではない。

 最高の『相棒』の成長を喜ぶ、優しい笑みだった。


 私の、いや、私たちの本当の戦いは、まだ始まったばかり。

 でも、もう何も怖くはない。

 だって私の隣には、世界で最も頼もしい私のたった一人の師匠がいるのだから。

 そして私はもう、ただ守られるだけの存在ではないのだから。




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第二部・完

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