第50話 王女クリスティーナ

 学園の保健室、その清潔なシーツの上でアレンは目を覚ました。

 彼の全身を包むのは、心地よい疲労感と、今まで感じたことのない確かな高揚感だった。


「あ、アレン! 気が付いたんだね!」


 隣のベッドからミリーが安堵の声を上げる。

 彼女の顔にはもう以前のような怯えの色はない。


「悪かったな、アレン。最後の最後で俺が踏ん張りきれなかったばっかりに……。だが凄かったぜ、お前のあの魔法! あのデカブツが確かに怯んだんだ!」


 腕に包帯を巻いたトークもまた、悔しさと、それ以上の興奮を隠せない様子で言った。

 ゴブリンチャンピオンとの死闘は、彼らの中から『怖がり』と『気弱』というデバフを綺麗に消し去ってくれたようだった。


「ううん。僕だけじゃない。みんながいたから……。それに、最後はあいつが……」


 アレンの脳裏に傲慢な銀髪の少年の姿が浮かぶ。


「ああ、カイト・シレンか。ほんっとに嫌な奴だけど……あの最後の攻撃がなきゃ、俺たち今頃どうなってたか……」


 トークが複雑な表情で呟く。

 彼らの間でカイト・シレンという存在は、「魔力はないが頭がキレて、いざという時には謎の財力でなんとかする、とんでもなく嫌な奴」という、新たな共通認識で固まりつつあった。

 当の本人は「軽傷だ。時間の無駄だ」と言い放ち、保健室に来ることを拒否したらしい。

 その話を聞き、アレンはまたしても「なんだよ、あいつ!」と悔しそうに唸るしかなかった。



   ***



 その頃、Aクラスの生徒たちが使う豪奢なラウンジでは別の会話が交わされていた。


「聞いたか、ガレス。Fクラスの連中がゴブリンチャンピオンに遭遇したらしい。まあシレン家のボンボンが金に物を言わせて切り抜けただけのようだが。運の良いことだ」


 数人の貴族生徒が面白おかしく噂話に興じている。

 騎士団長の息子、ガレス・ヴォルフィードは、その言葉に不快そうに眉を寄せた。


「運や財産に頼るなど騎士の風上にも置けぬ。カイト・シレン……やはりシレン家の恥さらしだな」


 だがその会話を静かに聞いていた王女クリスティーナだけは、違う考えを持っていた。

 彼女は紅茶のカップをソーサーに置くと、その紫紺の瞳に知的な光を宿らせて静かに反論した。


「本当にただの幸運だったのかしら? そして本当に、ただの魔道具の力だったのかしら?」

「と、申されますと、クリスティーナ殿下?」

「あの状況で、あのタイミングで、モンスターの弱点をあれほど正確に撃ち抜く……。それはただの幸運やただの魔道具の性能だけで説明がつくものではないわ。まるで全てが起こることを事前に知っていたかのような……完璧すぎる一撃。私には、そう見えたのだけれど」


 彼女の本質を見抜くかのような言葉に、ガレスたちは返す言葉もなかった。

 クリスティーナの脳裏にはクラス分けの時のあの傲慢な少年の姿が再び浮かび上がっていた。


(カイト・シレン……あなた、一体何者なの……?)


 翌日、Fクラスの教室は昨日までとは打って変わって奇妙な熱気に包まれていた。

 ゴブリンチャンピオンとの一件は生徒たちに、エルゼ先生の指導の有効性を身をもって叩き込んだのだ。

 エルゼ先生は教壇に立つと、俺たちのパーティーをクラス全員の前でこう評価した。


「昨日のカイト・シレンのパーティーの働きは見事だったわ。特にアレン。お前は土壇場で自らの殻を破った。評価する。他の者たちも恐怖を乗り越え自分の役割を果たそうとした。及第点よ」


 彼女からの初めての明確な賞賛にアレンたちの顔がぱっと輝いた。

 そしてエルゼ先生は最後に俺にだけ一瞬意味ありげな視線を送ってきた。

 その目は明らかに「脚本通り、最高の舞台だったわね、監督さん」と、雄弁に語っていた。


(主人公の第一次覚醒イベント、成功。パーティーの結束力、四十五%向上。俺の『無能な金持ち貴族』というカバーストーリーも、より強固になった。完璧な結果だ)


 俺が内心でRTAの進行状況を確認していると、昼休みを告げる鐘が鳴った。

 俺は喧騒を避けるように、一人、中庭にあるあまり人の来ない古い噴水の側へと向かった。

 これも計算のうちだ。

 俺という『ノイズ』に最初に接触してくる最も可能性の高いリソースを、ここで待ち受ける。


「――ごきげんよう、カイト・シレン君」


 予想通り、背後から凛とした鈴を転がすような声がした。

 振り返ると、そこに立っていたのは、護衛も連れずただ一人静かな笑みを浮かべた王女クリスティーナだった。


「これは、クリスティーナ殿下。Fクラスのこの私のような者に一体どのようなご用件でしょうか」


 俺は慌てたように、そして貴族の手本のように、完璧な最敬礼をしてみせる。

 だがクリスティーナはそんな俺の茶番を冷ややかに見つめていた。


「その芝居はもう結構よ。あなたの本当の姿はそんなつまらないものではないでしょう?」

「……と、おっしゃいますと?」

「昨日のダンジョンでの一撃。あれはただの魔道具の暴発ではないわね。暴走したエネルギーをあの短時間で槍の形に収束させ、高速で動く目標の寸分違わぬ弱点に叩き込む。その制御技術と判断力……並の宮廷魔術師にすら不可能よ」


 俺は内心で彼女の評価を上方修正した。


(なるほど。観察眼と分析能力が想定以上に高い。これは面白い変数だ)


 俺は一瞬だけ『無能な貴族』の仮面を外し、アストレア・ノヴァの君主としての冷徹な素顔を彼女に見せた。

 俺のアイスブルーの瞳が射るように彼女を捉える。


「だとしたら、どうだと言うのですか、殿下?」


 俺のあまりの雰囲気の変化にクリスティーナの瞳がわずかに揺らいだ。

 だが彼女は怯まなかった。


「……あなたがその底知れない力を隠し、この学園にいる理由。それが知りたい。あなたは何を企んでいるの?」

「企む、とは人聞きの悪い。俺はただこの学園という実に非効率で旧態依然としたシステムを内側から観察しているだけですよ。実に興味深い『ゲーム』だと思いませんか?」


 俺は彼女に謎を残すように挑発的に笑ってみせた。

 そして再び、うだつの上がらない貴族の少年の仮面を被り直す。


「あ、い、いえ! 今のは、その、物語の読み過ぎで……! わ、私はこれで、失礼します!」


 俺は慌てふためいたフリをして、その場から足早に立ち去った。

 一人中庭に残されたクリスティーナは、俺が去っていった方向をじっと見つめていた。

 その美しい顔には、困惑と、それ以上の強い好奇心が浮かんでいた。


「ゲーム、ですって……? カイト・シレン……。面白いわ。あなたの秘密、私が必ず暴いてみせる」


 一方、廊下を歩きながら俺は冷静に今回の接触を分析していた。


(変数『クリスティーナ』の知性パラメータ、想定より三十%増。今後のチャートに修正が必要だが、より価値の高い『資産』となり得る可能性も浮上。監視レベルを一段階引き上げる)

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