第六幕:光の後を追う者

 彼女がいなくなってから、世界は静かすぎた。


 どれだけ光が差しても、あの人の声が聞こえない。

 どれだけ火を灯しても、あの人の背が見えない。


 副団長セリアは、リリアの葬儀のあとも長く王都に留まり続けた。


 平和は続いていた。

 彼女が命をかけて築いた世界は、確かに残っていた。


 けれど、その平和の中で――セリアは、立ち止まっていた。


 ある日、リリアの遺品を整理するため、囲炉裏のある小屋を訪れた。

 火はもう燃えておらず、灰だけが静かに積もっている。 


 棚の奥。古びた木箱を開けた時だった。


 一冊の手帳。


 それはリリアの手によって綴られた、日々の祈りと記録だった。


 そこに、セリアは目を疑うような一節を見つける。


「もし、この命が尽きるとき、

 “あの人”が本当に“女神のもと”へ還ったのなら――

 私も、そこへ辿り着きたい。

 もう一度だけ、名を呼ばせてほしい」


 その言葉に、セリアは膝をついた。


 胸の奥が痛んだ。

 罪でも、悔いでもない。

 ただ、遅すぎた気づきが、心を突き刺した。


 ――女神のもとへ。


 それは、神官として信じてきた教義とはまったく違う、“個人の祈り”だった。


 けれど、セリアは思った。


 この人がそう記したのなら、

 “本当に何かがあった”のかもしれない――と。


 そこから、彼女の旅が始まった。


 信仰を棄て、名を捨て、ただの巡礼者として各地をまわった。


 祈りの遺跡。

 記録の残る古文書館。

 女神にまつわる伝承が眠る、雪の村や砂の塔。


 そのすべてを踏み越えて、彼女は数十年の時を旅した。


 やがて、老いは確かに体を蝕んだ。

 だが、魂は燃えていた。


 ある晩。

 セリアは、荒野の小さな祠の前で静かに座り込んだ。


 灯された火はなかった。

 ただ、星が降るように輝いていた。


「リリア……あなたに、もう一度、会いたい」


 その言葉とともに、意識が遠のく。


 目を閉じると、風の音が消え、世界が白に染まっていった。 


 ――次に目を開けたとき、

 彼女は“空でも地でもない”場所に立っていた。


 空間に境界はなく、音もない。

 ただ、一人の女神がそこに佇んでいた。


 その姿はあまりにも静かで、温かく――問いも裁きもなかった。


「あなたは、彼女の後を追ってここに来たのですね」


 その声は、胸の奥に優しく響いた。


 セリアは膝をつき、頭を垂れる。


「……私は、何もできなかった者です。

 光に手を伸ばせず、命を守りきれなかった者です。

 でも、あの人が最後に灯した火を――私は、忘れなかった」


 女神はただ、微笑みながら“扉”を指し示した。


 まばゆい光の中、セリアは静かに立ち上がる。


「今度こそ……隣に立ちます。

 あの人の火を、今度は――私が守ります」


 そして、光の中へ歩み出す。


 新たな時を生きるために。

 あの人のそばへ帰るために。


 ――その魂は、再び、火のある世界へと降りていった。

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