第二幕:光と灰の、その先で

 カーテンの隙間から差し込む街灯の光が、部屋の天井を淡く照らしていた。


 日付が変わる少し前。

 真央は、ひとりベッドに横たわっていた。


 部屋は静かで、風の音もテレビの音もない。


 ただ、ベッドサイドの小さなライトがほのかに彼女の横顔を照らしていた。


 瞳を閉じる。


 まぶたの裏に浮かぶのは、

 ――火と光と、祈りの記憶。


 * * *


 意識が遠のいた、その先。


 自分の身体が崩れ、灰となり、空へ昇っていくのを確かに感じた。

 けれど、それは苦しみではなかった。

 冷たくもなく、痛くもなかった。


 ただ――“静かだった”。


 気づけば、自分は白い空間に立っていた。


 空も地も、境界もなかった。


 すべてが無音で、ただひとつだけ――


 女神の姿が、目の前にあった。


 その人は、光を纏いながらも、どこか人間らしい穏やかさを湛えていた。

 笑うわけでも、厳しく咎めるでもない。


「あなたは火を振るい、火を壊し、

 そして“灯す”という道を選びました」


 その声は、まるで胸の奥に直接響くようだった。


「あなたが断ち切ったのは“偽りの信仰”です。

 それは人々の痛みと血で築かれたもの。

 あなたの行いは、この世の理を歪ませ、そして救った」


 リュシア――かつての自分は、何も言えず、ただ立ち尽くしていた。


 けれど、女神は微笑んだ。


「あなたの魂に報いるべく、私は“選びの機会”を与えます」


「選び……?」


「そう。あなたは、自らの生を終えた。

 しかしその魂は、まだ生きようとしている。

 それならば、望みを言いなさい。あなたにふさわしい世界で、もう一度生きていい」


 その言葉に、リュシアは目を伏せた。


 いくつもの顔が浮かぶ。


 火の中で命を落とした者たち。

 かつて自分に剣を向けた神官たち。

 そして――リリア。


 「わたしは……たくさんの命を、抱えすぎた」


 小さく、ぽつりと漏らす。


 「それでも、リリアは私を抱きしめてくれた。

  怖かったのに……それでも笑ってくれた。

  私は、彼女の光を守るって決めたのに――」


 そこまで言って、リュシアはふと、口を閉じた。


 そして、言う。


 「もう、火はいらない。

  剣も、加護も、祈りも、魔力も。

  私はただ、誰かの朝に間に合う生活がしたい。

  目覚ましで起きて、朝ごはんを食べて、

  誰かに“おはよう”って言える――そんな、生き方を」


 女神は、それを否定しなかった。


「穏やかで、静かな生。

 火も剣もいらない、“ただの人”としての人生。

 ――ならば、それを与えましょう」


「名前は? 姿は?」


「新たな名、新たな肉体。あなたの魂に馴染むよう、こちらで選びます」


「……でも、ひとつだけ、お願いしてもいいですか」


「なんでしょう」


 そのとき、リュシアは初めて、ほんの少し笑った。


 どこか寂しげで、それでも希望のある笑み。


「……もしも、また彼女に出会えたなら。

 そのときは、“もう一度だけ”……抱きしめさせてほしいんです」


 女神は頷いた。


 そして、光が差した。


 白い空間が遠ざかり、

 意識がふたたび“時間”という川に落ちていく――


 ***


 「……ん……」


 真央は、ゆっくりと目を開けた。


 見慣れた天井。


 さっきまで見ていたのは夢か、それとも記憶か。


 それはもう、彼女自身にもわからない。


 ただ――確かに感じていた。


 あの時、自分は「生きる」ことを選んだ。


 もう火を振るうことも、誰かを守る使命もないけれど。

 この“普通の生活”の中で、

 たったひとつの祈りを、静かに灯している。


 そろそろ午前0時。


 真央はそっとベッドから起き上がり、

 窓の外に浮かぶ街の明かりを、じっと見つめた。


「……この世界で、また――会えたらいいな」


 誰に向けたとも知れないその言葉は、

 カーテンの向こうで、風に溶けていった。

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