第8章 祈りに終止符を

第一幕:最後の命令

 重い扉が閉まる音が、地下裁定室の石壁に鈍く響いた。


 ここは神聖国家の中枢、大聖堂の地下にある審問の間。

 祈りと真理を語るべき場所が、今は裁くための舞台と化していた。


 中央に立たされたのは、副団長セリア・フェルネと、聖球騎士団の一部精鋭たち。

 彼らの周囲を囲むように、神官たちと神官兵が並び、

 その背後には、純白の神旗と審問官の一団が構えていた。


「――罪状、確認。魔族と接触、裏切りの疑いにより、異端と見なす」


 審問官の言葉は、まるで最初から決まっていたかのように冷たく響いた。


「異議申し立てはあるか?」


 セリアは、まっすぐに顔を上げた。


 その目は、疲れてはいたが、決して濁っていなかった。


「私たちは、ただ“見たこと”を報告しに来た。それだけです」


「“見るべきでなかったもの”を見たとでも?」


 誰かが冷笑した。


「信仰とは、揺らぐべきものではない。

 その時点で、お前たちは“信徒”ではない」


「それでも、わたしは――」


 言いかけたセリアの言葉を遮るように、

 神官兵たちが前に出た。


 鎧の擦れる音。剣を抜く音。

 まるで儀式のように整った所作だった。


「聖球騎士団副団長セリア・フェルネ及び随伴部隊、

 拘束、ならびに全員の再教育処置を行う」


(……最初から、そのつもりだったんだ)


 セリアは、冷静に周囲を見渡した。

 騎士たちの間に、わずかな緊張が走る。


 けれど、目に宿るのは恐れではない。

 信頼。――副団長への。


 セリアは、剣に手をかけなかった。


 代わりに、大きく息を吸い、言い放った。


「全員、散開! 命を最優先に、撤退せよ!」


 その言葉が合図だったかのように、騎士たちは一斉に動いた。


 神官兵たちの囲みを突破する者、上部通路へ抜ける者――

 迷いはなかった。訓練された動き。

 副団長の声が、何よりの号令だった。


 セリアは最後まで、その場に残った。


 剣を抜かず、神官たちを睨みつける。


 振り返らない。

 逃げる背中を見送らない。

 ただ前を向いて、“時間”だけを稼ぎ続ける。


「――あなたの信仰は、すでに失われているのではないか?」


 神官が嘲るように言った。


「それでも、まだ守れる者がいるなら、

 私は“副団長”でいることを選びます」


 その瞬間、背後の壁が爆ぜた。


 煙と瓦礫の中から、飛び込んできたのは――

 騎士団の若い隊士たちだった。


「副団長、下がってください!」


「あなたは、生きていなきゃいけない人です!」


「……ばかっ……! 戻るな!

 私はいいから! お前たちは……!」


 セリアが声を荒げたその時――


 別の方向から、ゆっくりと歩み出る者たちがいた。


 年配の隊士たち。

 無言のまま前へ出て、剣を構える。


 ひとりの老騎士が、セリアに向けて小さく目配せした。


「副団長。我々が残ります」


「だめだ、そんなこと――!」


 しかし、老騎士は淡々と言った。


「俺たちは、血を流しすぎた。命を刈りすぎた。

 それに目をつぶり、何も言わなかった。

 それでも……次の世代に謝る方法があるとすれば」


 彼は、若い隊士たちを振り返り、深く頷いた。


「副団長や、こいつら若いのを――生かすことです」


 他の老兵たちも、ひとり、またひとりと前へ出る。


 震えはない。


 ただ、静かに、最期を選んだ目をしていた。


「ここは……俺たちの死場所だ」


 若い隊士が、嗚咽を漏らす。


「でも、副団長だけは……生きていてほしいんです。

 それが、リリア様が託した願いなんだと、私たちは信じてます」


 セリアは、崩れそうになる足を必死に踏みとどめた。


 誰よりも強かったはずの自分が、今は――こんなにも脆い。


「……全員、命令に従え。

 私は……ここでは終わらない。あなたたちの“火”を、繋ぐ」


 そして、背後の通路へ退きながら、最後に言った。


「ありがとう。……また、どこかで、火を囲めたらいい」


 その背に、老兵たちの声が届く。


「必ず、そうなりますように――副団長!」


 炎が爆ぜ、崩れた石の壁がふたたび塞がれた。


 騎士団の一部が、火に包まれる神聖国家の中心から脱出する。

 その後ろには、幾つもの誓いと、血と、そして“守られた火”が残されていた。

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