第四幕:夜を越えて、火を抱いて

 朝焼けが、焦げ跡の残る大地に差し込んでいた。


 焚刑場跡に吹く風は、昨夜よりもずっと柔らかい。


 鉄の鎧を着た者たちと、火を囲む者たちが、静かに対峙していた。


「……ここで別れましょう」


 リリアの言葉に、聖球騎士団の誰も返事をしなかった。


 ただ、副隊長のセリア・フェルネだけが、確かに頷いた。


「この火を、祈りと呼べるのか――私には、もうわかりません。

 でも、わたしはこの目で見ました。

 あなたが“焼かずに守った”ということを」


 剣を地に伏せた騎士たちの前を、リリアは静かに歩き出す。


 子どもたちがその後をついてくる。


 その背には、鉄球。


 でももう、その重みは誰かを砕くためのものではなかった。


「リリア」


 振り向いたリリアに、セリアはまっすぐな目で告げる。


「私は、教会に問いただします。

 この目で見たことを、耳を塞がずに伝えます」


「……ありがとう」


 微笑むリリアの声は、疲れていた。

 けれど、確かに晴れやかだった。


 別れ際、騎士の一人がぽつりと呟いた。


「また、どこかで火を囲めたらいいな……」


 その声を、風がさらっていった。


 ***


 リリアは、魔王城の手前、城下の広場で足を止めた。


 街の治安を守る魔族の衛士が、彼女の姿に驚いて駆け寄ってくる。


「この子たちを……ここに、お願いできますか?」


 声をかけた相手は、城下の孤児院を管理している女官だった。


 リュシアに手配されていた場所。

 “魔族も人間も混ざって暮らせる”という実験的な場。


 子どもたちは、少し不安そうにリリアを見上げる。


 リリアはしゃがみこみ、小さな手をひとりずつ握った。


「大丈夫。あなたたちの火は、ここでちゃんと燃える。

 ……また、会いにくるから」


 子どもたちが、静かに頷く。


 声の出せない子が、手のひらで“ありがとう”の合図を鳴らした。


 それが、胸に響く音だった。


 ***


 そして、ようやく辿り着いた――魔王の待つ城。


 重厚な扉が開いたとたん、リリアの足が止まった。


 赤みを帯びた銀の髪。

 深紅のドレスをまとった大きな姿が、ゆっくりと近づいてくる。


「おかえりなさい。私の可愛い、正義の使者さん」


 その声を聞いた瞬間、リリアは力が抜けたように立ち尽くした。


 鉄球が、地面に落ちて、鈍く響く。


 そのままリリアは、魔王リュシアの胸に倒れ込んだ。


 大きな腕が、そっと彼女を抱きしめる。


「もう、大丈夫。誰もあなたを、焼いたりしないわ」


「……っ、ん……」


 肩が小さく震えた。

 でも、涙は出なかった。


 それでもリリアは、その腕の中にいるだけで、救われていた。


 ***


 夜。


 湯上がりの部屋。

 髪を拭かれて、ふかふかのバスローブに包まれたリリアは、

 大きめのソファの上で、リュシアに膝枕されていた。


「ほんとうに……全部、ひとりでやってきたのね」


「……甘やかされる準備、ずっとしてたんですけど……こんなふうになるとは……」


「じゃあ、今から全部取り返すわよ。ほら、こっちにおいで。よしよし」


「や、やめてくださいっ……!」


「おでこにキスもしちゃおうかしら」


「それはずるい……っ」


 くすぐったい声と、笑いと、深い安堵。


 この静かな夜は、“焼く火”ではなく、“灯す火”だった。


 そして、リリアはようやく――


 ぽつりと呟いた。


「……私はもう、壊すために鉄球を振らない。

 誰かの祈りを焼かない。

 私は――壊さずに、火を抱いて生きる」


 リュシアは、そっとその頭を撫でながら答えた。


「ええ。あなたは、もうそのままで、十分強いわ」


 夜が深まっていく。


 火は静かに灯り、

 そのぬくもりの中に、リリアの新しい“祈り”が、確かに宿っていた。


 ―――第7章:完。

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