第四幕:その祈りは、誰を救うのか
魔族の町の一角――
石畳の道の先、古い礼拝堂跡地に、旅の一団が足を止めていた。
フードを被った祈祷服の男と数人の護衛。
年齢はリリアより少し上。すらりとした体格。無駄のない動き。
その姿を見た瞬間、リリアの中に冷たい緊張が走った。
(――教会の……?)
だが、よく見ると彼らの紋章は、正式な教団所属ではない。
“人間の信仰を掲げて入境したが、戦闘の訓練を積んだ巡礼者”――
つまり、斥候部隊の擬装だ。
リリアは足音を殺して接近する。
男は、町の広場に向かって、聖書を開きながらこう唱えていた。
「この地の汚れを、神の火にて浄めたまえ――」
「その祈り、誰に向けて言ってるの?」
声が割り込んだ。
祈祷者の言葉が止まる。
ゆっくりとフードを下ろし、彼はリリアをまっすぐ見た。
「ほう。こんなところで“鉄球の聖女”と出会えるとはな」
「私は、もう“聖女”じゃない」
鉄球を引きずるように一歩、踏み出す。
町の子どもたちが、遠くから様子を見ているのが視界の端に映った。
彼らに、“この光景”を見せたくない。
「あなたのその祈り。
“火で浄めよ”と唱えながら、ここに生きてる人たちをどう見てるの?」
「“人”ではない。魔を討つは正義。
それは教典の最初の章に書かれているだろう、聖女殿」
「それが“正義”なら、私はその正義を捨てる」
静かな怒りが、声に宿る。
「“祈り”は、誰かを守るためにあるもの。
あなたのそれは――誰かを焼くための呪いだ」
「ならば、我々の敵だな。
人間でありながら、魔王の下僕となった異端者め」
「……言ってくれる……ね……」
拳に力が入る。
鉄球が、わずかに揺れる。
このまま――振ればいい。
この男を黙らせるだけなら、容易い。
でも――リリアは、動けなかった。
瞼の裏に、あの日の炎が浮かんだ。
少女を焼いた、“祈りの火”。
過去の自分が重なる。
(私がこれを振ったら――私は、あの時の人たちと同じになる)
男の手が、懐に伸びかけた。
それを止めたのは、リリアの叫びだった。
「祈りを口にするなら、あなたはまず――この町の子どもたちの目を見てから言いなさい!!」
男の動きが止まる。
リリアの声は、広場に響き渡った。
「この場所に、牙も角もない子たちが生きてる。
笑って、歌って、触れ合って――
あなたの“神の火”が焼くのは、そういう子たちよ!!」
男が何かを言おうとしたそのとき、周囲の空気が変わった。
商人たち。農夫。妖精の子ども。スライム娘。
みんなが静かに、リリアの背後に立っていた。
言葉もなく、ただ“そこにいる”ことで、リリアを支えていた。
「私は、もう“人間”じゃないのかもしれない。
でも、“誰かを守りたい”って思う心は、どっちにもあるはずよ」
沈黙ののち、男は――憮然と顔をゆがめ、踵を返した。
「……汝、自らを神の外に置きたもうたか。
ならば、いずれその報いを受けるがいい」
その言葉に、リリアはこう返した。
「“神の言葉”を自分の憎しみで汚したのは――あなたよ」
斥候たちの姿が遠ざかるのを見届け、リリアはその場に崩れ落ちた。
呼吸がうまくできない。
手が震えていた。
(怖かった……でも……振らなかった……!)
鉄球は、何も壊さなかった。
それが、いまの彼女にとって、最大の“選択”だった。
***
夜。魔王城。
リリアは風呂上がりのまま、絹の部屋着でベッドに腰かけていた。
震えが、まだ残っていた。
そんな彼女の手を、魔王リュシアはそっと両手で包んだ。
「あなたは、もう“あなた自身”として、生きてる」
そして――
手の甲に、そっと口づけを落とした。
「あなたの祈りが、誰かを救える日が来る。
私は、それを信じてるわ」
リリアは、魔王の肩にそっと身を預けた。
「……私、魔族でも人間でもないかもしれないけど……
リリアとして、誰かの隣に立てるなら――それでいい、って思いました」
その夜、リリアは自分の中にあった“火”を静かに見つめながら、
眠りについた。
それは、かつての“神の火”ではない。
誰かを守るための、小さな“灯火”だった。
――第4章:完。
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