第四幕:新しい祈り、新しい手

 夜の魔王城は、しんと静まっていた。


 リリアは、ベッドの上に座ってノートを開いていた。


 白紙だったそのページに、少しずつ、自分の言葉を刻んでいく。


「――異端を焼くのではなく、理解を。

 罪を憎むのではなく、痛みを知る祈りを」


 ペンを置いて、そっと息を吐く。


 これは教会から与えられた祈りじゃない。

 誰かに習った呪文でもない。


 自分の中から生まれた、“新しい祈り”だった。


 魔王リュシアがそばで見守っていた。


 蝋燭の火が、彼女の長い髪を金色に照らす。


「……それが、あなたの“祈り”なのね?」


「……はい。……たぶん、間違ってるかもしれません。

 でも、これが今の私にできる精一杯なんです」


 魔王はなにも言わず、ページを見つめていた。

 そして静かに、紅茶を差し出した。


「ありがとう、リリア」


「え……? なんで魔王様が、私にお礼を……?」


 魔王は、ほほえむ。


「私はね、ずっと“憎しみ”で生きてきたの。

 奪われたものを数えて、そこにある空白に名前をつけてきた」


 リリアは、胸が締めつけられるような思いで彼女を見つめた。


「でも、あなたがその空白に“祈り”を置いたとき、

 はじめて私の中に――“あたらしい何か”が芽生えた気がするの」


 それは、“希望”という言葉に近いのかもしれない。

 けれど、希望と呼ぶには、あまりにも優しくて、慎ましくて。


 それは、小さな手の中にある種のような――ものだった。


「……魔王様」


「うん?」


「……私、もう一度、“鉄球”を持ちます」


「……」


 リリアは、ゆっくりと立ち上がった。

 ベッドの脇に置かれた鉄球を、両手で抱きしめる。


 重たい。

 でも、昨日までとは違う“意味の重さ”がある。


「これからは、誰かを壊すためじゃなくて、

 “誰かの想い”を守れるように、使いたい」


 魔王は、ゆっくりと頷いた。


「それは、私の望みでもあるわ」


「え?」


「いつか、誰かが“壊さない力”を示してくれること。

 それができるのは、私ではなく――あなたみたいな子だと思ってた」


 リリアの胸の奥が、温かく満たされていく。


 まるで、その言葉が、鉄球の重さを少しだけ軽くしてくれたようだった。


「ふふ。……“子”扱いはそろそろやめてくださいね」


「あら? でも、ちっちゃくて可愛いもの」


「ちっちゃくて、ちょっとダサいって自分で言ったら、もう誰も庇ってくれなくなりますよ?」


「それでも、私はあなたを誇りに思ってるわよ。ちっちゃくてもね」


「うう……やっぱりちっちゃいは不動なんですね……」


 ふたりの笑い声が、夜の寝室にやさしく響く。


 そのあと、魔王は立ち上がり、そっとリリアに向かって手を差し出した。


「手、貸して」


「え……?」


「ドレスを着せるわよ。“お姫様”じゃなくて、“戦う女の子”用のドレス」


「えええ!? また着替えですか!?!?」


「今日は特別。あなたの門出の日だから」


「……うぅ、甘やかしのくせに、そういうとこ律儀……」


 それでも、手を取った。


 小さな手は、大きな手にしっかりと包まれた。


 その夜、リリアは自分の祈りを胸に刻み、

 “新しい鉄球の意味”を抱いて眠りについた。


 そして夢の中で、あの日の少女――魔王の娘が、笑ってくれていた。


 ――第3章:完。

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