第四幕:あの日、火の中にいた子
夜、リリアは浅い眠りのなかにいた。
まどろみの淵で、なにかを呼ぶ声がする。
遠くで、かすかに揺れる火の音。誰かのすすり泣く声。
気づけば、足元が熱かった。
(……夢、だよね……?)
気づくと、あたり一面が薄灰色の世界だった。
煙が立ちこめ、赤く光る炎が、空を裂いていた。
焼け焦げた木々。ひしゃげた鍋。落ちた人形。
その真ん中に――ぽつんと、ひとりの少女が立っていた。
背丈は、リリアとそう変わらない。
けれどその背中には、獣のような尾があり、耳が尖っている。
淡い金髪。白い肌。大きな瞳。
少女はただ、黙ってこちらを見ていた。
「……あなた、は……」
声が震える。
わかっている。この子が、誰なのか。
聞いた名前はない。けれど、その姿は――
きっと、魔王の話に出てきた“娘”だ。
火の粉が舞うなかで、少女は小さく微笑んだ。
「わたしのこと、見えるんだね」
「うん……」
「なら、大丈夫。……あなたは、間違えないと思うから」
「……間違えないって、なにを……?」
少女は、言葉の代わりに、小さな手をリリアの胸に添えた。
その手が、すこし熱い。
「その“痛い気持ち”、ずっと忘れないで。
誰かの痛みを知るって、ほんとは、とってもこわいことだから」
「……うん……」
「でも、それを忘れなければ、きっと――
誰かを、“守れる”人になれるよ」
リリアは泣いていた。
言葉にならないほどの、感情の波が押し寄せていた。
この子は、誰にも救われなかった。
ただ、世界の都合で“悪”にされ、火の中に捨てられた。
けれどその瞳は、なぜかあたたかく、やさしかった。
「……ありがとう……」
そう言ったとき、すべてが音もなく崩れ落ちていった。
火も、煙も、少女の姿も。
***
「……っ! はっ……!」
目が覚めると、そこはあの柔らかな寝室だった。
魔王が、隣に座っていた。
リリアの手を、静かに握っている。
「……うなされてたわ。ごめんなさいね。
少し、見てしまったの。夢の中を」
「……いいんです。見てもらえて、よかった」
リリアは、まだ涙の跡が残る目で、魔王を見上げる。
「……娘さんに、会いました。夢の中で。きっと、あれは――」
「……ええ、わかってる」
魔王の声も、少しだけ震えていた。
でも、その目には、優しさが満ちていた。
「リリア。あなたは、あの子に似ているの」
「……見た目、ですか?」
「いいえ。目の奥の、“信じる力”が」
静かに言われたその言葉に、リリアは小さく笑った。
「私……ちゃんと、変わりたいです。
“聖女”じゃなくて、“リリア”として」
魔王は、しばらく黙っていた。
やがてそっと、彼女の頭を撫でた。
「――じゃあ、これからは“あなたの名前”で、世界を知っていきましょう」
その言葉は、魔王としてではなく、一人の“かつて母だった者”としての声だった。
「……ただし。勉強したら、ご褒美は忘れないでくださいね……」
「ふふ、もちろんよ。今日は何がいい?」
「……な、なでてもらうのは……その、なんか……安心するので……」
「素直でよろしい」
そう言って、魔王は彼女をそっと抱き寄せた。
その大きな腕のなかで、リリアは少しだけ、鉄球の重さを忘れた。
胸の奥に、確かに残る少女の声。
火の中で笑っていた、忘れられないその子の祈り。
それを抱きしめて、リリアはそっと目を閉じた。
世界はまだ、あまりにも複雑で、痛みを含んでいて。
でも――きっと、向き合える。
これからは、“知らなかった”では済まさないように。
――第2章:完。
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