12.Connecting lost memories
朝から甘くて栄養のある物をしっかり食べて、普段の月曜日よりは幾分体は軽いが……それにしても怠いのは怠い。
体を引きずるように聖堂の清掃をして、外の掃除はいつも通りスキップ。空気を入れ替えるために窓を開け、崩れ落ちる様に長椅子に腰を下ろした。
「はぁ……」
ため息を吐いて祭壇を眺める。
極夜から「どうせ昼食は食べられないだろ」と先手を打たれているので、後は夕方までここにいればいいだけだ。
――祈る気力もない。
祈ったとしてもどこにも届かないのだから。
苦しい、怖い。
その感情の源泉がどこにあるのか、そろそろ俺は気付き始めていた。
無い記憶。
この一週間、極夜が何度もほじくり返そうとしていた俺の過去。
ぐにゃりと長椅子に横になる。座っているのも辛い。体力がないというのも困りものだ。
横になったまま、ぼうっと主の像を視界に収め……ポツリと呟いた。
「記憶……記憶……」
頭痛が主張しだす。
ただでさえ、今朝から原因の分からない頭痛がするというのに。
「……痛い……」
目を閉じる。
瞼の裏に、いつもの夢が流れだす。
もう記憶するほどに見た夢は、脳内での再生が容易だ。
――赤い悪夢。
ずっと俺を苦しめていた無い記憶。
蕩けるような赤が、橙色に変わり、とうとう手を繋いで、帰ることが出来た。
「……夢が変わった……手を繋いで、帰る日が来た……」
「自力で思い出したのか?」
不意に声が降って来て、目を開けることなく呟いた。
「極夜……聖堂には入ってほしくないのですが……」
「どうせ誰も来ないんだろう、今日は?」
「来ません、けど……」
横になったまま起きられない。
俺の頭の横に、極夜が座った。
そっと、俺の髪を撫でる極夜の手。
「――そろそろ、お前を助ける時が来た」
「知りません……助けるって、この苦しさから助けてくれるとでも?」
「そうだよ」
はっきりと言い切った極夜は、ふわふわと俺の髪を撫でながら続ける。
「お前が鎖した記憶を繋ぐ。それで解決だ」
「馬鹿なことを……それとも、母さんにしたように、私も騙すんですか?」
ピタリと極夜の手が止まった。
――なんだ……やっぱりそうなのか。
諦めと、同量の失望。
だが、そんな俺の思いは極夜の優しい声で緩やかに包み込まれた。
「お前を騙す必要なんてないよ。お前は記憶を消したんじゃない。ただ、辛い記憶を取り出せないように、断線させただけだ」
「……」
目を閉じて、じっとその言葉を聞いている。
「だから、俺が繋ぎ直す――さぁ、始めよう。白夜、お前は今から、あの日に帰るんだ」
意味が分からない。
分からないけど、もうどうでもよかった。
神の家で、神などいないと喚いて苦痛に満ちた日々を送るぐらいなら。
もう……あの日に、帰ればいいんだ。
全てが始まった、全てが終わった、あの日に。
「白夜、あの日、お前はどうしていた?」
極夜の声に半ば自動的に口を動かしていた。
脳が勝手に稼働してる。
「■■と、遊びに行った……いつもの公園……」
「夕陽が世界を橙色に染める中、お前は公園から家へ向かう」
「そう……手を繋いで、二人で、家に……」
俺がゆるりと持ち上げた手を、ぐい、と極夜が取った。
――手を、繋いだ。
瞼の裏の世界が、ぶわっと橙色に染まる。
「さぁ、戻れ戻れ。お前はあの日、手を繋いで歩いていた。家に向かって、公園から帰るところだった」
「……」
極夜の声が繋ぐ。
今の俺と、夢の中の僕の、断絶していた世界を。
「■■、ね、今日は夜ごはんなにかな?」
「お母さんは白夜の好きなものばっかり作るんだもんなー、俺はお兄ちゃんだから白夜の好きなものでもいいけどさー」
「■■も僕も、同じ日に生まれたんだから、どっちがお兄ちゃんとかないよ」
「だーめ、俺がお兄ちゃん。白夜は可愛い弟」
「じゃあ、デザートのプリン、僕にくれる?」
「一個ずつ食べて、もう一個ならな」
「じゃあ■■がお兄ちゃんでいいよ」
何でもない会話、いつもの二人の会話、公園から家までの帰り道の会話。
「お兄ちゃん……」
「双子のお兄ちゃん」
「そう……双子の、お兄ちゃん……」
戻ってくる、戻ってきてしまう。
ほら、もうすぐそこまで。
■■と繋いでいる手に少し、力が入った。
だがそれ以上に、■■の手が優しく僕の手を握っていた。
「大丈夫、お前の傍にはお兄ちゃんがいるんだから」
じゃあ、もう、思い出してもいいんだ?
あの、とてもこわいきおくを。
「あれ……ねぇ、なんだろう、あれ?」
「?――白夜? なんだ?」
「ほら、あそこ、穴が開いてるよ?」
「穴? そんなのないよ、白夜?」
「あるよ、ねぇ、変だよ、穴から手が出てる……僕を呼んでる……」
「白夜!?」
「聖なる子……僕、そんなんじゃないよ……?」
「白夜! 穴って……手が、生えて……あれか!?」
「どうしよう……行かなきゃいけないの?」
「白夜」
――手が、離れた。
振り払うように、僕の手を離した途端、傍らの半身が走り出す。
名を呼んだ、はずだ。
「■■?」
夕陽を背負って影になった顔で、口元が安心させるように笑みに形になる。
「良い子で待ってるんだよ、白夜?」
「■■……なに?」
「迎えに来るから」
パっと背を向け、伸ばされた手に向かって走って行った姿が、穴の中に吸い込まれるようにして、消える。
「きょくや……?」
零れた名前。
「……」
離すまいと握っている手に力を込めた。
もう、置いていかれたくない。
「極夜……極夜ぁぁぁ!!」
悲鳴。
自分の声だと思えないほど、悲痛な声。
全身に冷汗が吹き出す。
頭痛が酷くなり、呼吸が不安定になる。
苦痛から逃れたくて体を丸めようとした時、優しい、優しい声が耳に届いた。
「さぁ、悪夢は終わりだ、白夜。目を開けて、ちゃんと見てみろ」
「……」
恐る恐る、瞼を持ち上げる。
そこには、僕と同じ顔をした、僕の半身が。
「極夜……?」
「お帰り、白夜。――良い子にしてたか? 迎えに来たぞ」
「あ……」
苦痛を押し流すように、断絶していた記憶が一斉に流れ込んでくる。
いつもの帰り道、いつもと違った結末、誰も憶えていない存在、それでも忘れられなかった僕は……!
「怖くて、悲しくて、忘れてしまうのが嫌で、でも、帰ってこない……帰ってこなかった!」
「帰ってきたよ、随分、時間はかかったけど」
淡々としているけれど、穏やかな声色だった。
「今から五年後……俺が戻ってきた時間は、お前が絶望の果てに命を絶った瞬間だった。到底受け入れられなかった。だから、神にアフターケアを求めた」
「神……」
「俺はお前を救うために、神の力で五年前……ここへ戻って来た。ここが最終分岐点だったんだ」
ぼうっと顔を見ていると、極夜は微笑んだ。
「お前はとっくに体も心もボロボロで、ここで立て直さないとお前は五年後には死を選んでしまう。――それでも、俺が帰ってきたと分かれば何とかなるだろう、そんな楽観的な想定は否定された」
「……」
「お前は俺のことなんて知らないと言い出す。どうやら記憶が無い様だった。そこからは作戦変更だ。お前の体調を維持するためにちゃんと食事を与え、無理矢理にでも俺の存在に馴染ませた。俺が知っているお前が好きだったものを作り続け、一緒にいた記憶が無くなったのではなく鎖されていることが理解できた」
「……だから、子供のころに好きだったものばっかり……」
極夜はニタリと笑った。
「今でも好きだろ?」
「……否定はしない……」
「後は、タイミングの問題だった。再会から一週間、今日が良かったんだ」
「なんで……?」
「神は六日目には全ての仕事を終え、七日目を安息の日としたんだろう?」
「……安息日……」
「だから、思い出して、安心して、ゆっくり眠るのは今日が良かった」
繋いだ手を離さず、極夜が静かに宣言する。
「白夜、お前の記憶は繋がっただろう」
「――おかげさまで」
ずるずると体を引き起こす。
手は繋いだまま。
「極夜……いなくなった、双子の兄」
「そうだ」
「――どこで何をしていた」
「お前の疑問は尤もだ」
「あの声は、俺を呼んでいた。――なんで、極夜が」
「俺はお兄ちゃんだからな、可愛い弟を守るには、あれしかなかった」
「……置いていかれる方の身にもなれ」
「ん?」
俺は、俯いて、絞り出すような声を出していた。
「どうして、手を離したんだよ……いつもみたいに一緒に行けば良かったのに……っ」
「ん、それは俺が悪かった」
ぽろっと涙が零れた時にはもう遅かった。
「うわぁぁぁぁん!」
子供みたいに声を上げて、号泣していた。
「よしよし、泣くな泣くな」
俺を抱き寄せて、極夜は空いた手で俺の背中を撫でていた。
自分でもどうかと思うが、俺はいい歳をしてそのまま泣き疲れて眠ってしまったようだった。
気付いたときにはベッドにいたので、極夜が運んでくれたのだろう。
なにより、極夜はベッドに座ってニヤニヤしながら俺を見ていたのだから。
「目ぇ真っ赤だぞ」
「……うるさい」
「腹は?」
「お腹空いた……少しだけ」
「お兄ちゃんが作ってあげようか?」
「……何を?」
「お前の好きなものなら、なんでも」
自信満々な極夜に、ちょっと仕返ししたい気分になった。
「……チキンカレー」
「今から!?」
「チキンカレーがいい、お・に・い・ちゃ・ん」
ぐっと言葉に詰まった極夜は、ガバッと立ち上がると俺を見て不敵に笑った。
「すぐに作ってやる、それまで大人しく横になって記憶の整理をしてろ、白夜」
――どうやら極夜は困難なことがあると、よりやる気が出るらしい。
パタパタとベッドルームを出て行った極夜の背を眺め、俺はゆるゆると息を吐き出した。
思い出した……思い出せた。
極夜が、双子の兄がいた世界を。
ようやく繋がった。
極夜の献身が、無くしていた時間を埋めてくれた。
俺の運命は変わったのだろうか?
だとしたら、俺は認識を改めなくては。
一週間前に現れた狂人は、俺にとって未来からやって来た救い主であり、待ち続けた双子の兄だったのだ。
「……でも」
ポツリと言葉が浮かぶ。
――なんで距離があんなに近いんだろう、キスまでされたんだぞ?
思い出してしまった疑問に、俺は極夜が呼びに来るまでうんうんと唸って過ごす羽目になった。
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