Ⅳ 珍品萬屋

 カウンターの上にガラスの箱を乗せる。その周囲をぐるりと覆っていた布を外すと、ガラスの箱に詰められて犇めきながら、なおも羽ばたいている多数の幻惑夢蝶の姿が露わになった。

 夜の森を自由に羽ばたく妖艶なほどの美しい姿から比較すると不気味に見えるが、それでも深い青の輝きは衰えていない。

 珍品萬屋の店主はロズの顔を見て、ニヤリと笑った。

「こりゃあ、とんでもないものを持ってきたものだ」

「こいつを捕獲してくれば、依頼を回してくれると聞いたものでね。これで俺たちの覚悟ってものをわかってもらえる、ということでいいんですよね?」

「わたしはそんなこと、一言も言ってやいませんが……まあいいか。親父さん、これがどういう代物か、理解しているんでしょうね?」

 店主から伺うような眼差しを向けられ、ロズは真剣そのものといった表情で大きく頷く。

「幻惑夢蝶。幻夢剤の原料で、持っているだけで犯罪という違法物だ」

 ロズの言葉を聞き、店主はますます顔に浮かんだ笑みを深める。

「そう。特に流通の原因を作ったとして、捕獲してきた者の罪が重い。つまり、この時点であなたたちもわたしのお仲間ってわけだ」

「そちらから指示されて捕獲してきたものだが、幻惑夢蝶自体がかなり高価な魔物であることも知っている。これも買い取ってもらえるんでしょうね?」

「そうだな……箱の中にいるのは、ざっと三十匹といったところか。一匹銀貨一枚としながらもオマケして、キリ良く金貨三枚で買い取りましょう」

 話を聞き、ロズは眉根をギュッと寄せる。

「お前さん。俺のことを、何も物事を知らない馬鹿だとでも思ってるのか? そんなの、相場の十分の一以下の値付けじゃないか。何がオマケだ」

 そもそも存在が違法なものであるから公に流通はしないのだが、噂では、幻惑夢蝶は一匹金貨一枚の価値があると言われている。この世界では金貨一枚は銀貨十二枚に値する。幻惑夢蝶一匹を銀貨一枚で計算するなど、ぼったくりも良いところである。

 しかし、指摘されても店主の笑顔は揺るがない。

「買取額にご不満でしたら、どうぞ他へ行ってくだすって構いませんよ。他に買い取ってくれるような場所を知っているのなら、ですがね」

 その人を食ったような物言いに、ロズの眉間の皺がよりいっそう深くなる。首筋には血管が浮き出て、強く食いしばった顎で今にも店主に噛みつきそうな勢いがある。

 だが結局は、拳をドンと音を立ててカウンターに乗せるだけで、その怒りを収めた。実際、幻惑夢蝶などという違法性が高すぎるものを扱ってくれる店など、そうそうあるわけがないからだ。いくら足元を見られたとしても、飲み込まざるを得ない。

 もっとも、ロズの目的は金稼ぎではなく、珍品萬屋が闇ギルドの窓口であるという証拠を掴むことであるので、ロズが現在露わにしている怒りはすべて演技なのだが。

 ——すべて演技だよな? 

 と、斜め後ろでロズの様子を見ているディーは少しばかり訝しく思う。

 それだけロズの演技が上手いということなのだが、怒りを露わにするロズの様子をチラチラと横目で窺っているディーの姿は、『親父の怒りにビクついている情けない息子』のように、店主からは見えていた。

「わかりました。その値段で買い取ってもらって構いません。代わりに、他に割の良い依頼を回してくれるんでしょうね?」

「実に賢い選択です。では、まずはこちらを」

 怒りを押し殺して問うロズに店主は頷くと、ガラスの箱を店の奥にしまいこみ、逆に金貨三枚をカウンターの上へ乗せた。ロズは、カウンターと金属が触れ合う硬質な音がしたと同時に金貨を素早く己の手の内に収める。

 しかと報酬を受け取ったロズの様子に頷き、次に店主はカウンターの下から分厚いファイルを取り出した。しかしそれ自体はカウンターの上に乗せることはなく、勿体ぶった様子でファイルを広げて自分だけで眺める。

 そうしてしばし何かを吟味してから、店主はファイルの中から三枚の紙を抜いて、ロズの方へ向けながらカウンターの上に並べた。

「この辺りはどうです? どれか選んで請け負ってくださっても構いませんし、やる気があるのなら、全てやっても構わない」

 提示されたのは、ギルドで良く見かけるような形式の依頼書だ。一つの依頼の内容が、一枚の紙にまとめて記載されている。つまり、現在目の前に提示されたのは三件分の依頼ということになるのだが、どれも達成の難易度は低く、逆に違法性の高いものである。依頼書の一番下には報酬金額が明記されているが、王立ギルドでは支払えないレベルの金額ばかりだ。

 その常識外れの報酬を眺めながら、ロズは、王立ギルドから発行される高難度の依頼に挑戦できないような腕の冒険者が、闇ギルドに惹かれる気持ちが僅かながらに理解できるような気がした。

「なるほど、どれも報酬が良い。さすがですね」

 ロズはそう唸るように呟いてから、斜め後ろから同じくカウンターを覗き込んでいたディーへと視線を送る。

 ロズからアイコンタクトを受けたディーは一度頷くと、素早く踵を返して店を出ていく。その際に、ドアベルが小さく音を立てた。

「おや、息子さんはどちらに?」

「所用を済ませに行っただけですよ。我が息子ながら、あいつは本当に役に立たない奴でしてね。話は俺が聞きますから問題ありません。それより、今しがたあなたが見ていたそのファイルを、直接見せていただくことはできないんですか? そこにもっとたくさん依頼が書かれているんでしょう?」

 ディーの行方を気にする店主に、話を逸らすように、彼の手元にあるファイルを示してロズが問いかける。

「うちも、色々と公には出来ない商売でしてね。あなた方親子には、わたしが今ここに並べた三件が最適な依頼になります。請け負う依頼はこの中から選んでいただきたいですし、もっと多くの依頼を同時に受けたいということであれば……わたしからあなたに、『強欲は身を滅ぼす』という言葉をあげますよ」

「それは良い言葉だ。気に入りました」

 店主からの嫌味に笑顔で応じると、ロズは依頼内容をさらに吟味するように、カウンターの前で紙を覗き込み続けた。


 それから、十分ほど。

「ねえ、親父さん。お出しした三件の難易度はどれも変わりませんよ。報酬の高さから適当に一件選ぶでも、三件ともやるでもいいから、そろそろ決めてもらえやしませんかね」

 いつまでも居座り続けるロズに、痺れを切らした店主がそう声をかける。

 その時。

 ロズの背後で、再度ドアベルの音が響いた。店主はすぐさま視線を向けたが、ドアを開いて店内へと入ってきたのは放蕩息子であるディーだ。店主の緊張が一瞬解ける。

「ファイルを見せろ」

 一方。ロズは店主を見ると、改めて一段と低い声で告げた。そして、ファイルを受け取るべく手を差し出す。

「だから、さっきも言ったでしょう。これはお見せできないもので……」

 聞き分けの悪い客に面倒そうに言い聞かせようとした店主は、次の瞬間、驚きに目を見開いて言葉を途切れさせる。ディーの背後から、制服姿の憲兵が姿を現したのだ。

「この店だ」

 ディーが告げると、憲兵たちはディーの横を通り、ぞろぞろと店内へ入ってくる。総勢五名。とても『警邏で少し立ち寄った』などという雰囲気ではない。

「……っ」

 店主は声も上げずに、大慌てでカウンターの上に並べていた依頼書を隠そうとする。だがその目の前にいたロズが、這い出てきた害虫を叩き潰すかのように店主の手をカウンターに抑えつけた。

「おっと、これもすべて証拠になるんでね。手出しは無用だ」

「気でも触れたのか? 突然正義感に目覚めたんだか、蝶を買い叩かれた腹いせか知らんが、うちの商売が明るみになれば、あんた達だってただじゃ済まないんだぞ」

 店主は店に入ってきた憲兵に聞かせないように声量を抑え、ロズに顔を寄せながら必死に訴える。しかしロズは店主の手を抑え込んだまま、彼の顔前に自分の左手を向けると、ギルドの紋章を浮かび上がらせた。

「自己紹介が遅れたが、俺は王立ギルド魔物被害調査課のロズだ」

「なん……だと。お前たち、幻惑夢蝶を獲って来たじゃないか」

「驚くべきことに幻惑夢蝶の捕獲許可も事前に取れているので、俺たちが罪に問われることはない。まあ、その奥にしまいこまれた幻惑夢蝶は然るべきところに渡さなきゃならねぇから、即刻返してもらうがな」

 呆気に取られたように王立ギルドの紋章を見ていた店主は、ロズの言葉を聞きおえると徐々に顔を青くしていく。

 そこに、憲兵の一人がやってくる。憲兵の身長は横に並んだロズほどに大きく、物理的な抵抗は無駄だと知らしめるように立派な体格をしている。

 憲兵の制服は、スタンドカラーのきっちりとしたジャケットが印象的だ。全身濃紺の制服の上に羽織る鮮やかな黄色のマントは、この国の市民が抱く憲兵の象徴になっていた。

「珍品萬屋に闇ギルド経営の疑惑がかかっている。ただいまより、憲兵による強制捜査を執行する。大人しくしていろ」

 取り出した強制捜査執行許可証を店主に突きつけ、憲兵は厳しい声で告げる。

 ロズは、押さえつけていた店主の手から力が抜けていくのを感じた。

 捕まえていた手を離してやると店主は脱力し、そのままずるずるとカウンターの向こう側にしゃがみ込んでしまったのだった。


 昨日、ディラエ湿地から王都に帰ってきたロズとディーの二人は、憲兵詰め所を訪れ、『これから闇ギルドの窓口となっている疑惑のある店に行き、その証拠を掴んでくる』と、話を通していた。

 それから一晩。しっかり作戦を立てた上で、二人は珍品萬屋に乗り込んだのだ。

 店主が依頼書を見せてきた段階で、珍品萬屋が闇ギルドであることは確定する。非合法な依頼書がカウンターの上に並べられたのを確認してから、ディーは予定どおりに店を出た。

 店外で写真術を使い、直前に見たカウンター上の光景を顕現させると、憲兵詰詰め所に、その証拠となる写真を持ち込んだ。

 前日に通知されていたことで強制捜査の申請を予め行なっていた憲兵は、ディーから提出された証拠を元に、すぐ動きはじめることができた。

 こうして、憲兵による強制捜査は正式にはじまったのである。


 店の奥から大量に出てくる違法物品や違法取引の記録を運び出すため、憲兵たちが忙しく店内を行き来する。

 その横で、ロズとディーは店の床に座り込んで、一冊のファイルをあらためていた。ここ最近の取引が記録されている帳簿だ。

「あっ、確かにありましたよ。黒火焔龍の火焔油。その名も黒火焔油」

 ページを捲った途端、取引欄に記載された見覚えのある単語をディーが指差す。

「三週間近く前に取引が完了してます。ちょうどオアシス消失事件が起こる前です」

「黒火焔龍が傷ついていた理由も、これで確定だな。つまり、黒火焔油を受け取った依頼主がオアシス消失事件の犯人だ」

「えーと、依頼主は『砂華さかの王』? なんだこれ」

 ディーの口にした通り、依頼主の欄には『砂華の王』と記されていた。見ると、他の取引の依頼主の欄も、名前というよりは通称のようなものが並んでいる。

 ロズはファイルから顔を上げると、店の隅に拘束された状態で憲兵に見張られている店主に声をかける。

「おい。依頼主の欄に名前がないが、顧客リストが別にあるのか?」

 項垂れていた店主はゆっくりと顔を上げてロズを見ると、すっかり諦念の浮かぶ顔で軽く笑って見せた。

「あんたから幻惑夢蝶を買い取った時、わたしはあんたの名前を聞きましたか? 一度だって聞いちゃいないでしょう。ここはそういうところですよ。各地の店で足並みを揃えるために帳簿をつけちゃいるが、俺たちギルドの運営が、どの取引をどの人間がしたのかがわかればそれだけでいいって代物です。あんたたちのことは『白黒親子』とでも記載するつもりでしたよ」

「つまり、お前たちはこのあだ名のようなもので顧客を判別しているわけだな? この『砂華の王』ってのは、どこのどいつだ」

 ロズは該当ページを開いたままのファイルを指差し、店主に見せる。しかし、店主は薄い笑みを浮かべたまま首をひねる。

「さてねぇ。この店の帳簿や依頼書は全て、複製術で各地店舗で共有されている。少なくとも、わたしの受けたものじゃございやせんね」

 店主は強制捜査に積極的に協力しているわけではないが、話し方にストレスは感じず、嘘をついている様子はない。

 つまり、帳簿にあるあだ名で顧客を判別できるのは、直接その顧客とやり取りをした窓口の担当者のみということだ。属人的すぎるシステムだが、その分、秘匿性は高まる。

「いよいよ犯人の名前がわかるかと思いましたが、そう甘くなかったですね。今度は取引が行われた都市の窓口になっている店を探し出して、その店主に話を聞くしかないってことですか」

「そうだな。だが、ここにある書類を確認していけば、窓口になっている店を突き止めるのは、そう難しいことじゃない」

 そうしてディーの言葉に同意したロズが、今度は店の奥で忙しなく動いている憲兵を見る。

「お忙しいところすみません。そちらに、他の都市で窓口になっている店の一覧などはありませんでしたか」

 声をかけられ、ファイルの山を抱えた憲兵が顔をあげた。その時だった。

 突然、彼の腕の中のファイルが燃えはじめた。

「うわぁっ!」

「何だ、これっ」

「ロズさん!」

 驚きの声を上げたのは、店の奥にいたその憲兵だけではない。今まさに帳簿を確認していたディーを含め、店にいて作業を進めていた憲兵全員。つまり、店にあったファイルの全てが一度に燃えはじめたのだ。

 その燃え方は、実に不自然だった。ファイルを燃やす炎自体はこの場に存在せず、物自体だけが着実に消えていく。炎は出ていないために延焼する心配はないが、ファイル消失を止める手立ても存在しない。

 瞬く間に証拠となる関連ファイルすべてが消え失せ、その場には燃え滓のみが残った。

「いったい、何が起こった!」

 店の入り口付近にいた憲兵の小隊長が怒号するが、理由がわからないため後の者は口を閉ざすしかなく、店内には一瞬の静寂が訪れる。

 と、その空白に、一人の笑い声が響きはじめた。拘束されていた店主が、堪えきれない様子で笑い出したのだ。

「貴様ぁ、何をした!」

 小隊長が憤怒の表情で店主の襟元を強引に掴み引き上げる。店主は苦しそうに咳を漏らしたが、笑顔を崩さない。

「わたしは何もしてませんよ。言ったでしょう? それらのファイルは複製術で複製したものです。きっと、この店の状況が別の店に伝わって、そちらでファイルをすべて燃やしたんです」

 複製術とは、その名のとおり物品を複製する魔術だ。その他多くの魔術とは違い、初級や中級が存在しない、希少な上級魔術である。複製した物は本体もコピーも区別なく同一なものとなる。

 つまり、複製した本に文字を書き込めば、全ての本に文字が書き込まれた状態になるということだ。その特性を利用し、この闇ギルドでは、各地の窓口で帳簿や依頼情報を共有していたのだ。どこかの窓口でファイルを燃やせば、全ての窓口のファイルが消え失せる。

 しかし、憲兵が店に入ってきた瞬間から、店主はロズにより自由を奪われていた。強制捜査が始まってからはすぐに憲兵に拘束された店主は、他の窓口に強制捜査が入った情報を伝える術はなかったはずである。

「しまった。あのフードの男か」

 ロズは口惜しげに呟く。彼の脳裏には、酒場で言葉を交わした男の姿が浮かんでいた。

 どこかで店の様子を窺っていたあの男は、強制捜査が入ったことを察知し、他の窓口に魔送文書で状況を知らせ、すべてのファイルを燃やさせて証拠隠滅を図ったのだ。

 憲兵が強制捜査に入り、すでに違法物品が多数見つかっているこの珍品萬屋とその店主は罪を免れ得ない。

 しかし、闇ギルド本体と、そこに連なる他の窓口の情報は、燃えたファイルと共に全て消え失せてしまったのだった。

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