第二章 ドラゴンブレス
Ⅰ ヴォルア山
ドラゴンは正式名称を『
否、厳密に言えば、ドラゴンが魔物であるか魔獣であるかは、専門の学者の間でも意見が分かれるところである。魔物と魔獣は、魔力を元にした力を保有するという点では同じような存在だが、魔物は『より多くの他生命を刈り取ること』を、魔獣は『己の種の繁栄』を生命活動の目的としている点に根本的な違いがある。
唯一はっきりしていることは、ドラゴンはそれだけ特別な存在だということだ。
ドラゴンは繁殖力が極めて低い代わりに尋常ではない寿命の長さを誇る。よって、個体数は少なく、そうそう数が変動しない。現在見つかっているドラゴンの総数は僅か二十四体である。それらのうち大半の個体が高度な理性を持ち、人語を解す。ただし、人間に対して友好的かどうかは個体による。
ドラゴンは個体によって特性が異なるが、共通するのは、そのすべてが非常に強大な力を持つということだ。ドラゴンが一度力を振りかざせば、災害レベルの事態を引き起こす。故に、古くは神として祀られた。
しかし、人間が様々な魔術を発展させ、国王の元で一つの国としてまとまっている現在、人間とドラゴンの関係は対等なものとなっている。
王立ギルドは現時点で二十一体のドラゴンと個別に契約を結び、それぞれの棲息域と定められた地域から出て人間を襲うことを禁止している。その代わり、すべての冒険者にも、契約を結んでいるドラゴンへ危害を加えることを禁じていた。
大前提として、契約とは、破ったときに何らかの罰が与えられるからこそ拘束力を発揮するものである。ドラゴンが契約を破ったことが分かった場合、王立ギルドは全冒険者に対して対象のドラゴンへ討伐依頼を発行する取り決めになっている。
ヴォルア山は、大砂漠とモルグァ高原の境界にある、標高五千メートルを超える高山だ。大砂漠中心部のアリリタから見れば、北西方向に位置するオアシスを抜け、さらに倍以上の距離を進んだ場所にある。
ロズとディーの二人は、大砂漠側の麓よりヴォルア山を登っていた。理由は、このヴォルア山に『
黒火焔竜はその名の通り、炎の息を吐くドラゴンであることが知られている。オアシスを消し去ったのが、ギルドとの契約を結んでいる黒火焔竜かどうかはまだわからない。ただし、オアシスに最も近い位置に棲息しているドラゴンが炎を吐く特性を持つドラゴンであるという事実は、どうしても見過ごせないものであった。
「犯人に向かって『アンタが犯人ですか』なんて聞きに行くことに、何の意味があるって言うんですか」
宿から借りてきた黒馬に跨り、険しい山道を進みながらディーは不満げにぼやく。
岩と岩の間の窪みなど、灌木はところどころに生えている姿が確認できるものの、基本的にはひたすらゴツゴツとした岩山だ。足に鋭い爪を持つこの世界の馬ならば、辛うじて登れる程度の斜面になっている。
オアシスから回収したディーのバイクは、現在アリリタの職人の元に預けている。砂塵と熱によってすっかり傷んでしまった魔動機構の整備に加え、オフロードも走れるように全体の改造をしてもらっているところだ。
「文句があるならついて来なくても構わない。元々俺は一人でやってたんだ」
「俺が文句あるのは、調査をすること自体じゃないですよ。ドラゴンが犯人だったとして、本人に聞いても犯行を認めるわけなくないですか? って話です」
「そうだとして、黒火焔竜は王立ギルドと正式に契約を結んでいるドラゴンだ。溶けた永氷石しか根拠がない状態で、当事者の話も聞かずに一方的な討伐依頼なんか出せるわけねぇだろ。本当に黒火焔竜を討伐することになったら、国全体を動かす規模の作戦になるんだぞ」
灰毛の愛馬に乗ってディーの前を進むロズは、狭い足場を馬が踏み外さないように手綱を操りながら、振り返ることなく答える。
つまり二人は、これから黒火焔竜の元まで向かい、オアシス消失の件について直接事情聴取をするつもりでいるのである。
「誰かが話を聞きに行かなきゃいけないってことは分かりましたよ。でも、もう俺たちは黒火焔竜の棲息域に入ってるから、何されても文句は言えないってことなんですよね? 死にに行くようなもんなんじゃないですか?」
「契約の中には『王立ギルド職員に危害を加えてはならない』っていう条項が特別にあるから安心しろ」
「でもそれって、ドラゴンがはじめから契約を守るつもりなんてなければ、なんの抑止力にもならないですよね?」
自分たちの身の安全を危惧するディーに、ロズはあっさりと頷く。
「まあ、それはそうだな」
「はー、やってらんねぇ」
顎を突き出して空を仰ぎ、不満を隠す様子もなくぼやくディーの様子に、ロズは思わず低く笑い声を漏らした。
「お前、離脱術は使えるか?」
「はい。初級だけなんで、自分だけしか対象にできませんが」
「ならいい。これでも俺は元守護者だ。いざとなったら、お前だけでも逃げ出せるように守ってやるさ。そのままギルドに駆け込んで、黒火焔竜の討伐依頼を発行してくれ。それで俺も報われる」
冗談めいてはいるが、まったくためらうことなく自己犠牲を口にしたロズの言葉に、ディーは思わず真顔になると、前を進むロズの背中へ視線を向けた。
アリリタからオアシスを往復したときには武装していなかったロズだが、今は背中に大きな盾を担ぎ、さらに腰には長剣を下げている。それは、アリリタを出発した時点よりヴォルア山の危険性を承知していたからこその姿だった。
「守護者って、戦士の中の専門職でしたっけ」
「ああ。その名のとおり、守りの専門職だ。当然必要があれば攻撃もするが、パーティを組んで行動する時には、敵の攻撃を自分に集めて耐え、仲間を守ることが仕事になる」
「なんか、派手さもないし、損な役回りですね。何でそんな職に就こうと思ったんですか?」
身も蓋もないディーの言葉に、ロズはもう一度笑う。
「はじめから守護者を目指したわけじゃねぇ。俺は小学校を卒業してすぐ、十六歳から戦士として冒険者になったんだが、当時からパーティを組んで動くことが多くてな。気がついたら役回り的に守護者になってたってだけだ。まあ、適正の問題だろうな」
守護者は敵の攻撃の的にならなければならない。
かけた対象の注目を強制的に自分へ引きつける『挑発術』という魔術を使用することがほとんどだが、基本的には体が大きい方が魔物から脅威と認識されやすく、狙われる頻度は高くなる。そのため、身長が高く、体格も良いロズが守護者の役回りを多くすることになるのは必然だった。
「十六歳から冒険者になって、で、いつ冒険者をやめてギルドの職員になることにしたんです?」
「六年前だ。四十になった時にな」
「冒険者をやめた理由は? 十六歳から四十歳って、人生の半分以上冒険者やってたんですよね、別の仕事をするって、相当の覚悟がいりませんでしたか?」
インタビューのように続くディーからの質問に、ロズは軽く肩を竦める。
「お前、そんな根掘り葉掘り俺のこと聞いてどうするつもりだ」
「一緒に仕事をやっていくバディのことを知っておいて損はないでしょう? それに、これからドラゴンのところで命を預けようってんですから」
先ほどの話を引き合いに出され、ロズは小さく息を漏らしつつも質問に答える。
「歳とって老いぼれてもできる仕事ってわけじゃねぇからな。それに、冒険者にとっちゃギルドは身近な存在でな。実際、ギルド職員の多くは元冒険者だし、冒険者が怪我した場合、一定期間だけギルド職員やって食い繋ぐってぇのもよくある話だ」
「四十歳くらいじゃ、まだまだ第一線で冒険者やってる人も多い……っていうか、ほとんどそうですよね? むしろ経験を積んで、一番強いんじゃないかっていうくらい。ロズさんも今だって強そうですし、引退には早すぎません?」
「自分の老化と限界を感じるには、個人差があるってこった」
ロズはそう話しながら、前方に見えていた大きな岩の影になっているスペースへと進むと、馬から降りた。
昨日の朝アリリタを出発して一日かけて砂漠を抜けた。今日は一日馬での登山を続けて、すでに日が暮れはじめている。あたりには崖と急斜面が続いていたが、その岩の近くはキャンプができる程度の平らな地面がある格好の場所だった。
「そろそろ暗くなる。今日はここでキャンプをしよう。昨日と同じように、お前の荷物の中に入ってるテントを出してくれ」
続いてやってきたディーも馬から降り、指示の通りに馬の鞍につけていた鞄からテントを引っ張り出す。
「テント、一人で張れるか?」
「……自信はありません」
ロズからの問いかけに、ディーはばつが悪そうに答える。だが、ロズは馬鹿にする様子もなく頷いた。
「じゃあ、もう一回教えてやる」
そうして二人は共にテントを張り、焚き火を起こして持参してきたスープを温め、一夜を過ごせるだけの準備を整えたのだった。
眼下に広がる景色を眺めるように、テントを背にして焚き火の周囲に腰を下ろし、ロズとディーの二人は適当な食材をまとめて煮込んだスープに口をつけていた。焚き火のパチパチと薪が爆ぜる音は心地良く、携帯食用の硬いパンを浸して食べると、それなりに腹も満ちる。
「昔から、街道以外の場所は魔物で溢れてるって聞いてたんですけど、意外とそんなこともないんだなって思いました。王都から出たらあっという間に魔物に襲われてるっていうあの脅しは、子供向けのものだったんすかね?」
パンを齧りながらディーが言った言葉を聞き、ロズは物珍しいものを見るように視線を上げる。
「お前、今まで本当に王都から出たことがなかったんだな」
「王都にいると、何をするにしても街から出る必要がないですからね」
ロズはカップに口をつけ、音をたててスープを啜る。
「街道以外の場所を移動すると魔物だらけってのは、別に子供を怯えさせる作り話でもなんでもなく、本当のことだ。砂漠の魔物は夜に出るって話したろ?」
質問にディーは頷きで答える。
「それは聞きましたが、このヴォルア山もまだ砂漠に含まれてるんですか?」
「いんや。お前が今日、こうやって山を歩いてまだ一回も魔物に襲われてねぇのは、側に俺がいるからだな」
ディーは驚きに目を丸くする。
「ロズさんが? 魔物を回避するようなテクニックでも使ってたんですか?」
「いや、そういうんじゃねぇ。魔物は本能から、自分より明らかに格上だと感じる対象から逃げる性質があるんだよ。勝てない勝負は初めから仕掛けないってことだな。まあ、巣穴に踏み込んじまったとか、向こうが群れてるとか、腹減ってたとか、気が立ってたとか、そういう簡単な理由でいくらでも行動が変わるくらいだから、絶対の
話を聞き、ディーは何かを思い出したかのような表情を浮かべて、パチンと指を鳴らす。
「なるほど。『偽装術』っていう魔術を習得したときに、『小さな魔物を狩りに行くときに冒険者が使用することが多い』っていう説明は受けてましたけど、そういうことですか」
「力量を弱く見せかける魔術か。格下の魔物を狩りたいときに、そのままだとターゲットに逃げられるからな。俺が冒険者をやってた時も、場合によっちゃ仲間がかけてくれてたよ」
「周囲から見て弱くなる魔術なんて、どう役に立つのかと思ってました」
ロズは浅く笑い声を漏らす。
「『こんなもん、何の役に立つんだ』と思いながら勉強してたのか?」
「大学校で学べる魔術はとりあえず全部習得するって決めてたんで。初級だけとはいえ制覇するのって大変で、それぞれの魔術や学問についての詳しいことを勉強する時間はなかったんですよね」
スープを飲み干し、今度はそのカップに水を注ぐ。そうして、水を飲むついでにカップの汚れをとってしまうのだ。少しばかり濁っている水を呷りながら、ロズはディーの炎に照らされている整った顔を見る。
「王都から出たこともないボンボンの王立大学校卒が、なんだってギルド職員になんてなろうと思ったんだ? 大体の奴は官吏か兵士になるもんだろう」
質問を投げかけられ、ディーはチラリとロズへ視線を向けてから、体育座りをして立てた両膝に軽く顎を乗せる。そうして小さくなっている姿は、妙に幼く見える。
「……本当は、小さい頃からずっと、冒険者になりたかったんです」
ぽつりと呟かれた告白に、ロズは鷹揚に頷いて見せる。
「子供が冒険者になることを憧れるってのは、珍しい話でもねぇと思うが。そういう俺も餓鬼の頃はそうだったしな。実際にやってた俺が言うのも何だが、仲間たちと気ままに旅しながら、魔物を退治して人に感謝され、一攫千金もあり得なくはない職業ってのは、ま、夢があるよな」
冒険者の人口は実際に多いのだが、子供が憧れる職業としても、冒険者は昔から不動の一位人気の座についている。
「そうですね。ただ、俺の場合は漠然とした憧れではありませんでした」
「というと、身近にいたのか?」
「はい。俺の十歳離れた兄が、冒険者をやっていたんです。ロズさんと同じく兄も十六歳から冒険者をやっていたので、俺からすると、物心ついたときにはすでに兄は冒険者だった、という印象でした。当然、兄はあまり家にいることはなかったんですが。旅から帰ってきた兄から聞く冒険譚はとても楽しくて、強い兄は俺の憧れでした。兄を見るたび、俺も大人になったら同じように冒険者になるんだと思っていました」
「なるほどな」
そうして短く相槌を打ちながらも、ロズは訳ありそうなディーの話を邪魔しないように静かに聞いている。
「母は専業主婦で、父は俺と同じく大学校を卒業した後は官吏になり、今でも陛下に仕えているんですが。両親も、自由に自分の道を生きている兄のことを、誇りに思っているようでした」
ディーはそこで一度短く沈黙し、俯く。
その様子を見て、ロズは何となく事情を察した。冒険者は人助けができ、稼ぎも良く夢があり、人気の職業ではあるが、危険性は高い。その
「六年前のことです。俺は十六歳になって小学校を卒業し、いよいよ冒険者になろうとしてた時に……兄が死にました」
話の展開を予想してはいたものの、兄の死を、語るのも辛そうなディーの様子に、ロズは軽く眉を寄せる。その表情を見れば、ディーが兄にどれほどの親愛の情を向けていたかは容易にわかる。
「冒険者の危険性を知って、やめることにしたのか?」
「……俺は、それでも冒険者になりたかったんですが。両親の制止を振り切ることはできませんでした。兄を失った両親の悲しみようは、俺から見ても辛いもので」
ロズはポケットから取り出したスキットルの蓋を開けると、中のウィスキーを呷る。ロズが黙っていても話を聞いていることを感じ、ディーは言葉を続ける。
「それで、両親が勧めるままに王立大学校に入ったんですが。未練がましくも冒険者と近いところにいたくて……入学当初から、王立ギルドの職員になることを決めていたんです。実際に冒険者をしていたロズさんからしてみれば、親に止められて夢を諦めるなんてのは、半端な行為かもしれませんね」
自嘲するように軽く笑い、話し終えたディーが口を閉じる様子を見ながら、ロズはもう一口ウィスキーを口に含んだ。濃厚なアルコールをゆっくりと飲み下してから、首を横に振る。
「そんなこたねぇさ。長く冒険者をやってれば、どうしたって同業者の訃報を聞くことになるし、その危険性は身に染みる。親を悲しませないように、安全な職に就くってのは、恥じることじゃない。立派なことだ」
ふと、ロズは伸ばした大きな手で、ディーの頭に軽くぽんと触れる。
「まあ、こうしてフィールドワークするとなると、ギルド職員と言えども完全に安全ってわけにゃいかないがな。実際に、これからドラゴンに会いに行こうとしているわけで。お前が希望を出せば、フィールドワークのない部署に異動することもできるぜ。マリアさんに声をかけておこうか?」
そうして触れたロズの手を嫌がる様子もなく頭に乗せたまま、ディーはゆっくりと顔を上げてロズを見返した。
「俺は冒険者にはなれませんでしたが、王都の外をこうして旅するのは、子供の頃に兄から聞いていた冒険譚の中にいるような気分になれます」
青い瞳に、どこか少年のような輝きを灯して答えるディーの様子にロズは目を細め、手を下ろす。
「そうか」
そう短く返事をしてから、ロズは大きく伸びをした。
食事も済み、そろそろ寝るためにテントに入ろうかと立ち上がりかけたところで、ディーが再度口を開く。
言いにくかったことを、ようやく決心して告白するかのように。
「兄はギルドからの依頼を受けて、
ロズはゆっくりと、驚きに目を見開く。一度言葉が出ず、唾液を嚥下してから、ゆっくりと問う。
「……お前の兄貴は、ドラゴンに殺されたのか」
頷き、そのまま再び俯くディーの顔。オレンジ色の焚き火に照らされて、彼の目元には影が強く落ちていた。
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