第二十八章 焦燥と決意の狭間で

第二十八章 焦燥と決意の狭間で


第一話


 響、佑真、駿の三人は、それぞれに焦りと苛立ちを抱えながら、最終決戦に向けた準備を進めていた。

けれどそれは、実際には「準備」と呼べるようなものではなかった。やるべきことが見えているようで、何も見えていない。ただ、動かずにはいられないだけだった。

佐倉ひよりが姿を消してから、丸二日が経った。

一切の連絡も、足跡もない。スマホにも、家にも、どこにも“彼女”の痕跡は残されていなかった。

時間だけが過ぎていく。

それが、たまらなく恐ろしかった。


「……佐倉、必ず助けるから」

佑真が低く呟いた。自分自身に言い聞かせるように。誰かに届くはずもない声を、夜の闇に落とすように。

わずかな推測はある。

血液型が“なにか”の鍵になっているのではないか――そう思わせる不自然な一致。だが、それがどう繋がっているのかは分からない。


 手がかりは糸くずのように細く、つかめば切れそうなものばかりだった。

本当は、白鷺ユリについてもっと調べるべきなのだ。

だが彼女は謎に包まれていた。

家族も過去も不明瞭で、調べる術が見つからない。ネットも学校も、何も教えてはくれなかった。

何より、信じられる大人がいない。

学校の教師も、親たちも、この異常事態には立ち入ってくれない。

自分たちの話をまともに聞いてくれる人間が、この世界には誰ひとりとして存在しないという現実。

それが、何よりも胸を締めつけた。


 頼れるのは、自分たちだけ。

三人だけで立ち向かわなければならない。

焦りが胸を灼く。

一刻も早く助けなければという思いだけが、体を突き動かしている。

ひよりが、どこかでひとり、恐怖と絶望の中にいるかもしれないのだ。

考えれば考えるほど、居ても立ってもいられなくなる。

けれど、何をどう動かせばいいのか、それすら見えてこない。

もどかしさに、苛立ちと恐怖が重なっていく。


 眠れない夜が続いていた。

目を閉じるたび、佐倉の声が脳裏に響く。助けを求める幻聴のような声。

けれど、それは幻でしかない。

現実の彼女は、声すら上げられない場所にいるのかもしれない。

――遅すぎたら、どうしよう。

そんな思いが、冷たい刃のように胸の奥を突き刺す。

それでも、彼らは止まらなかった。

止まってしまえば、すべてが終わる気がした。

だから彼らは、進む。答えが見えなくても、道がなかろうとも。

ただ「彼女を救う」という決意だけを胸に。

三人の心は、張り詰めた糸のように細く、脆く、けれど確かに結ばれていた。



第二話


 静まり返った夜。

風もない、ひときわ静かな深夜に――響のスマホが突然、微かに震えた。

「……!」

寝転んでいた布団の中で、彼は反射的に身を起こす。画面に表示された名前を見て、心臓が跳ねた。


白鷺ユリ


あの不気味な美少女の名前が、確かにそこにあった。

《やっときた》

一言だけのメッセージ。意味は不明だが、不穏な気配だけは十分に伝わってくる。

すぐに、続けて新たなメッセージが表示された。


《お待たせしたわね。佐倉さんたちは、ちゃんと生きています。

チャンスを与えるんで、〇〇町〇〇の工場跡地まで来て。

かならず三人で来るのよ》


「……来た。白鷺ユリから」

響は短く告げて、スマホを佑真と駿に見せた。

「なんて?」 と佑真が息を呑む。

響は小さく画面をスクロールしながら読み上げた。

「“佐倉さんたちは生きてる”、だって……“三人で来い”って」

重く、確かに告げられた“誘い”。それは、絶対に罠だ。それでも――。

「……どうする?」

佑真が問う。

「行くしかないだろ」

駿の声は即答だった。迷いも、ためらいもなかった。

「でも……どうやって? 電車もバスも、もう動いてないぞ」

佑真が現実的な問題を指摘する。

「歩いて行ける距離でもないしな。深夜に、そんな距離……」

沈黙が流れる。

「お前、バイク持ってないか?」 と駿が響に尋ねる。

「……持ってないよ、そんなの」

佑真は首を振った。

「俺、免許もないし」 響がぼそっと言う。

しばしの沈黙のあと――

駿がゆっくりと立ち上がり、唇を歪めた。

「……よし。こうなったら、盗むしかねえな」

「は?」

響と佑真が同時に声を上げる。

「おい、それはダメだろ。さすがに」

佑真が制止する。

「非常事態なんだよ」

駿の目は真剣だった。ふざけている様子は一切ない。

「俺が二台、手配する。盗むにしても短時間で済ませる。

だから真嶋、お前は“持ってくもの”を準備しといてくれ」

駿は響を真っ直ぐに見た。

「武器、食料、ライト、あとは――あいつらを連れ帰るためのもん、全部」

誰も、もう止めようとはしなかった。

命がかかっている。罪を問われる前に、彼女たちの命が尽きるかもしれない。

――そんな覚悟の夜だった。


「行くぞ、佑真」

駿が無造作に立ち上がり、佑真の腕をつかんで引っ張る。

「えっ、ちょ、待てって……!」

驚きながらも、佑真は引かれるまま玄関へ向かう。

「すぐ戻る。準備、頼んだぞ、真嶋」

振り返りざまに、駿が声をかける。

「おい、駿……盗むって、どうやって……!?」

戸惑う佑真が問いかける。

「大丈夫、俺に任せろ」

駿は自信たっぷりに言い切った。

二人の足音が廊下に吸い込まれていく。

掛け合うような声も、しだいに小さくなり、やがて夜の闇に溶けていった。


 残された響は、静かに荷物をまとめながら、胸の奥にじわじわと広がる緊張に息を詰まらせていた。

落ち着け。冷静に。

けれど――何を、どう冷静にすればいい?

(……無策で行って、どうにかなるとは思えない)

心の声が、静かに頭の中で警鐘を鳴らす。

(“動画作戦”みたいな子供だましじゃ通じない。

駿の柔道の腕に頼るのも、きっと限界がある。

あいつは強い。だけど、相手が“人間”ならの話だ)

響は手を止めて、小さく息を吐いた。

部屋の空気が重い。静かすぎる。

(白鷺ユリは……人間じゃない)

それは直感だった。理屈じゃない。けれど確信があった。

(普通の論理が通じない存在。だけど、止めなきゃいけない。

あの女を止めない限り、他の“複製”も――終わらない)

手を止める暇もなく、頭は必死に巡る。

戦う力が自分にないのなら、考えることが自分の武器だ。

(先手を打つ……なにかが必要だ)

火花のような思考が、脳裏で次々と生まれては消えていく。

けれど、まだ形にはなっていない。

それでも響は、焦りに飲まれることなく、戦いの構えを着実に整えていた。

ひよりを助けるために。

そして、あの異常な夜を終わらせるために――。

  


第三話


バラバラバラバラ――

玄関の向こうからエンジン音とブレーキの軋みが聞こえた。

「戻って来た」

響がそっと立ち上がる。

間もなく、駿と佑真が玄関を勢いよく開けて入ってきた。

二人とも、埃と緊張感をまとった表情だ。


「――成功だ」

駿が軽く息を吐くと、後ろを振り返る。

「……マジで盗んできたのかよ」

響が呆れたように眉を上げた。

「いやあ、もっとデカくてカッコいいやつ欲しかったんだけどなー。原チャリしか無理だったわ」

駿が肩をすくめる。

「原チャ2台で3人って、どうやって乗んのさ」

「大丈夫。俺がおまえ乗っけて行く」

「帰りは?」

響が鋭く問い返す。

「……そりゃ、五人乗りにはできないけどさ。三、二でなんとか……ま、とにかく今は行くしかねえだろ?連れて帰る方法は後で考える。生きてれば、なんとかなるだろ」

駿の声に、ほんの少しの焦りと覚悟がにじむ。

「で、真嶋の方は、用意できてるか?」

「もちろん」

響は立ち上がると、傍らの花柄のリュックを肩にかけた。

「……って、おまえ、それなにそのリュック。柄、どう見ても女子じゃん」

佑真が笑う。

「佐倉の部屋にあったやつ。文句言うな。中身の方が大事だから」

「パンパンだけど、なに詰めてんの?」

「まあ、必要なものだよ」

響はそれだけ言うと、二人にも黒いリュックを手渡した。

「武器っぽいのがあまり手に入らなくてな。中に詰めたのは……まあ、せめてもの備えだ」

「他に足りないものあったら、今からでも探しに行くか?」

佑真が言う。

「いや、時間が惜しい。……現地でどうにかする」

響の声は静かだが、揺らぎがなかった。

駿が拳をぎゅっと握る。


「よし。行こうぜ。佐倉を取り戻して――あのバケモノを終わらせる」

「……やってやろうぜ」

佑真が頷く。

響もまた、ひとつだけ深く息を吸った。

(きっと、もう戻れない。でも、それでも――行くしかない)

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