第26話 潜入準備

 ビルネール・アクセランテ侯爵宛に、『アクアリーネを話し相手にしたいので、頻繁に招待することを了承して欲しい』とリンダ夫人より書簡が来た。


 そのことで、自由に外出が可能になったアクアリーネは、リンダ夫人の邸に馬車で訪問を繰り返す。

 父侯爵ビルネールからの許可はあるが、なんとなく後ろ暗い。


(でも………。

 私はもう、父の言いなりになることは止めたいの。

 異母妹達はサム様と結婚したがっているし、ゼスチャントもいつの間にかしっかり者になっていたわ。

 今なら私が抜けても支障はないはず…………。

 だから今は、憧れの方に仕えさせて!)


 未来が不安で、頼るべき人もいないからと結婚に夢を見ていた。

 いや縋っていたと言っても、過言ではない。


 そこに芽生えた推しへの気持ちは、もう止められなかった。

 彼女の推しはリンダ夫人である。


 共に内偵をするティンクミリィに下位貴族のマナーを学び、下位貴族で流行りのファッションやアクセサリーの話も学ぶ。


「リーネは知っているでしょうけれど、上位貴族のドレスが高額なのはその布地なのよ。

 カシミヤやウール、シルクなど、高いものでもピンキリなの。

 特に頭数の少ない山羊の毛で作られた、最高級品の布地の光沢は別格なのよ。

 よく外交で用いられる贈答品でも、王妃様に贈られるのは希少価値が高く、あまり手に入らないものが多いでしょ? 

 品質はそれほどではなくても高価な物を、上位貴族がこぞって着るのは優越感でしょうね。


 下位貴族はドレスを何枚も買う資金なんてそんなにないし、下の妹達に着せることもあるから、丈夫なコットンのような生地が必要なのよ。

 そのドレスのアレンジをして、別物に見せるようにすることもあるしね。

 だからリーネのドレスもモヘヤやコットン、リネンなどを中心に選ぶのよ。

 予算とデザインとリメイク面で、苦労してます感を出すの」


「そうなのね、分かったわ。安いだけで決められないのね。

 確かにデザインは高級品と似ていても、生地の違いには気づいていたわ」


「そうよ。家なんて、上に姉が二人でしょ。

 だから新しいドレスなんて、年に1回くらいしか買えないのよ。

 後は姉が大事に着た物をアレンジして着るの。

 リーネには信じられないでしょ?」


「ええ。確かにお下がりを着たことはないわ。

 でも私は自分でドレスを選んだことがないの。

 デザイナーが私に似合うものを勝手に作るだけ。

 予算は父が出すけれど、着たいものなんて聞かれたこともないもの。

 …………異母妹達は好きなだけ選んで勝手貰えるのにね。

 だから選ぶ機会のない私の審美眼なんて宛にならないので、いろいろ教えてね」


「任せてよ。これから楽しくなるわね。

 まさか私がリーネのドレスを選ぶ日が来るなんて!

 でもリーネ。貴女が着たい色やデザインは大事にすると良いわよ。

 これからたくさんの好きを見つけましょ」


「そうね。そう思うと、少し楽しいかもね」


「まあ今回は、田舎の男爵令嬢だから地味めにするけど、お給金が貯まって買ったとかなら、高いものを選んでも変じゃないわ。

 まずは、初給料を目指して頑張りましょう」


「ええそうね、頑張るわ」


 アクアリーネは思う。

 初めてのお洒落の話が楽しい。

 改めて衣類を選ぶ視点も分かってくるし、自分の恵まれている環境も分かった。

 そしてミリィ姉妹のお下がりの話に、少し憧れが浮かぶのも。


 高いものじゃなくても、気に入ったものが溢れる部屋なら、きっと嬉しくなるだろうなどと空想が膨らむ。



「私達は女優よ。田舎から出稼ぎに来た、事務仕事が出来る少し野暮ったい女の子達。

 でもその正体は、リンダ夫人に依頼された凄腕の内偵者。

 小説みたいでしょ? ふふふっ」


「そうね。そう言われると、自分とは違う人みたいね。スパイみたいね」


「そうよ、凄腕のね!」



 そんな風に話ながら、男爵令嬢の振る舞いと当たり障りのない日常会話を知識として学んでいく。



 リンダ夫人からは家門の設定を伝えられる。


「無難な会話は、天気の話とか好きな食べ物とか動物とかかしら? 

 タブーは家族の詳しい話とかね。

 貴女達はリンダの遠縁の田舎の貴族。

 ブラダー・バルクガーム男爵の娘で、親戚はズラキル・ファサノ子爵になるわ。

 この二家とは協力関係だから、家門を出すのは構わないけれど、話過ぎて墓穴を掘らないようにしてね。

 情報は伝えるけど、会ったことがないと想像で話すのは難しいでしょ?」


 確かにと、頷く2人。

 普段から家族と疎遠のアクアリーネなら、話をすることもないだろうけれど、お調子者のティンクミリィは危ない。

 アクアリーネが止めても、興が乗れば暴走しそうだから。


「はい、気をつけます」

 何となくリンダの視線を感じたティンクミリィは、俯きがちで呟いた。

 それを見て、思わず微笑んでしまうアクアリーネ。


 だって気をつけると言った後に、ガバッと顔を上げて、ティンクミリィがこう付け足したからだ。


「だったら、リーネのことなら良いでしょ? 

 だって仲良し姉妹だもの。ね、リーネお姉さま」


「ええ、そうね。ミリィ」

「そうね。それなら良いでしょう、ミリィ」


 リンダ夫人も吹き出しそうだ。

 夫人もすっかりミリィ呼びで、アクアリーネのこともリーネと呼んでいた。



◇◇◇

 その後に経理の仕事を学び、潜入先の職員であるライナ・ゲルム主任に顔合わせした。


「よろしくね、二人とも。

 私が女だからと舐められているせいもあるから、もうぶっちぎって活躍しても良いからね。

 共に悪い奴を捕まえましょう!」


 意気揚々と話すライナと、設定と違うわと焦るリンダ。


「ちょっと、ライナ。

 お預かりしている大事なお嬢さんよ。

 危険に巻き込まないで」

「大丈夫ですよ、夫人。私が付いてますから!」


「それが一番不安よ。内偵はこっそり気づかれないように」

「まあ最初はそれで。いざとなれば、私の腕力がありますから!」


「だから! 巻き込まないの! 良いわねライナ」

「は~い。分かりました。まあ、そんな感じでよろしくね」


「よろしくお願いします」

「よろしくお願い致します」


 ライナのキャラは濃いが仕事は出来る女性らしく、お金を貯めて旅に行きたいらしい。

 武術の心得もあるらしい。

 リンダ夫人の腹心の孫だと言うが、どうにも少し粗っぽいようだ。


 しっぽだけでなく、本体を捕まえたいリンダ達には少し悩みの種だったみたいで、そこに事情を知るアクアリーネ達を派遣出来るのは渡りに船のようなのだ。


「不安が残るかもしれないけど、本当に頑張ってね。

 あの子、仕事だけは出来るから……。

 何だか、ごめんなさいね……リーネ、ミリィ」

「「はい、頑張ります!」」


 暴走気味のライナのブレーキ役を、やや涙目になって2人に懇願するリンダ。


 何だか経営者も大変だなと、同時に思った2人だった。




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