第5話 怒りの矛先

「ルイが? 一体何が――」


 俺は、騒ぎを聞きつけて集まった住人たちの間を縫うようにして、奥の部屋へ足を踏み入れた。


 目に飛び込んできたのは、荒れ果てた室内と、倒れ伏す老人の身体を抱きしめるルイの姿だった。ルイは荒い息を吐きながら、その傍らに膝をついていた。部屋の家具は軒並み破壊され、床に散乱している。壁には拳の跡のようなへこみさえあった。


 俺と目が合うと、ルイの顔が歪んだ。悲しみと怒りがない交ぜになった目だ。その瞳に今までの俺に対する信頼の眼差しはもうない。まるで敵に向ける眼差しだ。


「ルイ、落ち着け。何があったんだ?」


 俺は声を低く抑えながら、住人たちの動揺を背に、すぐに動けるよう身体を半身に構えた。ルイの暴発に備えるためだ。


「お前だ……お前が父さんを殺したんだ!!」


 その言葉は鋭く、刃のように胸に突き刺さった。


「殺した? ……待ってくれ、俺はそんなことしてない! 誤解だ、ちゃんと話そう!」


「ふざけるなッ!! お前があんな毒を飲ませなければ、父さんはまだ……っ!」


「違う、それはただの鎮痛剤だ。痛みを和らげるだけの薬で、命を奪うようなものじゃない!」


 そこへ、俺の背後から、低く、どこか包み込むような声が響いた。


「そうだ、ルイ。お前のお父様は……寿命を迎えられたんだ」


 ザイドだった。そのたくましい身体から発せられる声は、怒りの空気をわずかに和らげるような、重みと落ち着きがあった。


 だが――


「寿命なわけ、あるか!! 父さんは、まだ五十七なんだぞ!? 島に来たばかりの頃はあんなに元気だったのに……!」


 ルイの叫びに、部屋の空気がぴんと張りつめた。


「どうしてだよ……どうして俺たち若者ばっかりが変異して、大人は誰もできなかったんだ!? 父さんだって、初めは変異できるって信じてたんだぞ!? 一緒にこの島でやり直そうって、未来を語ってたんだ! でも……でも、気づいたらどんどん衰えて、老いて、死んだんだ……この島のせいで!」


 声が震えていた。怒りの奥に、どうしようもない悲しみが滲んでいる。俺は言葉を失った。


 そのとき――


「やめてよ! そんなこと、言わないで!!」


 群衆の後ろのほうから、甲高い叫び声が響いた。声の主はアヤだった。住人たちの肩を押しのけてこちらに駆け寄る彼女の顔は、涙で濡れていた。


「ルイ……お姉ちゃんは、自分の体を差し出して、みんなを助けたんだよ! あのとき、ノアの方舟の人たちは、ほとんど死んでた。もしかしたら……ルイ、あなただって一度は死んでたんだよ?」


 アヤは叫びながら、ルイに向かって詰め寄った。 


「それでも、お姉ちゃんは……自分の命を繋げて、この島でみんなを生かしてくれたの。今だって、どれだけ痛くても、怖くても、黙って島の中心で……あの根の中で、私たちを守ってるんだよ!? そんなお姉ちゃんを勝手に責めるなんて、私が絶対に許さない!!」


 沈黙が落ちた。


 アヤの叫びに、誰もが言葉を失った。ザイドも、拳を握ったまま視線を落としている。


 ルイは俯いたまま、父親の亡骸を見つめた。


「……それでも……俺の父さんは戻らないんだ」


 そのつぶやきは小さく、あまりに幼かった。


「お前が許さなくても構うもんか。俺はここを出ていく。……父さん、行こう」


 そう言って、ルイは亡骸を抱きかかえ、ゆっくりと立ち上がった。


 その腕には、父親の重みよりも――別れの痛みがずっしりとのしかかっていたのかもしれない。


 一歩、また一歩。足元はふらついていたが、彼の足取りは迷いがなかった。


 群衆が、無言で道を開ける。


 誰も、止める者はいなかった。


 ルイは静かに――けれど確かに、俺たちの住処をあとにした。


 その背中は、どこまでも遠く、そして、孤独だった。


「ルイ、ごめん」


俺の言葉に一瞬足を止めたような気がした。

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