第3話
彼も星の空を見上げていたらしい。
寒気を避けるように外套に手を突っ込んでそこにしばらく佇んでいたが、
やがて夜営地の様子を見回すようにしながら歩き出そうとして、
こっちを見ている陸議に気付いたようだ。
彼は目を瞬かせてから、
小さく苦笑したらしい。
ゆっくり歩いてくる。
「なんだか君とは……よく会うね」
確かに
「……
「俺は、……なんて言うか、幕舎が落ち着かなくて。
いや、将官としてああいう幕舎をたった一人で使わせてもらえるのがとても有り難いことはちゃんと承知してるんだよ。
皆たくさん押し込まれて過ごしているし、見張りをして外にいる兵もいるからね……。
有り難いことは分かっているんだが、今まであまり屋根のあるところで寝てこなかったからか、どうも落ち着かなくて」
「屋根があるのが……落ち着かないんですか?」
きょとんとした問いになってしまったと自分でも思ったが、徐庶は苦笑した。
「馬鹿みたいなのは分かってるんだ。住むところを持ってない時は、屋根のある家で暮らせるのは幸せだなと思ってたけど、いざそうなってみるとまだ何か慣れない。
……ちゃんとした生活というのは、しておくべきだね」
陸議は「そんな理由でうろついてるのかこの人は?」と思ったのだが、あまりにも将官にしては突拍子もない理由だったので、少し笑ってしまって慌てて口元を引き締める。
「……すみません。笑うことではありませんでした」
「いや。いいんだ。むしろ笑うことだよ」
徐庶も笑っている。
陸議は不思議な感じがした。
もしかしたら今この瞬間も、どこか平原の奥から涼州騎馬隊が夜襲を掛けようと動き出しているかもしれないのに。
夜襲が起こっても、徐庶は剣が振れないかもしれない。
死ぬかもしれないのだ。
なのに、あんまり普通に徐庶が笑うから、
少し不思議な感覚になった。
……そういえば【
あの時も龐統とは罵倒し合って、分かり合えないと思って別れたのではなかった。
(何かむしろ、初めて)
初めて心が重なったような気すらしたのだ。
それまで陸議は、龐統の興味を引くものが自分の中に、何一つない気がしていた。
全ては
陸議が何を言っても、やっても、彼の興味を引くことは全くなかったように感じられたから。
龐統の前に立つと、
陸議はいつも無力だった。
自分が何の価値もないように感じられた。
……でもあの時初めて……、
龐統が自分の方を見てくれた気がしたのだ。
こんなところまで来たのかと。
自分を追ってあそこまで行った陸議を、初めて龐統が見てくれた気がした。
それは本当に些細なことだったけど、
好意や、
興味ですらなかったのかもしれないけど。
ただ、初めて龐統が自分から手を差し出してくれたのだ。
あの手を信じて、陸議は【
「……徐庶殿は……あの」
ああ、と徐庶は気付いたらしい。
「いや。何となく落ち着かなくて眠れなかったから、一度横にはなったけど。
少し周囲を見てこようと思って」
「夜営地の外ですか?」
「別に陣を離れるわけじゃない。見える範囲で周囲を」
徐庶は夜営地を見回した。
「みんな今日は緊張して、横になってても起きてる。
持ち場を守ってるし。
俺はここでは自分の部隊を持っていない身軽だ。
こんな日は将官が無駄にウロウロしたり陣を離れると兵が不安がるけど。
俺には部下はいないから、じゃあ俺が周囲をちょっと見てこようかなと。
そんな偉い理由じゃない。風に当たりたいついでだよ。
陣が中央から広がってるからね。
ぐるっと見てこようかなというだけだ」
「あの……。……私も一緒について行っていいですか?」
徐庶がこちらを見て、何かを言おうとしたので陸議は慌てて先に口を開いた。
「私もここでは自分の部隊は持っていない。
それにあの方から貴方の補佐もするように言われてるし……貴方がそうするなら、私にもそうする権利はあると思います」
徐庶は目を瞬かせた。
あと、彼が何を言って来たらどう答えればいいのかと思ったけど、陸議の心が動揺してるのを知ってか知らずか、ふっ、と徐庶が落とすように笑った。
「……確かに君の言うとおりだね」
こいつを断るのも面倒くさそうだと思われ、呆れられたのかもしれないが、陸議は「自分の馬を持って来ます」と言ってすぐにその場を離れた。
すぐに急いで戻ると、徐庶が見張りと何かを話していた。
「彼と周囲を少し見てくる。
何もないとは思うが」
見張りは徐庶が賈詡の信頼を得ていることも、陸議が司馬懿の副官であることも知っていたので、何の迷いもなく「はっ!」と敬礼し送り出してくれた。
「さあ、行こうか」
徐庶が外套の首元をきちんと締めて、馬に跨がる。
陸議も頷いて、騎乗した。
走り出す。
「どちらへ?」
「こちらから陣は見えるが、陣からは俺達が見えない距離に。
あまり近くにいると、警戒してる彼らに敵だと思わせて不安にさせても悪い」
陸議は頷いた。
まず、陣から真っ直ぐ離れていく。
陣の明かりが自分の身体から遠ざかっていく。
暗闇に包まれて来ると、空の星が一層輝き始める。
星が流れるのをまた見た。
あるところまで来ると徐庶は馬を緩めて、陣の明かりは見れるが、向こうからは自分達を補足出来ない位置であることを確認すると、ゆっくりと北へ向きを変えて馬を歩かせ始めた。
このまま円状に陣の周囲を歩くのだ。
そうしてる間に特に会話はなかった。
別に徐庶に何を聞きたいわけでもないし、答えてほしいわけでもない。
ただ何となく近くにいたかったから、それで良かった。
形式上では呉では、龐統は陸議付きの副官だった。
でも共に仕事をしていたわけではないし、従軍は一度、龐統が騒動を起こしてから周瑜が決して許さなかったから、戦場に出た時は龐統は建業に残っていたのだ。
陸議の部屋に出仕し、
自分の部屋に夜は戻る。
部屋から出ることもほとんどなかったらしい。
龐統に何か聞きたいわけではなかった。
何か答えを求めたわけでもない。
龐統が喋る気がない時は、陸議が勝手に喋っていた。
……何となく、側にいた。
意味があったとは思えない時間を、過ごした。
でも確かに一緒にはいたのだ。
今では信じられないと思う。
手の届く距離に、龐統がいたなんて。
本陣は本当に、何もない荒野に張った。
今は闇に包まれてるけど、地平線まで見える。
「確かに奇襲を掛けるなら、ここは夜襲しかないな」
ほとんど話さないまま、ぐるりと元の場所に戻ってきた。
「
何もない平原にまるで一夜で砦が出来たみたいに、綺麗な陣だった」
「……【八門金鎖】の陣は変幻自在に攻守に適した陣に変わると聞きました」
「うん。あの時は守備の形態を取ってたよ。歩兵で構成されてたからね。
攻撃の時は騎馬隊が主力になり、陣の形態を取ったまま動く。
敵が来ても陣に誘い込んで、中央にある本陣に至る前に殲滅する。
本当に、人間の構築する動く砦なんだよ」
「そうなのですか……」
「そういえば、あの時も【八門金鎖】の陣を基に、本当にそこに模した砦を
新野の平原に巨大な動く砦を築けたら、確かに
陣の反対側を、徐庶はじっと見ている。
「徐庶殿が、あの時
答えないようだったら黙ろうと思っていたが、徐庶は頷いた。
「うん……。丁度大陸を南から益州を北上し、涼州を巡ってまた東に行き、南下する所だった。
……新野に知り合いがいたから。
その時も正確には俺はお尋ね者だったんだけど、涼州まで行ってる間に多少ほとぼりも冷めているかなと、思い立って。彼に会いに行こうと思ってた。
彼の家が丁度新野にあったから」
「……そうだったんですか」
「そこへ行く途中、劉備軍と出会って。
彼らは
すでに曹操軍の防衛戦は突破していたし、曹操軍は彼らを追撃してるわけではなかったから、別に命の危険があったわけではないんだ。
だから会った時は彼らは笑って俺を迎えてくれた」
……劉備には、呉にいた時に会ったことがある。
赤壁の前のことだ。
呉蜀同盟が結ばれた時、
だから陸議は、蜀の主立った武将達の顔が実は分かる。覚えているからだ。
劉備は確かに穏やかで、落ち着きのある、武将と言うよりは豪族の立派な領主というような感じだった。
それよりも鮮やかな、
「……あの……
そっと、聞いてみた。
彼らの作り上げる国を見てみたかったと徐庶は言っていた。
彼なら
それでも聞いてみた。
「……そうだな……」
徐庶は少し考えるような仕草をして、外套に手を差し入れた。
「……彼の評判は涼州でも何となく聞いたよ。
益州でも聞いた。
【徳の将軍】なんて、お尋ね者の俺には本当は一番怖い人だね」
陸議は目を瞬かせた。
徐庶の声が笑っている。
「俺は初対面の人にはどうも警戒される。
いや。これも全部追われる身になった自分の不徳のせいなんだけれど。
周囲を必要以上に警戒して、やたら身を隠そうとするから怪しまれるんだ。
あの時も劉備軍の側を通り過ぎようとしただけだったんだけど、声を掛けられてしまって。彼らの話だと、どうやら曹操軍の
「尋問を受けたんですか?」
「いや。尋問というほどのことじゃない。
陣に来いって引っ張られて、曹操軍の間者じゃない、友人を訪ねてきた単なる通りすがりだって言ったら、
張飛。
彼のことも覚えている。
いかにも血気盛んな武将で陸議が初めて挨拶した時も、なんでこんな小さいのが軍にいるんだというような顔をしていた。
戦場の嗅覚を持った男で、
劉備軍はまず、張飛が何でも疑う。勘付く。
そして
劉備に報告が行って、彼が判断する。
「……でもそのあと勘違いを詫びてくれて、飯を御馳走になったよ。
劉備殿まで『客人がいると聞いた』って来てくれて。
火を囲んで、話をした。
……あの時の劉備殿は、劉璋殿の後を自分が継いで
「……。」
分かる気がする。
人生には時折、想像だにしなかったことが起こる。
「俺の父親は俺が生まれてまもなく病気で死んだんだ。
だから顔も知らない。
ずっとそうだったから、別に父親に憧れたことがあったわけではないと思うんだけど。
でも……もし自分に立派な父親がいてくれたら、あんな風なのかなって初めて思ったよ。
色んな人間には会って来たと思うけれど、そんな風に考えたことは一度も無かったんだ。
確かに不思議と、自分の身の上も何となく話してしまった。
俺がお尋ね者だと聞いても、自分も洛陽でも長安でもお尋ね者の手配書を書かれてるよって笑って、気にしないでいてくれた。
劉備殿がそんな風に俺を扱ってくれたから、他の人もすぐに俺を客人として迎えてくれた。
ただ……俺の前でも平気で今後の作戦とか話しちゃってたからね……確かにあの人は、人を少し信じすぎる所はあるのかもしれない」
徐庶は眼を細めて笑っていた。
陸議から見ても、
ああこの人は何もなかったら、そこにずっといたかったんだ、
今もそれは変わってないんだと思う、横顔だった。
「
母親の無事が分かり、病が良くなって身辺が落ち着いたら、またいつでも自分を訪ねて来てくれと。そう言ってくれたよ。
……だから、決して彼と戦場でだけは再会したくなかった」
徐庶は蜀相手の戦いには出陣したり献策したりしないと、曹操に頼んだという。
しかし命じられれば出陣はしなければならない立場だった。
【
曹操自身が出陣し、指揮を執るのであまり問題にはされなかったようだが、
敗戦の後にそれは色々と言われることとなった。
「曹操殿は何故貴方を長江の戦いに呼ばなかったんでしょうか。……貴方の心を慮って望みを叶えた?」
「いや。蜀相手に献策出来ないなどと言っている軍師を信頼出来なかったんだろう。
信頼出来ない軍師ほど、戦場において邪魔な存在はない。
……それとも蜀相手に戦は出来ないと俺が言った時点で、俺に失望し興味を失い、本当に存在自体を忘れていたのかもね。
そういう話をした時、彼はそういう表情をしていたから」
『
ずき、と胸が痛んだ。
無い者のように扱われた。
ずっと見つめてきた者に。
陸議にはそう言われた時の、
自分も
「……もし……劉備殿に偶然
「会わなかったら……」
考えもしたことがなかったような声で、徐庶が呟く。
「……そうだな……どこへ行っていただろう……。
北はまだ不穏だったから、南下して、行ったことのない
「呉は行ったことがないんですか?」
「うん。
どうしても船になるからね。
船は……お尋ね者が乗ると色々面倒が起こることがあるから、
何となく敬遠してしまった」
信頼出来ない船頭だと役人に金をもらう代わりに、そういう乗客を密告する者がいると陸議は
徐庶が言っているのはそういうことなのだろう。
「……もしかしたら
ふと思いついたように、徐庶が言った。
「涼州に?」
「うん。君は涼州に行ったことがある?」
徐庶がこちらを振り返って聞いてきた。
陸議は首を振る。
「そう。……いつか大陸がもっと平和になったら、一度涼州には行ってみたらいいよ。
冬は厳しいけど、春から夏にかけては緑が多くて涼しくて、とても気候が気持ちがいい。
……大陸の色んな場所に行ったけど、涼州は確かに少し特別な感じがした。
何か本当に自由になれたような、そういう空気の中に自分がいる気がした。
単にあんな北まで俺を追ってくる役人がいないのもあると思うけど……でも涼州では、過去のどんな柵からも解き放たれて、自由にその土地の人たちと話しながら過ごせた。
彼らは俺の過去にも、全然興味を持たなかったからね。
……あれが、国がないって空気なのかな。
豪族達は領地争いとかもしているようだったけど、それはもう古来から続いてきたあの土地の風習なんだ。
領主同士が仲が良ければ同盟を結び、家族のように付き合って、平和な時代が十年二十年と続くこともあるようだったし。
争いが起きるにも理由があるから、突如奇襲を受けて襲われるなんてこともない。
そういうことをすると涼州の豪族全体から疎まれ、敵視されるからね。
出来ないんだよ。
戦は常に正々堂々とやるのが、彼らの流儀だ。
彼らは平和を愛してるよ。
他国を侵略して領土が欲しいなんて思ってない。
自分達の領地を守って、そこに何かあれば、戦って勝ち取ることはあるが、敵の領地を取れば、そこの領民は自分達の民になるんだ。
涼州騎馬隊は領民には決して手を出さない。
俺は偶然だけど春と夏に行ったから、とても綺麗だった。
食べ物も豊富な時期だったから、通りかかった村でも食料を分けてもらったり、食事をさせてもらった。
旅人にはそういう風にする文化なんだって。
そういう親切をすると、旅人がまたその地に戻って来るだろ?
涼州の地を愛して、人が集まってくれば、山間の村々も結果的に豊かになるから」
「……涼州の方は、もう少し外界を警戒するのかと思っていました」
「都の方ではそう思われてるね。
曹操軍と戦ったから。
でも彼らが戦ったのは曹操軍とじゃない。
侵略に対してだよ。
交易などは昔から盛んだったし、
涼州の馬は素晴らしいから、昔から大陸中で好まれてる」
徐庶が自分の馬の首筋を撫でてやっている。
彼は役人に追われて、身を隠して生きてきたと言っていたから陸議も、もっと口数少なく心を隠したようなところがあるのかなと思っていたが、今日話して少し印象が変わった。
劉備のこと。
徐庶は思っているよりも人間を嫌っていない。
「涼州にも友人がおられますか……?」
村落を地図に書いていた徐庶を慮って、そっと聞いてみる。
「……。……そうだね。仲良くなった友達は何人かいる」
彼らがもし涼州の支配を曹魏に許さず戦いを挑んできたら、徐庶はきっと彼らを斬れないだろう。
彼らが襲いかかって来るなら、剣を振れず討たれることを望むだろう。
「そろそろ戻ろうか。
まだ安心は出来ないけど……あと数時間で段々明るくなって来る。
明るくなれば、とりあえず夜襲は今日はない」
徐庶が馬の首を返した。
ゆっくりと歩き出した、彼について行く。
前を行く徐庶が空を見上げている。
星を見上げていた龐統の後ろ姿を思い出した。
劉備はきっと、徐庶を忘れてはいないはずだと思った。
彼が多くの人間の父になれるような人なら、
一度縁を結んで、笑い合って語り合った『子供』の顔を忘れるはずがない。
「
陸議は馬上から声を掛けた。
「なんだい?」
徐庶は振り返らず、背で答えた。
「……、」
自分なんかが、何を言えるのか。
彼を巻き込んだのは陸議自身だ。
こんな場所に引きずり出してしまった。
その事実を徐庶は知らない。
そんな彼に自分が偉そうに言えることなんか何もない。
でも、言わずにはいられなかった。
「――貴方は、生きて下さい徐庶殿」
この世に絶望し、死を望んでいることを察してやれなかった。
龐統に言えなかったことを、後悔の念に抗えず徐庶に言ってるだけだ。
徐庶とも陸議は何の縁もない。
この戦い限りの、ついこの前会ったばかりの人間。
言葉が響くはずがない。
それは分かるが、言わずにはいられなかった。
「貴方自身が自分に対してそこまで思えなくても、再会を望まれる母君の為……、
いえ。貴方に生きてほしいと思ってる人たちのために」
陸議の瞳から大粒の涙が零れる。
「貴方は劉備殿の人柄を慕ったと言われた。
涼州の友も、貴方との再会をきっと待ってる。
わたしは、」
涙を零したくなくて、星の空を見上げた。
「私は、……知り合いが、戦で死んで……、
……彼は、
彼もきっと、まだ生きたかったはずだと、
私はそう、信じていて、……信じたいのですが……、
彼はもういなくなってしまったから、その答えが分からない。
永遠に、分からなくなってしまった。
でも、貴方は……劉備殿や蜀の方々を慕っておられる。
別に戦場じゃなくても、友人としていつか、会いに行けるかもしれない。
涼州の夏もとても美しいと話してくれました。
私に見に行った方がいいと言うほど、貴方が心惹かれた景色がこの世界にはあって、
まだ貴方は生きていて、
これからも生きていくことが出来るから、
――だから生きて下さい。
徐庶殿。
貴方との再会を待ってる人たちのために」
声は返らない。
冬の風が顔に吹き付ける。
徐庶の心を遠くに感じたが、陸議は思った。
それでも生きてる徐庶は、死んでしまった龐統よりも、近いところにいるはずだと。
声は届く。
聞いてもらえる。
「劉備殿は貴方が父親のようだと言うほどの情に篤い方。
彼はきっと、貴方のことをまだ忘れてない。
訪ねていったらきっと、笑って、
……笑って……迎えてくれるはずですから、
……だから無理に忘れたり、無関係になったなどと思わなくていいんです。
いつか世が今より平和になったら、劉備殿達に会いに行って下さい。
この戦いを生き延びて、彼らに、」
もう言葉が紡げなくなった。
俯いて、目を深く閉じる。
嗚咽を零さないように、唇を引き結んだ。
「……。初めて言われたよ」
声が聞こえて、
そっと瞳を開く。
「
そうしないとここでは生きていけないからって。
忘れないでいいと言ってくれたのは、君が初めてだ」
思わず顔を上げると馬上で徐庶が振り返り、星明かりの下で微かに笑っていた。
ありがとう。
それだけを言って、彼は馬の合図を送ると、駆け出して行った。
陸議の馬は数歩進んで立ち止まった。
手綱から手が離れた。両手で顔を覆う。
馬の首に額を預け、嗚咽が零れる。
自分という存在は、
この星の海の下で、
広い世界でちっぽけで、
どこにいるのかさえ分からなくなるほどで、
自分自身の為だけに強くなろうと、自分だけで思っても、
強くなれない。
限界を感じる。
だから多分、
(私達は誰かを求める。
自分が属し、その中に生きていると思えるもの、
仕えたり、想う、誰か)
星の瞬く夜に想う、誰かを。
自分のために強くなれない時、
星を見上げてその人のことを想う。
その人のために強くなり、
その人のために死んではいけないと、
そう思う。
相手が自分のその心を知っているか、
答えてくれるかどうかはきっとあまり関係はない。
自分が大切に想えるかどうかだ。
徐庶は多分、劉備相手にも、涼州の友人相手にも剣は抜けない。
彼らの近しい近親者にも、無理だ。
(でも私は、ここでは誰も私を知らない。
誰とも繋がりがない)
徐庶を殺そうとする人間がいて、それに対して彼が剣を抜けないなら、
自分がその人間を殺そう。
腰の剣を一振り、ゆっくりと抜いた。
青い刀身に流れる星の光が輝く。
力を込めて柄を握りしめる。
例えそれで自分の大切な友人を殺したと、徐庶に憎まれても構わない。
今、自分の中で信じられるのは、
彼に生き延びてほしいと強く想うこの気持ちだけだからだ。
(私は呉に戻れなくてもいい。
今まで愛して来た、誰とも二度と会えなくても。
見たことのない美しい涼州の景色も、
見ないまま死んだって構わない)
この気持ちは優しさじゃない。
もっと自分の心の中で信じ抜く、本能に近い。
(――貴方に見てほしい)
徐庶には、それを叶えてほしい。
凍えるように冷たい、
輝く刀身に陸議は額を寄せて、深く目を閉じる。
死んでしまった
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