EP49 決意

 ドアを引くと、廊下の白い照明を背負って、満面の笑み――いや、満面のニヤけ面を貼りつけた真夏が立っていた。


 目尻が三日月、口角がこれ以上はないところまで持ち上がっている。腹の底をぐりぐり小突かれるような、見事なまでに人を挑発する表情だ。


「ただいまっ! 葵ちゃん」


「……色々と言いたいことはありますが、とりあえず、おかえりなさい」


 言いながら内心で首を傾げる。

 普段なら、朝の真夏は絶望的に起きない。起こしても、髪は鳥の巣、目は半分しか開かず、布団を引きずって亡霊のように彷徨うのが常だ。


 ところが今目の前に立つ彼女は、髪もメイクも制服も完璧――まさに、完全体である。


 ……一体どういう手品を使ったら、あの真夏が、朝からその仕上がりになるんですか。


 私の困惑を尻目に、真夏は足取り軽くつかつかと中へ。

 そして部屋の中央まで進んだところで、ぱたりと振り返る。その顔は満面のニヤけ面から、満面のさらに腹立つニヤけ面に更新されていた。


「葵ちゃん、昨夜はお楽しみだった?」


 ――ブチッ。


 脳内のどこかで、堪忍袋の緒が三度目の断線をした音が鳴る。ここ数日の酷使で、補修が間に合っていないのだろう。


 私はひとつ息を吐き、早足で間合いを詰めた。


「……あのですね、あなたが期待するようなことは何一つしていないです。そもそもこんなことになったのは、あなたが独断で余計なことをしたからですよね? 一体何を考えているんですか?」


 思わず、語尾が重なって早口になる。

 真夏はといえば、肩をすくめるだけで、声色は飄々としている。


「えー、葵ちゃんのためを思っての行動なんだけどなぁ」


「……どういう思考回路をしたら、私のためになるというんですか」


「だってさぁ――自分の気持ちに気付けたでしょ?」


 ――っ。


 核心へ楔を打ち込むみたいなひとことに、思考が半拍遅れる。それから頬の内側が、一気に熱を帯びたのが自分でもわかる。


 真夏はすかさず、それを捕まえて高く掲げる。


「あー、顔真っ赤だねぇ! 葵ちゃん、かわいい!」


「ぐっ……こ、こんなことをしてくれなくても、自身の気持ちにくらい――」


「うん、気づいたかもしれないね」


 遮るように、でもやわらかく。私が次に言いそうな言葉を先回りして、彼女は首をひねる。


「でも、きっとその頃には修学旅行は終わってて、忙しない日常に戻るでしょ? それで『まあ、いい思い出だったな』って引き出しにしまって――諦めちゃうのが葵ちゃんなんだよ」


 幼なじみ、という生き物の厄介さを、これ以上なく思い知らされる。私が彼女の本性を知っているように、彼女もまた、私の本質を知っている。


 的を射られているのが悔しいが、反論の弾はどこにも見当たらない。


 昨夜のことがなければ、たぶん神戸デートもなかった。せいぜい可能性としてほとんどないに等しい、彼の覗きに期待して、結局来ずにうやむやに笑って、帰って、風化させて、はい、おしまい――そんな未来図が、容易に想像できてしまう。


「だからさ、私に感謝してほしいくらいだよ!」


 腰に手を当て、胸を張る真夏。

 うっすら湧きかけた感謝の気持ちは、その偉そうなポーズで風船みたいにしぼんでしまった。


 しかし、彼女は気にも留めず、すぐさま追撃を入れてくる。


「まぁ、それはいいんだけどさ――それで、どうなったの!? まさか告白とか!?」


「いえ、そんなことには……。今日の自由行動で、神戸を案内してもらうことになったくらいです」


「いいじゃん、神戸デートだね!」


 ぱあっと顔が輝く。


「そこで告白とかされちゃったり、いや、むしろ葵ちゃんからしちゃったり」


「いえ……そもそも彼が私のことをどう思っているのかわかりませんし……」


 言いながら、修学旅行の三日間を巻き戻す。私の振る舞いは、お世辞にも可愛げがあったとは言い難い。


「それに何より、彼の覗きのターゲットは真夏――あなたなんですよ」


 これは本人から確認した、紛れもない事実。そして、それが胸に小石のように沈んでいることも。


「……なので、彼の矢印は、あなたに向いているのかもしれないです」


 弱音みたいに漏れる声。真夏は、そこで大きくため息をついた。わざとらしいほど深く、長く。


「あのさぁ、葵ちゃん——そんなわけ……いや、そう考えちゃうのが葵ちゃんだもんね」


 言い直すと、彼女はすっと距離を詰め、私の両肩に優しく手を置いた。掌の温度が肩を包む。正面から視線を合わせて、諭すみたいに言う。


「だったらさ、本人に確かめようよ」


「……え?」


「今日のデートの終わりにさ、佐山くんにこう言うの。『私の風呂を覗けるように案内するから、そうしたいなら来て』って」


 ――っ!


 思考が音を立てて止まり、喉の奥がひりつく。


 でも、その発想は恐ろしく合理的でもある。言葉で重ねるより、行動で問う。彼が何を選ぶかで、矢印の向きを測る。


「それで来れば、葵ちゃんの言うとおりなんだろうし、来なかったり、断ったりするなら、その時は彼の矢印はわたしに向いてないってことになるでしょ?」


「…………そう、ですね。そのとおりだと思います」


「それで、彼の矢印がわたしに向いてないことがわかったら、最終日にでも告白しちゃえばいいじゃん」


「……告白」


 口の中で転がしてみる。


 自分には縁遠い単語だと思って、これまで丁寧に避けてきた。


 断られる怖さ、砕けてしまう怖さを実感する。

 ……でも、何も言わないまま風化させるほうが、今はもっと怖い。


 真夏の言うとおり、というのが少し悔しい。


 それでも、今選べる選択肢の中で、いちばんまっすぐな道だと思えた。彼の真意を確かめてから、私の真意を差し出す。


「……ありがとうございます。そうしてみようと思います」


 はっきりと、逃げ道をなくすみたいに言葉を置く。真夏がぱあっと満開に笑った。


 さっきまでの腹立つニヤけ面じゃなく、純粋に嬉しいときのやつ。


「葵ちゃんっ!! うん、頑張ろうね!!」


 私の手をぎゅっと握り、ぶんぶん振る。体温が掌から腕へ、胸へと伝播して、少しだけ呼吸が軽くなる。


 人のことなのに、自分のことみたいに喜ぶ。真夏のそういうところ、ずるいくらいに強い。


「……頑張ります」


 握り返すと、真夏は満足そうに頷き、ぽんぽんと私の肩を叩いたのだった。





【オマケ:真夏と葵のコソコソ話】


「ちなみに、今日はなんでこんなにスムーズに起きられたんですか?」


「ふふふ、葵ちゃん! よく聞いてくれたね」


「聞いてほしかったんですか……」


「実はね……色々あって一人部屋になったから、徹きゅんにモーニングコールを頼んだの! しかもビデオ通話で!」


「…………あぁ、なるほど」


「徹きゅんにはだらしない格好見せたくないなぁ――って思ってたらちゃんと起きれたの!!」


「しかもモーニングコールをお願いした時間の5時間も前に!!」


「…………それ、モーニングコールが楽しみすぎて寝れなかっただけでは」


「…………ホントだ!!!」


「はぁ……今日の自由行動中に寝落ちしたりしないでくださいね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る