EP32 迷子

 なんとか肩で息をつきながら追いついた時、真夏はちょうど先ほどの紙袋持ちから聞き込みを終えたところだった。

 

 艶のあるショッパーの側面には、見覚えのある丸い目のキャラクター。やっぱりあのアニメで間違いなさそうだ。


「葵ちゃん! あっちだって。あっちにポップアップストアが出てて、列ができ始めてるから行くなら早めにいった方がいいって!」


 言うが早いか、私の手をつかんで反転。人波の切れ目に合わせて、勢いのまま梅田の地下街の通路へ滑り込む。

 

 歩速は小走りと早歩きの中間。タイルの継ぎ目をリズムよく刻む足音が二人分。


「……あの、取り巻きさんたちへ連絡しなくて大丈夫ですか?」


「後で! 買うもの買ったらメッセージ送っておくよ!」


 振り返りもせずに答える声は弾んでいる。私はため息を一つだけ胸の内で折り畳んで、手首を引かれるまま進んだ。


     * * *


 地上と同じく地下も雑多としており、角を曲がるたびに看板の矢印が行き先を塗り替えほどだったが、10分ほどの回廊行脚の末、目的地は突然視界に立ち上がった。

 

 仮設の白い壁面に、等身大のキービジュアル。

 入り口からやや離れたところで、『最後尾はこちら』と書かれたプラカードを手にしたスタッフが列を整えていた。

 

 話に聞いていた通り、列はすでに蛇のように折れ、あと数メートルで通路の邪魔になる――つまり整理券が出てもおかしくない混み具合。


「列が! 急がなきゃ!」


 真夏は私の手を放すと、するりと最後尾へ身体を滑らせ、そのまま列のカーブに体を沿わせてストンと止まった。


「よかった、とりあえず中には入れそうだね」


「……そうですね。とはいえ、午前中の自由時間はこれで終わってしまいそうですが」


「ごめんって、今度スイーツ奢るから、ね!」


「……それ、事あるごとに言われてますけど、実現したことありませんからね」


「……てへ」


 普通なら苛立つ仕草も、真夏がやるとなぜかポスターの一部みたいにきれいに収まってしまう。


 ……これが美少女補正というやつか。

 

 改めてそう思い、ひとつため息をこぼした。


 すると、前方からスタッフの声。

 

「ただいまの最後尾の方までで一旦ご案内を締め切ります。以降は整理券の配布になります」

 

 どうやらギリギリすべり込めたらしい。

 この運の良さにも美少女補正が入っているような気がしてならなかった。



     * * *



 列に並び40分ほどが経った頃、ようやくテープパーティションの内側へ案内される。

 中は仮設にしては広く、中央にアイランド什器、その周りをぐるりと巡る一方通行の導線。BGMはTV版の主題歌と思われる、どこか聞いたことのあるメロディが流れていた。


「これと、これと、これと――」


 真夏の手が止まらない。B5サイズのクリアファイル、泡を抱いたマスコットのキーホルダー、キャラクターごとのアクスタ、ふわふわのぬいぐるみ、ランダム缶バッジは

 

 さらに大阪限定トートを二つ、限定ラベルのミネラルウォーターまでカゴに吸い込まれていく。


「……? どうして同じものをいくつも買っているんですか?」


「え? これは徹くんにあげる用で、これは徹くんとお揃いで持っておく用、これは徹くんが失くしたときにあげる用で――あ、あと飾る用と、保存用と、布教用もいるよね」


 頭痛の予兆がこめかみに触れる。けれど、本人が幸せならそれでいい。

 グッズでいっぱいのカゴを幸せそうな表情で見つめる真夏を見て、そう思うのだった。

 


     * * *



 結局、紙袋に収まりきらない量になって、店舗の発送カウンターで伝票を書いた。

 配送先の欄に真夏がきっちりと自宅住所を記し、私は品目の要約を手伝う。

 

 ――よくもまぁ、と感心するとともに、徹がますます真夏に堕とされる様が手に取るようにわかる。

 

 控えのレシートを受け取って息をついたとき、壁掛け時計の短針と長針は11時40分を指していた。

 

「正午に集合でしたよね? そろそろ皆さんに連絡して、集合場所へ向かいましょうか」


「そうだね」


 真夏は頷き、バッグからスマートフォンを取り出す。が、黒い画面は沈黙したまま微動だにしない。


「……どうしましたか?」


「……やばいかも、充電切れちゃった」


「……え?」


 胸の奥が微かに冷える。そういえば――朝、言っておくべきだった。寝相の余波で、枕元のスマホは充電器ごと飛んでいった。あれでは満足に充電されていないはず。

 

 そして、それは私も同じ。ポケットから自分の端末を出してタップするが、やはり反応はない。無音、無灯。

 

 土地勘のない地下街。

 しかもここまで真夏に引っ張られてきたせいで、どの角を曲がり、どの通路を通ったのかも曖昧だ。人の流れは四方へ分岐し、案内板は層を成して矢印を散らしている。


「……まずい、ですね。地図アプリなしで、集合場所まで戻れますか? 私は自信がありません」


「わたしも自信なんてないよ! ど、どうしよう!? とりあえずそれっぽい方に行ってみる?」


「……悪手だと思います。ここは――」


 一拍置き、声を落とす。


「……わかりやすい場所に留まっておいた方がいいと思います。集合時間に私たちがいなければ、誰かが探しに来るはずですから」


「わかりやすい場所かぁ……」


 真夏はくるりと辺りを見回す。視線の先、少し離れた開けたスペースに水の音。丸い噴水が白い照明に縁取られ、待ち合わせの人波が周縁に輪をつくっている。地下街の交差点――目印としては悪くない。


「あそことかどうかな?」


「……いいと思います。少なくとも、この雑多な通路よりは」


 そして私たちは歩き出す。その足取りは自然と速まるが、それは内側に不安を纏っていることの裏返しでもある――そんな不安に潰れないよう、真夏の手を握りながら足を動かすのだった。

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