EP6 いざ、京都へ
まだ外が青白い。普段より2時間も早い朝に目を覚ました。
鏡の前で髪を整え、淡々と顔を洗い、最低限の化粧をして、服を着る。どれも慣れた動作のはずなのに、今日は少しだけ手が重い。
修学旅行――わずかに色づいたそれではあるけれど、やっぱり心の奥底は落ち着かない。
それから、ベッドの上に広げたカバンに、順番通りに荷物を詰めていく。
服は、先日3人で買ったものに加えて、お気に入りのモコモコパジャマとサメのパジャマも放り込む。
ツカサに見つかったら「子どもっぽい」と笑われるのは目に見えてる。それでも、どうしても持って行きたいのだ。
ついでに――オーバーサイズのスウェットとパーカー、それにショートパンツ。これもきっと姉に文句を言われるだろう。「もっと女の子らしいのにしなさい」って。でも、私はこういうシルエットが落ち着く。
問題は、ベッドの端に置いてある小袋だった。水着と、新しく買った下着。
手を伸ばしかけて止まる。視線を逸らす。
着る予定は、ない。
そもそも人に見せるものでもない。
でも、カバンに入れておけば、もしものときに困らない。
そうやって合理的に片付けようとするくせに、心の奥では別の想像が勝手に動き出す。
自分がそれを身につけている姿。
鏡の中に映る線。
「……はぁ」
小さく吐き出して、袋をカバンに押し込んだ。結局、持っていかないとツカサに後で見抜かれて小言を言われる。それが面倒だから――そういう理由にしておく。
ジッパーを閉めて、手を止める。カバンは膨らみすぎず、重すぎず、ちょうどいい――これで準備は完了。
肩を伸ばしながら、窓の外を見る。朝焼けが少しずつ街を染めていた。
――さて、と。
あとは隣の眠り姫を起こすだけだ。どうせまだ布団に潜って夢の中だろう。
そう思いながら、私は静かに部屋を出た。
* * *
勝手知ったる小鳥遊家のチャイムを鳴らすと、真夏の母親が出てきた。
「あ、葵ちゃん。おはよう。真夏はまだ寝てるから……悪いんだけど、いつも通り起こしてもらえる?」
「はい、わかりました」
私は慣れた足取りで真夏の部屋へ向かった。
ドアを開けて、まず目に飛び込んできたのは——壁一面を塞ぐほどの巨大なコルクボードに貼られた、徹の写真の数々だった。
笑顔でピースしている写真もあれば、気づかれずに撮ったとしか思えない横顔もある。ランドセルを背負って歩いているだけの後ろ姿まで。枚数の暴力に、思わず足を止めた。
――これはもう、趣味とかそういう言葉では片づけられない。深い闇。そんな言葉が頭に浮かぶ。
気を取り直してベッドを見ると、そこには目も当てられない姿で眠る真夏がいた。
シャツは、どう寝返りをしたのかというほど捲れ上がっており、真っ白なお腹はもちろんのこと、撫子色の頂が半分ほどあらわになっている。
……ナイトブラくらい着たらいいのに。
ショートパンツもショーツごとずり落ちており、目に入れたくもないものが容赦なく視界に突き刺さった。
そして——
「んん……徹くん……こんなにしちゃって……」
「おねだり、できる……? そしたら……徹くんが…………全部…………あげる……」
寝言で、徹に対する卑猥な欲望を口にしていた。
その声の熱っぽさに、私は額を押さえた。
「……相変わらず、いや、むしろ悪化してる」
学校の人たちが見たら確実に卒倒するだろう。清楚で可憐な小鳥遊真夏が、こんな痴態を晒しながら小学生への妄想を口にしているなんて。
「いい加減起きてください。遅刻しますよ」
私はため息をついて、枕を掴んで真夏の頭に叩き落とす。
「んー……あと5分……」
「……遅刻するって言ってますよね」
今度はもう少し強く叩く。
「うぇっ!? あ、葵ちゃん……おはよう……」
真夏がようやく目を開けた。寝ぼけ眼で私を見上げる姿は、たしかに可愛らしい。
「もう7時ですよ。急いで準備しないと――」
「えー、まだそんな時間じゃ……うわっ!? 本当だ!」
真夏が慌てて飛び起きる。その拍子に、ずり下がっていたパンツとショーツに引っかかり、盛大にひっくり返る。
「……あの、それ見たくないので、早く着替えてもらっていいですか?」
「あ、あはは――ご、ごめんねぇ……」
結局、そのまま準備を手伝わされる羽目になる。髪を梳かし、簡単に整えて、化粧道具を取り出させて手早く済ませ、最後に着替えをさせる。ほとんど介護に近い作業だ。
先ほどまでの醜態から、学校一の美少女への変身は、いつ見ても見事なものだった。
階下に降りると、真夏のお母さんが申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「葵ちゃん、ごめんね……修学旅行の間、本当にお願いね。この子、あなたがいないとダメだから」
「……善処します」
それ以上は言わなかった。言っても虚しいだけだ。
横で聞いていた真夏が、慌てたようにこちらへ身を乗り出してくる。
「ちょ、ちょっと!! 本当にお願いね!?」
「……はいはい」
肩を竦めながら答える私に、真夏はどこか必死な顔をしていた。自分の醜態を晒す癖を、本人も自覚しているのだろう。
* * *
それから2人揃って家を出て、キャリーバッグを転がしながら学校へ向かった。キャリーバッグの車輪が、アスファルトを転がる音がやけに耳につく。
「そういえば――」
私はふと思い出したように口を開く。
「取り巻きさんたちには今回、私が同じ部屋ということについてはどう言ってあるんですか?」
「だから、取り巻きじゃないってば」
真夏が頬を膨らませる。
「別に普通だよ? 葵ちゃんも同じ班でいい?って聞いたらオッケーしてもらえただけ」
さらっと言う。簡単なことのように。
――さすがの人望。
ただ、取り巻き――もとい真夏の友人たちからしたら、心中穏やかじゃない可能性もある。
なんでお前みたいな奴が真夏ちゃんと仲良くしてるんだと――お邪魔虫扱いされかねない。
……接し方には気をつけよう。
そんな考えをしていると、真夏がふいに足を止めた。
少し前を歩いていた彼女が、くるりと振り返る。
翻るスカート、さらりと流れる髪。光を受けて、その一瞬がまるで舞台のワンシーンのようだった。
……美少女は得だな――
そう思わざるを得ない。
「だからさ――」
真夏はまっすぐに笑った。
「修学旅行で、いろんな思い出をつくろうね!」
女である私でも、ましてや古い付き合いの私でも見惚れるほどの満面の笑顔。
「これが最後の修学旅行なんだからさ」
その言葉を聞いて、私は「たしかにな」と思った。
この規模での集団旅行というのは、おそらくもう経験することができないだろう。大学に行っても、社会人になっても、これほど多くの同世代と一緒に旅行する機会は滅多にない。
「そのためにちょっとだけ約束破って、一緒に行動できるようにしたんだから」
真夏が得意げに言う。
心の中で礼を告げつつ、口では軽口を返した。
「……醜態を隠してほしいからっていう理由じゃなかったんですか?」
「そ、それもあるけど!! こっちが本命なの!」
真夏が慌てる姿が少し面白くて、私は小さく笑った。
「ふふ、わかってますよ。よろしくお願いしますね」
薄く笑みを浮かべた私を見て、真夏はさらに大きく笑う。
「よしっ! まずは京都!! 楽しむぞぉ!」
こうして――4泊5日の修学旅行が幕を開けた。
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