第2編 4泊5日の修学旅行で、私はクラスのお調子者を揶揄うことを決意した

Day 0 出発前

EP1 灰色の修学旅行

 修学旅行――それは大して仲良くもないクラスメイトと旅行して、あまつさえ寝食を共にするという苦行の日々。


 だからこそ、心から思う。


 何か起きて、中止になればいいのに、と。


 人災だろうが天災だろうが、はたまた人智を超越した現象でも何でもいい。とにかく、この面倒極まりない集団行事が無くなってくれることを、私――鷹宮葵は密かに祈り続けていた。


 でも、そんな願いも虚しく修学旅行の日は刻一刻と迫ってくるのだった。



     * * *



 別に人が嫌いというわけではない。ただ、無駄な会話や表面的な付き合いに時間を費やすよりも、一人で本を読んでいる方がよほど有意義だと思っているだけだ。


 ……そう自分に言い聞かせながら、体育館での修学旅行説明会に参加している。


「えー、それでは皆さんお待ちかねの修学旅行について説明します。今年は関西方面、4泊5日の旅程となります――」


 壇上で学年主任の田中先生が、手にした資料を読み上げている。聞けば聞くほど気が滅入ってくる内容ばかりだった。


 ホテル泊の大阪はまだしも、コテージやテントなんて……何が楽しくてわざわざ快適でない環境で寝泊まりしなければならないのか。


 加えて、私には特に親しい友達がいない。いや……厳密に言えば幼なじみの小鳥遊真夏がいるのだけれど、とある事情からあまり学校では話さないようにしているからノーカウント。


 そんな状況で5日間も拘束されるなんて、正気の沙汰ではない。


 家で勉強していた方が100倍有益だし、なんなら家でアニメや動画を見ている方でも数倍は有益だろう。損得勘定で物事を考えてしまうのは悪い癖だが、それにしてもとにかく益がない。


 憂鬱な心持ちが晴れることはなかった。


「以上で説明を終わります。何か質問はありますか?」


 田中先生の声で、私は現実に引き戻された。周りを見回すと、クラスメイトたちの目はキラキラと輝いている。


 ……何がそんなに楽しみなんだろう。


 私には、さっぱりわからなかった。



     * * *



 周りは修学旅行ムード一色だった。


 体育の授業終わりの更衣室は、今日も騒がしい密室だった。

 湿った空気に制汗スプレーの香りが混じり、シャツの擦れる音やロッカーの開閉音に、女子たちの甲高い笑い声が重なる。外界から隔離されたこの場所は、どんな下品な話題でも『女子だけ』という免罪符のもとに放たれる。


「修学旅行、夜が楽しみすぎるんだけど!」


「だよねー! 昼間は先生がうるさいし、夜こそ自由時間でしょ。絶対男子と電話するし」


「ていうかさ、磯貝くんの部屋に突撃する? なんか誘われたんだけどさ」


「やば、それ。けど……行きたいかも」


 私は自分のロッカーの前で体操服を脱ぎながら、その会話を横耳で聞いていた。


 何が楽しみなんだか……


 それでも彼女たちの話は止まることを知らない。


「ねえねえ、聞いた? F組の佐伯ちゃんと、あのバレー部の杉本が付き合ってるんだって」


 その一言で、更衣室の空気が一気に下世話に転がっていく。


「え、マジ? あの2人? やっぱりねー。なんか体育祭の時から怪しかったもん」


「てか、もう手ぇつないでるだけじゃないらしいよ」


「え、それって……?」


「……やることやっちゃったって話」


 一瞬、更衣室全体がざわつく。


「やっぱ杉本って体格いいし、絶対エグいよね。なんか……奥まで突かれそう」


「ちょ、やめてよー想像しちゃうじゃん」


「でも、そういうの羨ましいんだよなー。抱きつかれて、そのままベッドで押し倒されるとか」


 ガタ、とロッカーの扉が乱暴に閉められる音。笑い声と一緒に、更衣室の空気が熱を帯びていく。


 その熱に絆されたのか、また別の子が声を潜めるように囁いた。

 

「でもさ、エッチって痛いんでしょ? 初めては」


「そうそう、先輩が言ってた。血出たって」


「え、やだ怖い……でも、経験したらやっぱり変わるらしいよ」


 更衣室の空気が、急に湿り気を増す。

 

「でも、やってみたいよね、結局」


「うん。だってさ、彼氏できてデートして、キスして、手つないで……そこまでいったらもう、次は自然でしょ?」


「わかる。あたしも彼氏欲しい。なんかずっと、話聞いてると余計に」


「わたしもー! この修学旅行で、もう誰でもいいから付き合いたい!」


「でもさ、修学旅行で付き合い始めるカップルって、どのくらい続くものなんだろうね」


「あー、それ私も気になる!」


「たぶん3ヶ月が限界じゃない? 早かったら1ヶ月ももたないでしょ」


「えー、そんなもの?」


「だって、普段の学校生活に戻ったら現実に引き戻されるし――受験勉強だって本格的になるわけでしょ?」


 私は思わず、心の中で頷いていた。


 修学旅行みたいな特別な状況でしか生まれない恋なんて、どうせ長続きしないのだ。非日常的な空間に舞い上がって、普段なら見向きもしない相手と恋愛ごっこをする——そんなの、まともな恋愛とは呼べない。


 何より修学旅行マジックと言わんばかりに迫ってくる男とか嫌すぎる。


「鷹宮さんはどうなの? 好きな人とかいる?」


 突然話を振られて、私は体育着を着る手を止めた。


「……別に、いませんよ」


「えー、本当に? 鷹宮さんって意外とモテそうなのに」


「そうそう! ちっちゃくて、小柄な感じがいいって言ってる男子もいるよ」


 私は曖昧に微笑んで、会話を終わらせた。


 ちっちゃくて小柄とか、どれだけ小さいんだという話だ。まぁ、背が小さいのは事実だから仕方ないけど。

 でも、それで近づいてくる男なんて、結局は外見、表面しか見ていないのだろう。


 ため息をつきながら、私はどうにかしてこの修学旅行を欠席できないものかと思わずにはいられなかった。

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