第29話 ペネトレーション・ミッション

 ホテルの夕食は、さすが大阪の高級ホテルだけあって豪華だった。


 和洋中のバイキング形式で、大阪名物のお好み焼きやたこ焼き、さらにはどて煮やイカ焼きまで並んでいる。


 神奈川ではなかなかお目にかかれないものや味に思わず皿一杯に盛り付けて、食べ始める。


「さすが太一だね。この状況でもしっかり食べられるなんて」


 俺の皿を見た翔吾が皮肉混じりでそう声をかけてきた。


「まぁ、さすがに3回目だしな――いや、ちょっとは緊張してんだぜ?」


「いや、それくらいでいいと思うよ。緊張し過ぎているよりはずっとね。でも――」


 翔吾はそう言って、俺の皿からイカ焼きを摘んでいく。


「食べ過ぎると動きにくくなるんじゃないかな?」


「ちぇっ、それもそうだけどよぉ……」


 持っていかれたイカ焼きに思いを馳せながら、滅多に来られない高級ホテルの味を堪能していったのだった。



     * * *



 夕食を終えて部屋に戻ると、もう時計は19時55分を指していた。


「――さて、そろそろだね」


 翔吾が立ち上がって、机の上に置いてあったカードキーを手に取り、俺に差し出す。


「頑張って」


「ああ、いい報告をしてやんよ」


 俺たちは固く握手を交わした。翔吾の手は温かくて、少しだけ安心できた。


「――それじゃあ、行ってくる」


 俺はある種の覚悟を胸に部屋を出た。



     * * *



 エレベーターホールに到着すると、ふと気づいた。


 12階から10階に直接行くのは変に思われないか?

 女子のフロアである10階に上から来る人はいない……よな?

 仮にエレベーターホール付近に先生がいた場合、上から来るエレベーターが止まるのはあまりに不自然だろ。だとすれば――


 俺は一度、フロントのある2階まで降りることにした。その後、2階から10階へ向かった方が自然に見える。


 エレベーターに乗って、2階へ。


 フロントの階は夕方ほどの人気ではなかったが、今からチェックインする人もいるようだった。俺はひとまず、近くにあった自販機へ向かった。


 ……缶コーヒーでも飲んで、気持ちを落ち着けよう。


 120円を投入して、ブラックコーヒーのボタンを押す。ガタンと音がして、温かい缶が出てきた。


 俺はロビーの隅にあるソファに座って、缶を開けた。


 プシュッという音が、やけに大きく聞こえる。


 一口飲むと、苦いコーヒーが喉を通っていく。手が少し震えているのがわかった。


 そういえば……どうして俺はこんなことをしようとしているんだろう。


 小鳥遊真夏の裸が見たい? そりゃあ、見たくないわけじゃない。でも——


 最近、頭の中にいるのは小鳥遊じゃなくて、葵のことばかりだ。


 翔吾にも言ったけど……やっぱり俺は——葵に勝ちたいんだ。


 あいつはいつも俺の上手を行く。覗き見を企んでも、毎回先回りして俺を翻弄する。


 今度こそ、俺が先手を取りたい。葵が驚く顔を見たい。


 そんな子どもっぽい理由かもしれないけど——それでも、俺にとっては大事なことなんだ。


 少し温くなった缶コーヒーを飲み干して、ゴミ箱に捨てた。


「よし――」


 気持ちの整理もできた。あとは――行動あるのみだ。



     * * *



 再びエレベーターホールへ向かい、やってきたエレベーターに乗り込む。

 運良く中には誰も乗っておらず、俺は臆することなく、セキュリティセンサーに小鳥遊のカードキーをかざした。


 ピッという音とともに、10階のボタンが点灯する。


 もう後戻りはできない。

 3階、4階、5階――


 エレベーターが上昇していくとともに、俺の心臓も激しくなっていく。ドクドクという音が、耳の中まで響いているくらいだ。


 ――10階。


 チーンという音とともに、ドアが開いた。


 開いたドアから見えるエレベーターホールには誰もいない。まだ油断はできないものの、ホッと一息ついて、俺は慎重にエレベーターから降りた。


 続いて部屋が連なる廊下の様子を確認すべく、エレベーターホールの端へと歩みを進める。


 そこから、まるで尾行をする探偵さながらに、壁に身を隠しながら廊下の様子をちらっと覗き込むと――


 バインダーを手にしながら廊下を闊歩する先生の姿があった。翔吾の予想通り、巡回なんだろう。


「ヤバっ……!!」


 俺は慌てて身を隠した。心臓がさらに激しく鳴る。


 でも、よく見ると——先生はエレベーターホールを挟んで、小鳥遊の部屋とは反対方向に歩いていた。

 つまり、小鳥遊の部屋がある廊下に対して背を向けている。


 ――これは、チャンスなんじゃないか?


 先生が小鳥遊の部屋から遠ざかっていくのを確認して、俺は行動を開始した。


 ――今しかない。


 俺はどこぞの忍かのように、音を立てないよう慎重に廊下を移動した。1032号室——小鳥遊真夏の部屋。


 ドアの前に立つと、わずかに手が震えているのがわかった。


 震える手で握ったカードキーをドアのリーダーに当てる。


 ピッ――。


 カチャンという解錠の音。


 ……成功だ。


 体が通れる分だけドアを開けて、滑り込むように部屋に入った。そして、音がしないよう丁寧にドアを閉めた。



     * * *


 部屋の中は灯りがついているものの、テレビの音や話し声などは一切しない、静かなものだった。


 中の様子の詳細がわからないため、俺は入り口横のウォークインクローゼットに身を隠した。


 そこから静かに部屋の様子を窺う。

 ……やっぱり人の気配はない。誰もいない? まさか小鳥遊もルームメイトも、実は大浴場の方へ行っているとか?


 そのとき——


 シャワーの音が聞こえてきた。

 浴室の方からだ。

 つまり、今この部屋には、浴室にいるであろう誰か――いや、小鳥遊しかいない。


 ルームメイトは大浴場に行っているのか——とにかく、俺以外には小鳥遊だけだ。


 ――いや、待て!


 俺はふとあたりを見渡す。

 もし、もし葵がいるとしたらどこだ?


 俺を止めるためにはこの部屋のどこかにいないといけないはず――


 最大限に注意を払って部屋をチェックする。


 ……いない? いないよな?


 どれだけ目を凝らして確認しても、葵の姿は確認できなかった。


 これは――勝った!


 俺は成功を確信した。

 そして、ゆっくりとした足取りで、静かに浴室の前へ忍び寄る。


 そのまま震える手と高なる鼓動を抑えながら、ドアの取っ手に手をかけた。

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