第26話 地下ダンジョン:梅田

 俺は阪急梅田から地下街へと降りていった。


 梅田の地下街——通称「梅田地下ダンジョン」は、関西人なら誰もが知る迷宮だ。阪急、阪神、JR、地下鉄の各駅が地下で複雑に繋がっていて、ホワイティうめだ、ディアモール大阪、イーマ地下街なんかが入り組んでいる。

 

 さらに『梅田』を冠する駅がそこら中にある上、ちょうどさっき行ったばかりの堂島や果ては北新地まで繋がっていたりもする。

 

 慣れない人間が迷ったら最後、簡単には脱出できない。


 しかも厄介なことに、闇雲に地上に出たところで、行きたい方向に行けるとは限らない。歩道が十分に整備されていないので、道路を挟んだ向かいに目的地があるのに、そこに行けないということも、ままある。


 でも、あの葵の性格を考えると——


 頭のいいあいつなら、下手に動き回らずに、誰かが見つけてくれそうな場所で大人しく待機するはずだ。


 そして、梅田地下でそれに合致するスポットといえば——


「泉の広場だな」


 ホワイティうめだにある泉の広場は、梅田地下で最も有名な待ち合わせスポットの一つだ。「泉の広場で」と言えば、誰でもわかるレベルだ。

 

 葵なら絶対にそこを選ぶ。

 俺は迷わず足を向けた。



     * * *



 10分ほど歩いて、泉の広場に到着した。広場の中央には小さな噴水があって、その周りにベンチが並んでいる。平日の昼間だというのに、結構な人がいる。


 そして——


「いたいた」


 予想通り、噴水の近くのベンチに二人の姿があった。


 小鳥遊と、葵。


 なんでこの2人が一緒に行動して、一緒に迷子になっているのかは全く検討がつかなかったが、とりあえず葵に関してはいつもの不敵さがなりを潜めているように見える。眉間に小さなしわを寄せて、時々きょろきょろと辺りを見回している。


 ……あの小悪魔でも、やっぱり知らない土地での迷子は不安なんだな。


 俺はゆっくりと近づいて、声をかけた。


「よっ、お迎えに来たぞ」


 葵がこちらを振り返る。その瞬間、彼女の表情にホッとしたような安堵の色が浮かんだ。


 でも、それは本当に一瞬だけ。すぐにいつものクールな、なんだったら少し不機嫌気味な表情に戻って——


「……誰ですか、ナンパは間に合っていますので」


 そう言って、そっぽを向いた。


「何でだよ、ナンパじゃねぇよ!」


 俺は思わずツッコミを入れた。


「佐山くん!」


 葵の隣にいた小鳥遊も俺に気づいて、手を振った。


「ありがとう、探してくれたのね」


「あ、ああ、みんな心配してたぞ」


 ……さすが小鳥遊、笑顔が眩しすぎる。

 それに引きかえ、この小悪魔は――

 そんなことを思いながら、葵へと視線を戻す。


「で、鷹宮。どうして迷子になったんだ?」


「迷子だなんて人聞きの悪い――」


 葵は眼鏡の位置を直しながら答えた。


「一時的に現在位置を見失っただけです」


「それを迷子って言うんだよ」


「違います。迷子というのはその字のごとく、道に迷って泣いている子どものことを指します。私たちは冷静に状況を分析し、最適な待機場所を選択していました」


 相変わらず理屈っぽい。でも、その必死さが普段とのギャップも相まって可愛く見える。


「なるほど、最適な待機場所ね」


 俺は頷いた。


「確かに、泉の広場を選んだのは正解だったな。俺もここに来れば絶対いると思ってた」


「でしょう? 私の判断は間違っていませんでした」


 葵は少し得意げになった。でも、この小悪魔を逆にいじれる千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。


「でも、なんでそもそも迷ったんだ? 地下街なんて案内板もあるし、スマホもあるだろ?」


 その瞬間、葵の表情が微妙に曇った。


「……それは」


「もしかして……方向音痴か?」


「違います!」


 葵は珍しく語気を強めて否定した。


「私は方向音痴ではありません。ただ、スマホのナビに依存しすぎた結果、アナログな地図読みが苦手になっただけです」


「それを方向音痴って言うんじゃ……」


「言いません!」


 葵は頬を少し赤くして反論した。


「現代人の多くが抱える、デジタル社会の弊害です。仕方のないことです」


「へぇ、デジタル社会の弊害ねぇ」


 俺は面白くなってきた。いつも余裕たっぷりの葵が、こんなに必死になってるのを見るのは新鮮だ。


「もし、誰も迎えに来なかったらどうするつもりだったんだ?」


「……誰か……道ゆく人に尋ねようと思っていましたよ」


「でも、聞かなかったんだろ?」


「……関西弁の圧が強かったので」


 小さな声でそう言った葵に、俺は思わず笑ってしまった。


「なんつうか、意外とシャイなんだな」


「――っ! み、見知らぬ人に道を聞くのは、少し勇気がいるというだけです」


「それをシャイって言うんだよ」


「言いません」


 葵は頑なに否定する。でも、その様子がまた可愛い。


「あの、佐山くん」


 小鳥遊が遠慮がちに声をかけてきた。


「本当にありがとう。私たち、どうしたらいいかわからなくて……」


「ああ、気にしなくていいよ――ほら鷹宮も、こうやって素直に『ありがとう』って言えばいいのに」


「……別に、頼んでませんし」


 葵はまたそっぽを向いた。


「でも、安心したんだろ? 俺が来た時、ホッとしてたじゃん」


「してません」


「してたって。俺、見てたもん」


「見間違いです」


「いや、絶対してた」


「してません!」


 葵の声が少し高くなった。図星だったらしい。



     * * *



「よし、それじゃあ戻ろうか」


 ひとしきり葵をいじり終わった後で、俺は立ち上がった。


「集合場所まで案内してやるよ」


「……お願いします」


 葵は小さな声でそう言った。


「ん? 今なんて?」


「……お願いします、と言いました」


「もうちょっと大きな声で」


「……っ! 佐山太一くん、集合場所まで案内していただけませんでしょうか」


 葵が丁寧語で、はっきりとお願いしてきた。


「よし、わかった。任せとけ」


 俺は満足して歩き出した。


 今日は珍しく、葵に対して優位に立てた気がする。いつもは彼女のペースに巻き込まれてばかりだったから、新鮮だった。



     * * *



 阪急梅田の広場に戻ると、クラスメイトたちが心配そうに待っていた。


「あ、戻ってきた!」

「よかった!」


 女子たちが駆け寄ってきて、真夏と葵を囲んだ。


「すみませんでした」


 2人は担任や担任の先生に深々と頭を下げたりしている。

 そんな2人を尻目に、俺は翔吾のところに戻った。


「さすがだね、太一。よく見つけられたね」


 翔吾が感心したように言った。


「こんなもん、大したことじゃねぇよ」


 俺は照れながら答えた。


「さっ、飯行こうぜ、飯!」


「はいはい、強がらなくても」


 翔吾は苦笑いしながら俺の肩を叩いた。


 担任が点呼を取って、俺たちはクラス単位で昼食を取りに移動することになった。


 歩きながら、俺はちらりと葵の方を見た。彼女はもういつものクールな表情に戻っている。

 でも、さっきの不安げな表情や、照れて頬を赤くした顔が頭に残っていた。


 あんな表情の葵を見たのは、初めてだった。そして——また見たいとも、心のどこかで思っていたのだった。

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