「呪われた玄武宮」の主は、最強道士につき~のんびりスローライフ希望なのに、皇帝陛下が毎晩通ってきてお悩み相談(口実)をしてくる~
ケロ王
第一章 呪われた青龍妃
第1話 玄武宮の呪われた妃
華やかな後宮の中でも寂れた一角、呪われた玄武宮には妃ただ一人だけが住んでいる――否、魑魅魍魎が跋扈していて、迷い込んだ人間を食い殺してしまう、あるいは暴君だった先代皇帝の亡霊が夜な夜な彷徨っていて、再び蘇るために生者の魂を食らい尽くす。あるいは、ニワトリ姿をした怪物の群れが、人を迷わせて餌食にする。
そんな荒唐無稽な噂が後宮内に広まっていた。広大な後宮の四分の一を占める玄武宮にただ一人しかいないとなれば、そのような噂が立ってしまうのも致し方ないことなのかもしれない――。
「
いかなる噂であっても、全員が信じている、などと言うことはあり得ない。信じない理由は様々だが、そのほとんどは相手より優位に立ちたいという願望――噂などに踊らされると見下すことで優越感を感じたいというものだった。
この日、玄武宮に来る羽目になった二人の侍女も、そんな噂などバカバカしいと言い放ってしまったことが原因だった。それは噂を信じる人を暗に見下したということだけではない。噂など眉唾であると主張して玄武宮に行った侍女が次々と後宮から脱走してしまい、候補者がいなくなってしまったことが大きかった。
彼女たちの手にしている小さい燭台では足元が辛うじて照らされるだけ。一歩先は闇に包まれていて、二人には化け物が大きく口を開けていて、コツコツという足音やハアハアという息遣いごと二人を呑み込もうとしているように錯覚してしまいそうになる。
「あ、あんなのただの噂だから……」
「でも、何か唸り声のようなものが……」
「バカなことを言わないで! あれはすきま風の音よ!」
可也が噂だと強気に振舞う一方、子明は傍から見ても明らかなほど怯えていた。彼女の口から洩れる弱気な発言を打ち消そうとするように可也がことさら大声で怒鳴りつける。
一見すると強気に振舞う可也ですら、実際に玄武宮に来て、荒唐無稽な噂だと嘲笑っていた自分を恨むほど後悔していた。
今はただ無事に帰れることを祈ることしかできないが、無事に帰れたら二度と玄武宮の噂を軽んじることはしないと心に誓い、無事に帰れることをひたすら心の中で祈る。わずかでも可也が弱気なことを口にしてしまえば、二人は一歩も動けなくなるかもしれない。その恐怖があるからこそ、可也は何とか強気の姿勢を保っていられた。大きく深呼吸をして、唾と共に恐怖を呑み込み、一歩一歩、目的地に向かって進んでいく。
――ガタン!
「キャッ! な、何ッ?!」
「ただの物音でしょ! そんなことでいちいち驚かないでよ!」
物音に驚いた子明に対して、可也は苛立ち混じりに叱責する。彼女の強気な態度も、次第にメッキが剥がれてヒステリックな色合いを帯びてきていた。それに伴って、歩くペースも気付かないうちに、ゆっくりとしたものになっていく。
「うう、なんでこんなことに……」
「そ、それより、早く玄武妃の様子を見て帰りましょ!」
一人だけとはいえ、彼女たちの主人にとってはライバルとなる上級妃である。ここまで来た以上、手ぶらで帰るわけにはいかない。何か一つでも情報を得て帰らなければ『何だかんだ言っても、噂が怖くて逃げ帰ってきた臆病者』として、ずっと侮られてしまうだろう。
「もう……。どれだけ歩けばたどり着くのよぉ……」
「何を言っているの。まだ、玄武宮に入ったばかりでしょ」
反響している自分たちの足音を耳にしながら前に進んでいく二人。次第に、自分たちとは違うリズムで響きわたる足音が混じっていることに、子明が違和感を抱く。
「ちょっと、なんか足音がおかしくない?」
「変なことを言わないでよ。ただの気のせい――」
何かに気付いたのか首を傾げながら尋ねる子明を、可也が咎めようとして、途中で言葉を詰まらせる。反響する足音の一つが次第に大きくなっていることに気付いたからだ。
――コツコツ。
――コツコツ。
――コツコツ。
二人が足を止めても、その足音は止まらなかった。足音は二人の少し後ろで止まる。振り返って確認しなければと思う二人だったが、恐怖のあまり身動ぎ一つできなかった。
「いらっしゃいませ。玄武宮へようこそ」
しばらくして、二人の背後からガラスのように透明感がありながらも鋭さを持つ声が上がる。その声からは敵意のようなものはなかったが、玄武宮の独特の雰囲気に感化された二人には恐怖心を煽るだけのものだった。
「ひっ!」「うあっ!」
冷たい空気が背中を通り抜けると同時に鳥肌が立って震えが奔る。壊れた人形のような動きで二人が振り向くと、彼女たちの目に三つの人影が飛び込んできた。中央の女性が右手に持った大きな燭台。そのロウソクの炎が三人の姿をユラユラと照らしている。
「あっ……ああっ……」
中央の女性――玄武妃・
「ようこそ、お待ちしておりました」
それでも二人の表情は相変わらず固い。彼女たちの視線がわずかに左右に動き、月麗の脇に控えた侍女の姿を捉えた瞬間、二人の目は大きく見開かれた。その瞳に映し出されたのは、侍女の額に貼られた黄色い札。そこには赤く奇怪な模様と『急急如律令』という文字が書かれていた。
「まさか……、キョ、キョンシー?!」
「そんな、噂は本当だったの?!」
魑魅魍魎が跋扈している噂の通りの事実を目の当たりにされて、二人はあからさまに狼狽する。実際にはキョンシーがわずかに三体しかいないのだが、二人には知る由もない。
キョンシーの額に札が貼られていれば危険はない、という事実を知っていてもなお、目の前の脅威に対する恐怖心が薄れることは無かった。
「はい。ここって私一人しかいないでしょう? 彼女たちにも色々と手伝ってもらっているんですよ」
月麗の言葉を受けて、二体のキョンシーもわずかに顔を綻ばせて会釈をする。敵意など微塵もない、ただの挨拶。だが、それすらも二人の身体を恐怖で震わせるだけのものだった。
「ひ、ひぃぃ。た、助けてぇぇぇぇ!」
「うわぁぁぁぁ! し、失礼しましたぁぁぁ!」
「ああっ、待ってください!」
恐怖が臨界点を突破した二人は腰が抜けているにも関わらず、這うようにして一目散に月麗の前から逃げ出してしまった。二人に止まるように伝えたが聞き入れられるはずもなく、あっという間に暗闇の奥へと消えてしまった。
「あああ、そっちには鶏舎があるのに……。ニワトリ大丈夫かなぁ?」
「……」
「はあ、仕方ありません。鶏舎から出られなくなっているかもしれないので帰るときに拾ってあげてください」
ため息をついて、二人のフォローをキョンシーに依頼する。毎度のことでもあるため、嫌がる素振りなど全く見せずに頷いた。
「何で、みんなすぐに逃げてしまうかなぁ……」
人がいなくなって、すっかり寂れてしまった玄武宮だが、こうして侍女になろうと訪れてくる人は少なくないと月麗は思っていた。
第一印象が大事だということは月麗も良く知っているため、こうして笑顔で友好的に出迎えているのだが、いまだに話すら聞いてもらえたことがない。
「悲しいなぁ……。えっ、『自分たちがいるから怖がられたんじゃないか?』って? そんなわけないし。キョンシーにお手伝いをお願いするのは普通のことでしょ?」
「……」
「『キョンシーは普通はもっと怖いと思われている』って。もしかして、私の家が変だったのかなぁ……」
寂しそうに呟く月麗が憐れに見えたのか、キョンシーの一体が彼女の頭を優しく撫でる。道士の一族に生まれ、小さい頃からキョンシーに身の回りの世話を手伝ってもらってきた彼女にとって、あたりまえのことだった。
「別に何も悪いことしていないじゃない。それを怖がって逃げるなんて酷すぎるよ!」
幼くとも道士である月麗は、人に害をなす悪いキョンシーがいることも知っている。しかし、それは人間にも悪い人間がいることと変わらない。だからこそ、キョンシーだからと差別する二人が信じられなかった。
「あーあ、面倒くさいなぁ。別に上級妃じゃなくてもいいんだけど、陛下が頑固だからなぁ……」
月麗としては上級妃の座に固執はしていない。今の自由気ままな生活は気に入っているが、別に後宮から追い出されても同じように生活できる自信がある。しかし、皇帝が月麗と玄武宮を復活させようとしているおかげで、仕方なく人を増やそうと努力していた。
「もう、陛下が希望しているからって努力するなんて……。あああ、もう。やめやめ! 帰ろう! 今日はどうせ誰も来ないだろうし……」
相手の厚意を無にしたくはない。その一心で慣れない努力をしているが、一向に実らない現実に頭を抱える。おもむろに立ち上がって、キョンシーの方へ振り返った。
「あ、そのダミーの札は剥がしてもいいよ。もう誰かに会うこともないだろうしね」
キョンシーが額に貼られたダミーの札を剥がす。一般人でも札さえ貼られていれば安心すると聞いて、付けてもらっているけど効果を実感したことは一度もなかった。
一区切りついたところで寝所へと向かう。玄武宮と大層な名前で呼ばれているが、彼女が寝泊まりしているのは簡素な小屋だった。その小屋の前には、いつものようにぼろ切れをまとった長身の男が立っていた。
「やっと帰ってきたか」
「また来たんですか、陛下?」
「玄武宮の今後について、話をすると言っただろうが!」
「あ、そうでした! それなら中へどうぞどうぞ!」
「まったく……。調子のいいヤツめ!」
邪魔者扱いしていた態度を手のひらを返すように急変させた月麗に、彼――耀国皇帝・慶佑は大きなため息を吐いて、月麗の住まいである小屋の中へと入った。
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