Hey!JUPITER! 夏休みの宿題をAIで解く方法を教えて 

オテテヤワラカカニ(KEINO)

第一話 夏休みの宿題

 首筋くびすじを、なまぬるいあせ一筋ひとすじ、ゆっくりとながちていく。

 その不快ふかい感触かんしょくで、高橋翔太たかはししょうたはぼんやりとかけていた意識いしききりから、じりじりとけるような現実げんじつへともどされた。

 

 八月二十日はちがつはつか日曜日にちようび午後ごご二時にじすぎ。


 夏休なつやすみというの、ながすぎたまつりのわりをげる残酷ざんこく午後ごご


 母親ははおやに「勉強べんきょうしないならつけちゃダメ!」と厳命げんめいされたエアコンは沈黙ちんもくまもり、部屋へや空気くうきはよどみ、ねつびて膨張ぼうちょうしているかのようだった。


 唯一ゆいいつ味方みかたであるはずの扇風機せんぷうきは、「ジー……」と単調たんちょうなモーターおんてながら、ぬるまのようなかぜをかきぜるだけ。

 それはすくいなどではなく、部屋へやまったあせにおいを定期的ていきてき翔太しょうた鼻先はなさきはこんでくる意地いじわる機械きかいがっていた。


 じっとりとはだくTシャツが、気持きもわるい。


 部屋へやなかは、扇風機せんぷうきひくうなごえと、自分じぶん心臓しんぞうが「ドクン、ドクン」とあせりをきざおとだけが支配しはいする、いきまるような静寂せいじゃくたされていた。

 

 だが、その静寂せいじゃく部屋へやなかだけのものだ。

 はなたれたまどそとからは、まるで世界せかいわりをげるかのように、せみたちのオーケストラがそそいでいた。


 ジリジリと空気くうきがすアブラゼミの猛烈もうれつ合唱がっしょうに、ミーン、ミーン、と甲高かんだかいミンミンゼミの独唱どくしょうんでくる。


 それはもはやなつ風物詩ふうぶつしなどではなく、翔太しょうた思考しこう麻痺まひさせ、現実逃避げんじつとうひすらゆるさない、みみつんざ拷問ごうもんのようだった。

 

 そして、そのせみこえこうから、こえてきてしまうのだ。


 たのしそうな、あまりにもたのしそうなこえが。

 

健太けんた、パス! そっちだ!」

 

 親友しんゆうたちのこえだ。

 

 ボールをかわいたおと、ゴールネットをらすおと、そして「あー、おしい!」というくやしそうな、しかしつぎのプレーへの期待きたいちたわらごえ


 その活気かっきちたこえは、うすっぺらいかべなどないかのように、この部屋へやへと侵入しんにゅうし、翔太しょうたこころあせらせる。


 西にしかたむはじめた太陽たいようが、カーテンの隙間すきまから、まるで鋭利えいり刃物はもののようなひかりすじ何本なんぼん室内しつないんでいる。

 そのひかりやいばが、つくえうえにあるものを容赦ようしゃなくらししていた。


 ひかりなかを、無数むすうほこりがキラキラと、まるでスローモーションのようにっている。

 それは一瞬いっしゅんちいさな銀河ぎんがのようにもえたが、いま翔太しょうたには、永遠えいえんわらないこの絶望的ぜつぼうてき時間じかんそのものが、かたちになったかのようにおもえた。


 翔太しょうたは、ゆっくりとかおげる。

 その視線しせんさきにあるのは、かれがこの夏休なつやすみ、三十日間さんじゅうにちかんかけてきずげた、巨大きょだい絶望ぜつぼうやまだった。


 つくえうえにそびえつ、宿題しゅくだいというてきたち。

 翔太しょうたは、ひとひとつのてきと、嫌々いやいやながらも対峙たいじする。


 まずはラスボス、『夏休なつやすみのとも』。

 表紙ひょうしには、むぎわら帽子ぼうしをかぶった少年少女しょうねんしょうじょ笑顔えがおむしりをしている、牧歌的ぼっかてきなイラスト。


 しかし、その笑顔えがおは、いま翔太しょうたには悪魔あくま笑顔えがおにしかえない。


 すこ手垢てあかでよれた表紙ひょうしをめくると、そこにひろがるのは、いたいほどのしろさ。


 翔太しょうたが「しろ砂漠さばく」とこころなかぶ、未回答みかいとうのページだ。

 

 算数さんすうのページは、最初さいしょさんページで力尽ちからつきていた。

 いさぎよいほどの空欄くうらんが、かれ怠惰たいだ歴史れきし雄弁ゆうべん物語ものがたっている。


 そのとなり鎮座ちんざするのは、ちゅうボスそのいち読書感想文どくしょかんそうぶん


 課題図書かだいとしょである『ほしめぐりのうた』は、一度いちどひらかれることなく、新品同様しんぴんどうようのまままれている。


 表紙ひょうしの、キラキラとかがやうつくしい星空ほしぞらのイラストが、いま自分じぶんくもりきったこころ対比たいひをなしていた。


 「むだけで二時間にじかん感想文かんそうぶんなんてけるわけがない…」


 こころなかつぶやく。

 ビニールぶくろはいったままの四百字詰よんひゃくじづ原稿用紙げんこうようしたばが、まるでこれから執行しっこうされる処刑しょけい道具どうぐのようにえた。


 ちゅうボスそのは、絵日記帳えにっきちょうだ。

 七月しちがつのページは、家族かぞくった海水浴かいすいよくおもでなんとかめた。

 

 しかし、問題もんだい八月はちがつだ。


 ページをめくると、几帳面きちょうめんかれた日付ひづけだけがむなしくならび、そのとなりのスペースは、しろだった。


 「八月はちがつなんて、いえでゲームしてただけだ。なにえがけってうんだ…。『今日きょう魔王まおうたおしました』ってくのか?」


 そんなことをけるはずもなく、かれ八月はちがつは、存在そんざいしなかったことになっている。


「もうだめだ……わらない……」

 

 翔太しょうたは、両手りょうてでわしわしとあたまをかきむしり、つくえした。

 つくえのひんやりとした感触かんしょくと、ふるにおいが、かれ絶望ぜつぼうすこしだけやわらげてくれる……はずもなかった。

 

 かれは、おもむろにゆびり、のこされた日数にっすうかぞはじめる。

 

「にじゅういち、にじゅうに、にじゅうさん、にじゅうよん……」

 

 うわ。

 地獄じごくかよ。


 始業式しぎょうしき八月二十五日はちがつにじゅうごにち

 実質じっしつ、あと五日間いつかかんしかない。


 五日間いつかかんで、このエベレストのような宿題しゅくだいやまを、どうやって制覇せいはしろとうのか。

 めまいがして、まえくらくなる。

 

 タイムマシンがあったら。

 本気ほんきでそうおもった。


 七月二十一日しちがつにじゅういちにち自分じぶんいにきたい。


 夏休なつやすみがはじまったばかりで、「今年ことし計画的けいかくてきにやるぞ!」なんてって、テレビゲームの電源でんげんれた、あの楽観的らっかんてきおろかな自分じぶん後頭部こうとうぶを、おもいっなぐりつけてやりたい。


 しかし、まえにあるのは、えようのない宿題しゅくだいやまというの、現実げんじつだけだった。


 そのとき、ポケットにはいれていたスマートフォンが「ブブッ」とみじかふるえた。

 つくえうえくと、画面がめん通知つうち表示ひょうじされる。親友しんゆう健太けんたからだった。

 

今日きょうのサッカーる?いまたい2だから、たらすぐはいれるぞ!』

 

 健太けんたの、屈託くったくのない笑顔えがおのアイコン。

 そして、そのメッセージ。


 その一文いちぶんが、鋭利えいりなガラスの破片はへんのように、翔太しょうたむねさった。


 たのしそうな友人ゆうじんたちのかおが、あせひからせてボールをいかける姿すがたが、ありありとかぶ。

 

 それにくらべて、自分じぶんはなんだ。

 この薄暗うすぐら部屋へやで、わりもしない宿題しゅくだいやままえに、一人ひとり絶望ぜつぼうしているだけ。

 自分じぶんみじめさに、がこみげてきた。


 ちをかけるように、階下かいかから、母親ははおやこえこえてきた。

 

「しょうたー! 宿題しゅくだい、やってるのー!? やってるならエアコンれていいからねー」

 

 それは、怒鳴どなごえではなかった。

 だからこそ、余計よけいこわい。

 じわじわと、しかし確実かくじつにプレッシャーをかけてくる、さぐるような声色こわいろ


 翔太しょうたはビクッとからだふるわせ、反射的はんしゃてきつくえうえ鉛筆えんぴつり、意味いみもなく算数さんすうドリルの余白よはくに、ぐちゃぐちゃとせんいた。


 やっているフリ。

 かれにできる、唯一ゆいいつ抵抗ていこうだった。

 

 母親ははおやこえが、かれこころ完全かんぜんふさいでいく。


 「やらなきゃいけない。でも、やりたくない。でも、やらなきゃ。でも、どうやって?でも、でも……」


 思考しこうが、出口でぐちのない迷路めいろをぐるぐるとまわはじめる。


 すべてのプレッシャーにえきれなくなった翔太しょうたは、ふたたつくえし、けもののようなひくこえうめいた。

 

無理むりだ……絶対ぜったいに、無理むりだ……」

 

 もう、なにかんがえたくない。

 このまま、夏休なつやすみがわらなければいいのに。

 いや、いっそ、このまま自分じぶんも、この部屋へやあつ空気くうきけてしまえたら。


 したかれの、なみだにじ視線しせんさきに、ひとつのものがうつった。


 けっぱなしになっていた、自室じしつのドア。

 そのこうにえる、階段かいだんさきたりのドア。


 父親ちちおや書斎しょさいだ。

 

 その瞬間しゅんかん、まるでかみなりたれたかのように、昨日きのう夕食時ゆうしょくじ父親ちちおや言葉ことばが、脳内のうない鮮明せんめい再生さいせいされた。

 

『いやあ、最近さいきんのAIはすごいぞ。おれいま使つかってる「JUPITER」ってやつは、企画書きかくしょ草案そうあんなんて30びょういてくれるんだからな、仕事しごともサクサクだ』

 

 AI……ジュピター……。

 

 その言葉ことばが、翔太しょうたくらだったあたまなかに、ちいさな火花ひばならした。

 

 それは、希望きぼうひかりぶにはあまりに心許こころもとなく、しかし、おぼれるものつかわらとしては十分じゅうぶんすぎるほど魅力的みりょくてきだった。

 

 分厚ぶあつ絶望ぜつぼうくもこうにんだ、一筋ひとすじほそく、そしてどこかあやしいひかり


 翔太しょうたは、ゆっくりとかおげた。

 そのには、さきほどまでの絶望ぜつぼうとは、ほんのすこしだけちがいろひかり宿やどっていた。

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