第25話 新しい日々と不穏な影

 入学式が終わったあと、オレたちは学院の休憩スペースに集まっていた。

 

 ここは学生なら誰でも自由に使える場所で、広々としたソファや端末付きのデスクが並び、あちこちに談笑する生徒や、端末を操作している姿が見える。

 

 アストリア飛翔学院では、専攻以外の講義も自由に受けられる仕組みだ。

 登校は受けたい講義の時間に合わせればよく、固定クラスや専用教室といったものもない。

 

 過ごし方も人それぞれだ。

 講義までここでのんびり過ごす者もいれば、学院のジムで体を鍛える者、自習室にこもって勉強する者、一日中飛翔船シミュレーターに夢中な者までいるらしい。

 

「講義は明日からだけど、これからどうするんだ?」


「オレたちは、探索者協会に行くつもり。拠点をこっちに移すからね」


「レオンとアヤナは?」


「そうだな。俺も一度顔を出しておいたほうがいいかな」


「私も一緒に行くわ。しばらく行ってなかったし」


「よし、じゃあみんなで行こうか」


 そんな会話を交わしていると、ふと周囲の視線に気づく。

 休憩スペースにいた新入生たちが、ちらちらとこちらをうかがっていた。


「……なんか見られてるな」

 オレが小声で言うと、マイルもこくりとうなずく。

 

「うん。やっぱりアヤナの注目度はすごいね」

 

 好奇心で目を輝かせている者。

 羨望の混じった視線を送る者。

 中には、あからさまに嫉妬や敵意をにじませている生徒もいた。

 

「たぶん……クラインさんのクランに入ったって噂が、広まってるんだと思うわ」

 

 ざわつく空気のなか、俺たちは否応なく特別視されているのを感じていた。

 

 ――そのとき。

「ふん……やっぱりいたかぁ、調子に乗った連中がぁ」

 

 休憩スペースの入り口から、ねっとりとした声が響いた。

 場の空気が一気に緊張する。

 

 現れたのは、いかにも高級そうな服を着崩したゾンターと、いつもの取り巻きたちだった。

 

「やれやれ……クラインさんも見る目がないなぁ。俺のような実力者を差し置いてこいつらをクランに誘うなんてなぁ」

 

 ゾンターはオレたちを睨みつけながら、鼻で笑った。

 

「そうですよゾンター様。こんな連中、運がよかっただけで中身はスカスカですよ」


 取り巻きの一人がすぐさま同調する。

 ゾンターは得意げに腕を組み、こちらを見下ろした。

 

「まあ、せいぜい今のうちに調子に乗ってろ。すぐに“間違いだった”って思い知らせてやるからなぁ」

 

 周囲の新入生たちは、気まずそうに視線をそらす者、興味津々に眺める者――反応はさまざまだった。

 

「実力が無いのはお前だろ! 親の金で買った高性能機のおかげだって、もっぱらの噂だぞ!」


「貧乏人の僻みかぁ? みっともない。高性能な機体は、それを操る技術も必要になるんだよ」


 鼻で笑いながら、わざとらしく肩を揺らすゾンター。


 休憩スペースの空気がピリつき始め、周囲の生徒たちも固唾を呑んで見守っていた。


「レオン、もう放っておけよ。協会に行こう」


 オレが割って入ると、レオンはしばらくゾンターを睨みつけてから「……わかった」と舌打ち混じりに答え、背を向け歩き出す。

 俺たちもその後に続く。


「なんで、わたしたちにばっかり絡んでくるんだろう?」


「アヤナと一緒にいるのが気に入らないんだろ」


 マイルの疑問に答えると、アヤナが「え、私ですか?」と目を丸くした。


「ゾンターがオレたちに絡みだしたのは、実技試験のときにアヤナに話しかけた頃からだからな」


「そうなんですね……。すみません、私のせいで」


 アヤナが申し訳なさそうに頭を下げる。


「アヤナちゃんのせいじゃないよ!」


 マイルが慌てて言うと、アヤナは少し戸惑いながらも、安堵したように笑みを浮かべた。


「そういえば……アヤナちゃんって、あいつ《ゾンター》と知り合いなの?」


 一瞬、アヤナの表情に影が差した。


「ゾンターさんとは……親同士の繋がりで知り合いました」


 アヤナは言葉を選びながら話しはじめる。


 第4ファクトリーのオーナー《ゾンターの父親》が、自分の所属するレースチームに資金援助をしていること。

 ゾンターの屋敷に招かれたとき以来、顔を合わせれば何かと話しかけてくること。

 これまでは特に害がなかったため、あまり気にしていなかったが……。


「最近になって“私と付き合ってる”って、周囲に嘘を言いふらされることもあったの」


「なんだよそれ! ゆるせねえ!」


 アヤナのファンを自認するレオンの怒りは尋常ではなかった。


 もちろん、オレもマイルも同じ気持ちだ。


 怒りで熱くなる胸を抑えながら、オレたちは顔を見合わせた。

 アヤナの立場もあるから、今後ゾンターとは極力関わらないと心に誓った。


 ◇◆◇


 探索者協会へ向かってしばらく歩くと、アストリア支部の建物が見えてきた。

 グランベルグの協会と比べると規模はさほど変わらない。けれど、重厚さよりも直線的でシンプルな造りで、どこか洗練された印象を受ける。


 扉を開けて中に入ると、落ち着いた内装のロビーに人のざわめきが広がっていた。


「いらっしゃいませ、探索者協会アストリア支部へようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 カウンターに座っていた女性職員が、俺たちに気づいて笑顔で声を掛けてくる。


「拠点をこちらに移そうと思うので、情報の更新をお願いします」


 オレたちは協会カードを取り出して差し出した。


「かしこまりました。……少々お待ちください」


 カードを手にした職員が確認を始めた――その時、ふっと表情が変わる。


「え、えっと……飛翔船レーサーのアヤナさんで間違いないでしょうか?」


 その言葉に一瞬周囲がざわめく。


「はい、そうですけど……?」


「ご実家からお手紙と記憶水晶をお預かりしております」


 アヤナは黙ってそれを受け取り、ゆっくりと封を開ける。

 手紙の文面を追うにつれ、彼女の表情が徐々に硬くなっていった。


「アヤナ、大丈夫?」

 不安そうにマイルが声を掛ける。


 手紙を読む彼女の指先が、わずかに震えていた。


「……いえ、大丈夫です。すみません、家に戻らないといけなくなりました」


「え? すぐ戻ってくるんだよね?」


 マイルが問いかけても、アヤナはしばし沈黙したまま答えない。


「アヤナちゃん?」


 少し間を置き、彼女はようやく顔を上げた。


「……ごめんなさい。少し実家に戻るだけだから」


 それだけ言い残すと、アヤナは手紙を握りしめ、足早に協会を後にした。

 残された俺たちは、ただ呆然とその背中を見送るしかない。

 マイルの手が不安げに宙をさまよい、レオンも言葉を失っていた。


 ――あのときのアヤナの横顔。

 不安に揺れながらも、どこか決意を帯びた影が差していたことに、俺たちはまだ気づいていなかった。


 春の学院生活が始まったばかりだというのに。

 華やかな日々の陰で、確かに不穏な影が動き出していた――。

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