第4話 「卒業式の桜の下で」“写らなくてもいい”と言った彼女に、どうしても春を残したかった。
シャッター音が、やさしく春を切り取っていく。
校門前の桜は、今が満開。
卒業生たちの明るい声と、保護者のカメラのフラッシュがあちこちで交差している。
私はカメラを片手に、その隙間を縫うように歩き、生徒たちのふとした表情や、何気ない瞬間を静かにすくっていく。
私はこの中学校の卒業式を撮りに来た、学校カメラマン。そしてこの学校は、私の母校でもある。
式はさっき終わったばかり。
記念撮影の列が一段落し、あちこちで友達同士の「はい、チーズ!」が続いている。
そんななか、目を引いた子がいた。
校庭の隅。桜の根元に、一人の女の子が立っていた。
制服の袖をぎゅっと握りしめて、少しだけ下を向いている。
……どこか、空気が違う。
シャッターを切ろうとカメラを構えたが、私は思わず手を止めた。
――違う。
この子の表情は、ファインダー越しでは伝わらない。
だから私は、そっとカメラを下ろした。
代わりに、両手で四角をつくる。親指と人差し指でL字をつくり、顔の前でフレームを組む。そこに映ったのは、桜と空と、彼女の背中。
「……見つけた」
私は静かに息を吐いた。
◇
この子は――
地元のフォトスタジオでカメラマンとして働いてる私は、この3年間、母校のこの中学校で通年を通して学校カメラマンをしている。だから、生徒の顔も何となくだけれど、把握している。だから――初々しい1年生の頃から撮影してきた生徒たちが、卒業の日を迎えたというのは、とっても晴れ晴れしい気持ちになる。
けれど――、詩音ちゃんは、1年生のころから、たぶん、一度も、行事写真で撮影したことがない子だった。
担任の先生と打ち合わせをした時に、三年間ほとんど登校できなかった生徒さんがいる、と聞いた。――その子が詩音ちゃんだった。
でも、今日は、来たんだね。
制服を着て、学校に来て、式に出たんだね。
声をかけるのは迷ったけれど、気づけば言葉が口をついて出ていた。
「桜が満開で、綺麗だね」
詩音ちゃんは驚いたように顔を上げた。
私は首にかけた「学校関係者」の名札と、カメラを見せた。
「私はカメラマン。卒業式の写真を撮ってるの」
詩音ちゃんはぺこりと頭を下げてから、視線を落とした。
「……私のことは、撮らないでください」
俯いた陰のある表情が、かつての自分と重なって、私は思わず、自分のことを話しだしてしまった。
「この学校ね、私の出身校なんだけどね。私は卒業式、出なかったの」
「――なんでですか?」
詩音ちゃんが顔を上げた。私は肩をすくめた。
「中学2年の途中から、学校行ってなかったから。えっと、朝起きれない病気だったんだけど、それで学校来れなくなっちゃって」
中学校に入ってしばらくしてから、私は朝身体がダルくて起きられなくなってしまった。
病院に行ったのはしばらくしてから。自律神経の乱れが原因だったみたいで、薬を飲んでだんだん良くなったけど。でも、親にも先生にも同級生にも、最初「サボってる」って言われたのが嫌になって、学校自体が嫌になって、2年生から卒業式まで、学校に行けなかった。
詩音ちゃんは、黙って聞いていた。
「――卒アルの写真は家で制服着て撮ったんだ。けど、集合写真で〇印で囲まれて、右上にぽつんと浮いてるみたいに合成されちゃって。それ見てから、一回もアルバム開いてないんだ。」
私は「あはは」と頭を掻いた。
「だからってわけじゃないんだけど、できるだけ生徒さんの写真撮りたくて。あなたと桜の写真撮っちゃ駄目かな?」
「――私の写真なんか撮ったって、誰も気づかないし、いいですよ」
詩音ちゃんは首を振って、また俯いた。
そのとき、少し離れた場所で誰かが見ている気配がした。
目を向けると、校舎の影に礼服姿の男性と女性が心配そうにこちらを見ているのに気づいた。
詩音ちゃんのお父さんとお母さんだろう。
私と目が合い、二人はそっと頭を下げた。
私は静かにうなずき返す。言葉はなくても、そこに祈るような眼差しがあった。
私は、詩音ちゃんに聞いた。
「……スマホ、持ってる?」
「え?」
「もしよかったら、貸してくれる? あなたのスマホで、一枚だけ撮らせて」
こんなことを言ったら、説教臭いって思われるかもしれないけど。
私は言葉を続けた。
「――写真って、誰にも気づかれなくても、ちゃんと残るから。あとで見返したとき、“あの日、私はここにいたんだ”って思えるから、1枚撮っとくと、いいと思うんだ」
「じゃあ……お願いします……」
詩音ちゃんは少し戸惑いながらも、制服のポケットからスマホを差し出した。
私は桜の下に立つよう促し、構図を整える。
春の光が、枝越しにそっと彼女の頬を照らしている。
「……じゃあ、ちょっとだけ、笑ってみようか」
詩音ちゃんは、ほんの少し、唇をゆるめた。
その一瞬に、シャッターを押す。
画面に浮かんだ写真には、満開の桜と、ほんのり笑った少女の姿があった。
「……どうかな?」
おずおずとスマホを返すと、詩音ちゃんは黙って画面を見つめ、瞳を大きく広げた。
「すごく、綺麗に撮れてますね……」
「カメラマンだからね! 一応!」
そう言ってガッツポーズをすると、詩音ちゃんは、私の顔を見て笑ってくれた。
それから、私に言った。
「すいません、もう何枚か、撮ってもらっていいですか?」
「もちろん!」
そう答えると、詩音ちゃんは「お父さん、お母さん!」と離れたところからこちらを見守っていた、さっきの礼服の男女を手招きした。
「――カメラマンさんに、一緒に撮ってもらおうかなって」
「撮ってもらおう! いい記念になるよ!」
お父さんは繰り返しそう言って首がもげるほど頷くと、私にスマホを渡そうとした。
「私のカメラのが性能いいでしょ」
詩音ちゃんがそれを制止して、私にまた自分のスマホを渡す。
「それじゃあ、撮りますね。いち、にーの」
カシャ!
カメラには微笑む親子と、満開の桜が映っていた。
スマホを返すと、詩音ちゃんは画面を見てから、それを胸に抱きしめた。
お母さんが「卒業式、頑張ったね」と詩音ちゃんに耳打ちしてから、私に頭を下げた。
「仕事ですから、」
私は微笑んでその場を立ち去った。
◇
卒業式に出られなかったあの日の翌日。
「卒業式にも出なかったけど、卒業したのよね、アンタ」とそうため息交じりに言う親のいる家にいたくなくて、私は自宅を飛び出して、家着のまま、この学校までふらふらと来た。
卒業式も終わった春休みの学校は閑散としていて、誰もいなかった。
ただ、この桜の木だけが咲いていた。
満開の桜の花を見て、私は自然と手で四角をつくって桜を見上げた。
手のフレームの中に映った桜は、青空と合わさってとっても綺麗で、私に春が来たことを教えてくれた。
私はスマホのカメラを立ち上げて、私と桜を自撮りした。
卒業式には行かなかったけれど、その写真は、私が1人でも、春を迎えたことを証明してくれたみたいで、私はここに確かにいるんだ、と思わせてくれた。
あのとき見つけた景色を、今、誰かに渡せた気がする。
自分のスマホのバイブ音がして、私はポケットからスマホを取り出した。
――10年前のあなた。
フォトアプリが、あの時の自撮り写真を私に見せてきていた。
私は桜の木に話しかけた。
「――タイミング、良すぎでしょ」
それからまた手で、四角いフレームを作って、桜の木を見上げて、満開に咲き誇る花に向かって呟いた。
「私、頑張ってるよ!」
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