第3話 『猫になりたい』と言った彼女に、私は確かに恋してた。
「私、次に生まれるなら、猫になりたいんだぁ」
中学校の林間学校の帰りのバスで、隣の席に座った
「猫?」
「そ。お金持ちの家で飼われてる猫になるの。それで、ふわふわの毛布の上で、1日ずっとお昼寝するんだ」
私はじっと、彼女の横顔を見つめた。
少し釣り気味の大きな茶色がかった瞳がこちらを見上げる。
どくんと心臓が大きく鳴った。
「あたしの顔になんかついてる?」
顔が赤くなってたら、どうしよう。
恥ずかしくなった私は、バスの外の風景に視線を向ける。
山道を走る車窓からは、茂る木々の緑色が見えるだけだった。
「ううん、――確かに、ちょっと、猫っぽいところあるもんね」
「彼氏にもよく言われる~」
あははと笑ってから、愛菜は大きく伸びをして、私に寄りかかった。
ふわふわの柔らかな髪の毛が頬に触れて、心臓が口から飛び出しそうになった。
「あとどれくらいで帰れるんだろ。眠くなっちゃった」
そう言って彼女は目を閉じると、すぐに寝息を立て始めてしまった。
「本当に、猫みたい……」
私は呟いてから、窓の外に視線を向けた。
肩に寄りかかる愛菜の重みと、温かさで、心臓の鼓動が早くなる。
どうしよう。心音聞こえたりしないかな?
ちらりと愛菜の顔を見ると、私のどきどきした気持ちなんか、全く知らないという寝顔ですうすうと規則正しい寝息を立てていた。
里奈が猫に生まれ変わるなら、私は飼い主になって、在宅の仕事をして、ずっと家で一緒にいたいな。寝てる愛菜を膝に乗せて、ソファに座って、ずっと寝顔を見るの。
――こんなことは、誰にも言えないけれど。
日記にも、SNSの呟きにも書けない。
だって、さすがにキモすぎるでしょ。
私は自分が嫌になりながら、バスの窓に額をつけた。
肩にかかる愛菜の重みに感覚の全部を集中する。
バスが永遠に学校に着かなければいいのに。
そう思いながら、山道の景色を眺めていた。
◇
「……うわああああ」
一人暮らしのアパートで目覚めた私は、恥ずかしさに頭を抱えて、ベッドから転げ落ちた。
中学時代の恥ずかしい、思い出したくない、夢を見た。
「何で今さら、こんな夢……」
私は机の上の1枚の葉書を見つめた。
【結婚式の招待状 渡部 愛菜】
明らかに、この葉書のせいだ。
愛菜はいわゆるギャルというか、中学生当時から既に化粧っけがあって、カッコいいと評判のバスケ部の先輩と付き合ってるような女の子。教室の隅でひたすら絵を描いていた私みたいな人間と、仲良くなりようがないタイプの子だったけど――私たちは、当時いちばんの友達だった。
中1の最初のクラスで、初めて話しかけてくれたのが愛菜だった。
きっかけは、単純に名前順で席順が前後だったから。私が後ろ、愛菜が前。
『ねえ! あたしたちの名前、めっちゃ似てない?』
と、既に友達だったみたいな親しさで、椅子を斜めにして私の机に寄りかかるように振り返った愛菜。話してみれば、愛菜は意外と漫画好きで、話が合った。お互い所属する基本グループは違ったけど、中学時代の長い時間を一緒に過ごした。
中学を卒業後、高校は別々。
高校時代は何回か遊んだけど、高校を卒業後、私は美大に進学し、愛菜は地元で就職し、それからは疎遠になっていた。
最近は『明けましておめでとう』のメールをするくらい。
昨日買ったシャーペンの柄や、ノートの隅に描いた絵や、些細なことでも何でも共有してた中学の頃と違って、違う世界の、私の知らないことを話す愛菜に会うのがなんだかしんどくて、会うのを避けるようになってしまっていた。
だから、久しぶりに『今度結婚することになったから、招待状送るね~』と連絡が来たときはびっくりした。
愛菜の旦那さんになる人は、私の全然知らない人。
背が高くて、スポーツをやってそうな爽やかで、穏やかそうな人だった。
勤め先の会社の、先輩とのことだった。
なんだか、優しそうな人で良かったな。
と昨日葉書を見た私は、胸を撫でおろしたものだ。
中学時代の愛菜は、やんちゃしてそうな雰囲気の男の子が好きだったから。
私は時計を見た。
「うわあ! 早く学校行かなきゃ!」
慌てて作業着のツナギに着替えて、家を飛び出す。
今、私は卒業制作の製作真っ最中――ではあるんだけど、何を描いていいのやら全く思い浮かばなくて、全然作業が進んでいないのだ。
今日は、先生に相談に乗ってもらう予定だった。
遅刻するわけは、いかない。
「――渡辺さん、卒業制作、まだ決まらないの?」
学校のアトリエで、白いキャンバスと私を見比べて先生が心配したように聞いてくれた。
卒業制作の製作期限が迫ってきているというのに、私はまだ何を題材にするかすら、決まっていないかった。
「そうなんです……。何が描きたいかわかんなくなってしまって……」
「大丈夫? 悩んでる? 眠れてないんじゃないの?」
先生は心配そうな顔で聞いた。
アトリエの壁にかかった鏡に映った私は、確かに死にそうな顔をしていた。
「ありがとうございます。確かにちょっと、寝不足かもしれないです……」
うーん、今朝見た夢の影響もあるかもしれない。
私の恥ずかしい、中学生の頃の記憶。
私は女の子が好きなわけじゃない。愛菜だから、好きだった。
大学に入ってからは、男の子とも付き合った。
けど、相手が男の子でも女の子でも、あんなに誰かに対してどきどきしたのは、後にも先にも、中学の時の愛菜だけだ。
先生は神妙な顔で私を見つめて言った。
「もやもやした気持ちこそ、キャンバスにぶつけてみなさい……!」
「先生……!」
私は手をグーにすると、身体の前でぎゅっと握った。
『生まれ変わったら、猫になりたいんだぁ』
今でもあの時の愛菜の言葉を、今耳元に囁かれたように思い出せる。
2泊3日の林間学校からの帰りのバス。
なんでそんな話になったんだっけ。
――そう、確か最近転生ものの漫画にハマってるって話から、転生したら何になりたいって、話になったんだ。
みんな疲れ果てて寝息が立ち込める気だるい空気の車内での、ダラダラした会話の中だった。
何で猫? って思ったけど。確かに愛菜は、猫みたいな子だと思ったから、その言葉は胸に残っていた。
私は筆を走らせた。
背が高くて髪が短かったから『男の子みたい』って言われることの多かった私と愛菜は正反対だった。小柄でふわふわの長い髪をいつもアレンジしてて、小物もキラキラした可愛いのばっかり。友達もたくさんいて、いつもクラスの真ん中にいた、憧れの女の子。
――猫みたいに可愛くて、気まぐれで、自由気ままな女の子。
街を歩く愛菜。
テストが途中でできなくなると、鉛筆をくるくる回してから、窓の外の校庭を見つめる愛菜。
給食が大好物の揚げパンだと、目をキラキラさせる、子どもみたいな愛菜。
記憶の中の彼女を、猫にして描いて行く。
愛菜の髪の毛みたいな、ふわふわの毛並み。大きくて丸い瞳の猫。
『あたし、佐那の絵、大好き!』
中学生の頃の私は、人とうまく話せなかった、
教室の片隅、ノートに絵書きなぐる私を、振り返った愛菜はずっと見ててくれた。
『部活何しようかな。運動部とかダルいし。そうだ! 佐那、一緒に美術部入らない?
私、佐那が絵を描くのずっと見てるの』
『……自分で描きなよ』
『美術鑑賞も、大事でしょ?』
ふふふと笑う愛菜。
――結局部活はすぐ来なくなっちゃったけど。
私は美術部で、少ないけど友達ができて、学校に居場所を感じられるようになった。
愛菜は、私と世界を繋いでくれた。
今は、愛菜が好きだと言ってくれた絵が、私と世界を繋いでくれてる。
あの時、私は確かに愛菜に恋をしていた。
誰にも言えなかったけれど、確かに私は、愛菜が好きだった。
それは中学生だった私の、本当の気持ち。
もう私は大人になって、あの頃には戻れないけれど。あの気持ちは、確かに恋だった。
それから数日。私はアトリエに籠って、猫の絵を描き続けた。
「――渡辺さん、そろそろ休んだ方がいいんじゃない……?」
心配そうに声をかけてきた先生に、笑顔で振り返る。
「先生……完成しました!」
そう言うと、先生はたくさん並んだ猫の絵を見て、手をたたいた。
「今にも動き出しそうで、とっても素敵……!」
私は「えへへ」と絵の具のついた頬を掻いた。
アトリエを出て、家へ帰る道を歩く。
この数日、お風呂に入ってないから、まずシャワーを浴びて、いい香りの入浴剤を入れて、ゆっくり浸かろう。
返事を出そう。もう大丈夫。今なら、素直に『おめでとう』って言える気がする。
てんとう虫が視界を横切って空に向かって飛んで行って、私は思わず上を見上げる。
綺麗な青空が広がっていた。
きっと、ウェディングドレス姿の愛菜はとっても綺麗だろう。
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