パンツと感情と都市伝説 ー戻し屋ミミと怪盗フィンガーの不完全犯罪録ー

五平

第1話:『最初の消失、そして猫の影』

春風が桜並木を揺らし、私立桜ヶ丘学園。真新しい制服に身を包んだ生徒たちが、期待と不安を胸に校門をくぐる。新学期特有の、どこか浮かれた空気が学園全体を包み込んでいる。桜の花びらが舞い散る中、生徒たちの会話は希望に満ちていた。しかし、そんな華やかな雰囲気とは裏腹に、女子寮の洗濯室には、ここ数日、異様な空気が漂っていた。乾燥機から取り出したばかりの洗濯物には、いつもなら必ずあるはずの、肌触りの良い綿の感触が、なぜか欠けている。その違和感は、日を追うごとに、確信へと変わっていった。寮内には、誰ともなく、不安げな囁きが広がり始めていた。


「ねぇ、また消えたんだけど!」


ある朝、女子寮の三年生、佐藤麻美が悲鳴にも似た声を上げた。彼女の手には、空っぽになったはずの洗濯カゴが握られている。顔は青ざめ、目には恐怖の色が浮かんでいた。洗剤の甘い香りがまだ残る洗濯物の中から、彼女のお気に入りの下着だけが、跡形もなく消え失せていたのだ。そのブラジャーは、先日買ったばかりの、肌に優しいシルクの混紡素材だった。数日前から、特定の寮生の洗濯物から下着が忽然と姿を消すという、奇妙な事件が頻発していた。最初は「風で飛ばされたんじゃない?」「誰かの間違いだよ」と笑い飛ばされていた。しかし、その消失が佐藤麻美を含む数人の寮生に集中し、しかも三日に一度という妙な周期で繰り返されるにつれて、生徒たちの間に不穏な空気が流れ始めた。消えたのは、決まって女子生徒の下着だった。その事実が、生徒たちの不安をさらに煽っていた。寮内では、深夜の物音や、奇妙な影を見たという証言まで飛び交い、実しやかに噂され始めていた。


「またアイツの仕業だ」──。


寮生たちの間で囁かれる噂の中心には、学園に住み着いている一匹の三毛猫の存在があった。その猫は、通称「ミミ」。他の猫とは一線を画す存在だった。夕暮れ時、誰もいない旧校舎の屋根を軽々と渡り、時には校舎と校舎の間の電線を、まるで一本橋を渡るかのように優雅に歩く姿が目撃されていた。そのたびに、生徒たちは「ミミが空飛んでる!」「あれが下着盗んでるんだ!」と、まるで妖怪でも見たかのように騒ぎ立てた。ミミが通った後、洗濯物が風で舞い上がるように消えるのを見たという証言も少なくなかった。半信半疑だった生徒たちも、度重なる消失事件に、次第にミミの仕業だと信じ込むようになっていった。ミミの姿は、いつしか学園の不気味なシンボルとなり、生徒たちの間でひそかに畏怖の対象となっていた。


そしてその日、最も被害が集中していた佐藤麻美のお気に入りの白いブラジャーが、彼女がベランダに干したまさにその瞬間に、忽然と消えたのだ。直前まで確かにそこにあったはずの白いレースが、春風に舞う桜の花びらのように、ふっと消え去った。その直後、生徒たちは確かにミミがベランダのすぐ近くの電線を渡っていくのを目撃していた。「ほら見ろ、やっぱりミミだよ!」と、確信めいた声があちこちから上がる。もはや疑う者は誰もいなかった。ミミは、学園の都市伝説として、その存在を確立し始めていた。その目撃談は、瞬く間に学園中に広がり、ミミの不気味な存在感は、確固たるものとなっていった。


この奇妙な噂は、学園の外にも広がっていた。街の片隅にひっそりと佇むアンティークショップの地下室で、新聞記事を眺めている男がいた。薄暗い照明の下、埃を被った骨董品に囲まれた中で、彼はまるで宝物でも見つけたかのように、新聞の見出しを指でなぞっていた。見出しには『桜ヶ丘学園に「超能力猫」の都市伝説か? 謎の連続下着消失事件』と踊っている。その男こそ、この一連の事件を自らの「芸術」として利用しようと企む、「怪盗フィンガー」を自称する人物だった。彼の指は、新聞記事の「超能力猫」という見出しをなぞり、微かに口元を吊り上げていた。薄暗い地下室に、妖しい笑みが浮かび上がる。彼は、この噂が自らの「芸術」にとって、これ以上ない隠れ蓑となることを瞬時に悟ったのだ。


しかし、フィンガーが知らない、あるいは意図していなかった、奇妙な事実があった。この最初のブラジャー消失事件だけは、本当にミミの仕業だったのだ。その日、たまたま強く吹いた春風に舞い上がったブラジャーを、ミミはただの好奇心から追いかけ、遊び道具として旧校舎の屋根裏に隠してしまったに過ぎない。ミミに超能力などない。彼女はただの猫だ。ただ、その瞳は、まるで鏡のように、何も映さない知性で、学園の騒ぎを静かに見つめていた。その深い瞳の奥には、人間には理解できない、遠い記憶の光が宿っているかのようだった。まるで、この世の全てを知り尽くしているかのような、底知れぬ眼差しだった。しかし、この偶然のいたずらが、学園に奇妙な都市伝説を生み出し、そしてその伝説に、フィンガーという稀代の変態が乗じることで、「怪盗フィンガー」と「超能力猫ミミ」の、どこかバカげた共犯関係の物語が、今、静かに幕を開けたのだった。


その夜、月明かりが旧校舎の時計台を静かに照らしていた。時計台の影から、ミミの行動をじっと監視している、もう一組の光る目が静かに瞬いていた。その視線は、ミミに向けられているようでもあり、その先にいる誰かに向けられているようでもあった。それは、探偵同好会の二人とも、ミステリ研究会の二人とも異なる、事件の背後に隠された、より深い謎を追う黒幕の視線だった。その視線は、フィンガーの存在さえも、その「物語」の一部として捉えているかのようだった。その目には、未来を予測するような、底知れない輝きが宿っていた。

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