第2話:『探偵同好会、廃部の危機と珍事件』
「だから!猫が女子のパンツを盗んでどうするのよ!?」
桜ヶ丘学園の旧校舎の一角、薄暗い部室に、橘アカリの怒声が響き渡ります。窓から差し込む午後の日差しが、舞い散る埃を照らし出していました。埃の粒子が光の筋の中で踊る光景は、まるで時間だけが取り残されたかのようです。アカリは、目の前の机に広げられた、下着消失事件の被害報告書を睨みつけています。その報告書には、赤い文字で「犯人:ミミ(学園飼い猫)」と、およそ探偵の報告書とは思えないような、素朴で奇妙な結論が書かれていました。彼女の向かいに座るのは、探偵同好会会長の蓮見ユウキです。彼の細い指が、その奇妙な結論の行を、まるでそれが当然であるかのように、すらすらと読み進めていました。
「いや、しかし、現場の目撃情報と足跡は全てミミを指している。論理的に考えれば、ミミが犯人である可能性が最も高い、と僕は思うんだけど……」ユウキが冷静に言いかけると、アカリはさらに声を荒げました。「論理的?こんなバカげた事件のどこが論理的よ!猫がパンツ盗んで一体何するのよ!?ファッションショーでも開くつもり!?だいたい、なんでいつも女子のパンツだけなのよ!変態かよ!!」アカリの剣幕に、部室の壁に貼られた古いポスターが、ハラハラと音を立てて剥がれ落ちました。そのポスターには、かつて部員が熱中したらしい、色あせた未解決事件の切り抜きが貼られていましたが、今やその事件も、この下着消失事件の陰に隠れてしまうほどです。
アカリの剣幕に、ユウキは小さくため息をつきました。探偵同好会は、部員数の減少で廃部の危機に瀕していました。現在の部員は、ユウキとアカリの二人だけ。このままでは、新学期中に学園から廃部を通告されてしまいます。部の存続をかけた瀬戸際に立たされているのです。本来なら、もっと大々的で解決しがいのある、世間を騒がせるような難事件を解決して、部の存在意義を世に示し、部員を増やしたいところです。ですが、学園内で唯一の「謎」といえば、この「消える下着事件」しかないのです。そして、その犯人は、生徒たちの間では満場一致で「学園の飼い猫ミミ」ということになっていました。誰もが、ミミが超能力で下着を盗んでいるのだと信じて疑いません。その奇妙な信仰は、もはや学園の日常の一部と化していました。
「いい?アタシはね、こういう『盗む』行為が大嫌いなの!」アカリは机をドンと叩きました。その衝撃で、部室の隅に積まれた推理小説の山が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちます。彼女には、かつて痴漢被害で不登校になった辛い過去がありました。その時の「奪われた」という感覚が、アカリの心に深い傷を残しているのです。その傷は、彼女の心の奥底に、決して癒えることのない影を落としています。だからこそ、この下着消失という「盗む」事件に対して、彼女は人一倍の怒りを燃やしていました。彼女の怒りは、単なる事件への憤りだけでなく、過去の自分への怒り、そして未来への不安の表れでもありました。「なんで誰も真剣に捜査しないのよ!学園の先生たちも、警察も、みんな『猫の仕業』で片付けようとしてる!こんなバカみたいな事件、アタシが解決してやるわ!そして、二度とこんなことが起こらないようにしてやるんだから!」彼女の声には、単なる怒りだけではない、深い悲しみと決意が滲んでいました。その眼差しは、一点の曇りもなく、事件の真相を見据えているようでした。
ユウキは、アカリの熱意に押されながらも、どこか冷静でした。彼の瞳の奥には、どこか遠い記憶を探すような、しかし諦めにも似た光が宿っています。彼自身、幼い頃に姉の遺品のハンカチを失くした経験があります。そのハンカチは、彼にとってかけがえのないものでした。物を失くすことは嫌いなのですが、なぜかこの「下着消失」という奇妙な事件には、彼の探究心を掻き立てるものがあったのです。それは、単なる好奇心とは異なる、より根源的な探求心でした。「分かったよ、アカリ。では、この『猫による下着盗難事件』、僕たち探偵同好会が解決しようじゃないか。これを解決できれば、きっと部員も増えるはずだ。」ユウキの目は、部室の窓から見える、学園のどこかを駆けるミミの姿を捉えていました。ミミの動きは、まるで彼らの存在を嘲笑うかのように、軽やかで予測不能でした。
しかし、ユウキの内心には、ある疑問が渦巻いていました。本当にミミが犯人なのか?もしそうなら、ミミは一体なぜ、下着ばかりを盗むのか?そして、この事件に、どこか得体の知れない「面白さ」を感じている自分自身の感覚にも、彼は薄い不快感を覚えていました。彼の推理は、単なる事件の解決ではなく、その裏に隠された「何か」を探求しようとする、本能的な衝動に突き動かされているかのようでした。それは、まるで自分自身の心の奥底にある、封じられた動機を探るかのような行為です。ユウキの机の引き出しの奥には、彼が日々書き綴る、事件の記録ノートがしまわれています。そのノートには、彼自身の記憶の断片も記されているのですが、なぜか、ある特定の期間のページだけが、完全に白紙のままなのです。まるで、その期間の記憶が、彼自身の中から抜け落ちてしまったかのように。こうして、廃部寸前の探偵同好会が、「超能力猫」を犯人とする、どこかズレた珍事件に巻き込まれていくのでした。アカリの激しい感情と、ユウキの妙に冷静で、それでいてどこかズレた探偵魂が、奇妙なハーモニーを奏で始めるのです。
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