第五十六話 ダンジョン攻略②

 クリスタル・マンタの群れが消滅した空域には、破壊の奔流が残した魔力の残滓がオーロラのように揺らめいていた。

 翔は、キメリック・キャノンの砲身をゆっくりと格納しながら、HUDに表示されるエネルギー消費量を確認し、内心で舌を巻いた。


(……凄まじい威力だ。だが、燃費は最悪だな)


 たった一射で、キメラ・コアが貯蓄している魔力の15パーセントを消費していた。

 この兵器は、まさしく切り札。

 連発はできない。使うべき時を、見極める必要がある。


「……行こう、ヴィシュヌ」


 短く呟き、翔は鋼の化身を再び前進させた。

 この階層の主を失ったことで、物理法則さえ歪んでいた空間は、いくらか安定を取り戻していた。

 空を泳いでいた水晶の魚たちはその輝きを失って地に落ちて砕け、重力に逆らっていた滝も力なく流れ落ちている。


 翔は新生したヴィシュヌ・アヴァターラの圧倒的な性能で、残存する魔物を的確に、そして容赦なく排除しながら先へと進む。

 その探索は、もはや躊躇や慈悲を一切含まない、ただ目的のためだけに遂行される作業と化していた。


 しばらく進んだ先、巨大な地下空洞の中心で、翔はそれを見つけた。

 大地そのものが、巨大な獣の爪で抉られたかのような、直径数百メートルはあろうかという巨大な縦穴。

 その縁はドロドロに溶融し、ガラスのように変質して凝固している。

 凄まじい熱量によってこじ開けられたことを物語っていた。


「……キメラが通った穴か」


 この穴から、あの神話級の魔物が這い上がってきたのだ。

 翔はヴィシュヌを穴の縁に立たせ、その暗く深い内部を覗き込む。

 奈落、という言葉がこれほど似合う光景はなかった。

 ヴィシュヌの強力なライトさえも完全に飲み込んでしまうかのような圧倒的な闇が、ただ口を開けている。


「ガネーシャ、球体ドローンを射出。深部をスキャンしろ」


 後方に控えていたポーターユニット「ガネーシャ」の臀部ハッチが開き、バスケットボール大の球体ドローンが音もなく射出される。

 ドローンは青白い光を放ちながら、大穴の中へと吸い込まれるように降下していった。

 ヴィシュヌのコクピットのメインモニターに、リアルタイムでスキャンデータが転送されてくる。


 魔力濃度、地質構造、そして深度。

 その数値が、信じられない速度で増していく。


 第40層……第50層……第60層……。

 モニターの深度カウンターが、まるで故障したかのように猛烈な勢いで回転していく。

 翔は固唾を飲んでその数字を見守った。

 やがて、ドローンからの信号が限界に達する直前、最終的な解析結果が弾き出された。


「……ほぼ最下層、第75層まで、完全に貫通している……」


 翔は、モニターに表示されたデータを前に、息を呑んだ。

 これは、キメラが残した道筋。

 危険極まりないショートカットであると同時に、妹を救うための、唯一にして最短の希望の道だった。


「……行くぞ」


 翔は、迷いなく決断を下した。

 ヴィシュヌ・アヴァターラの脚部ブースターが蒼い光を噴射し、その巨体は、一縷の躊躇もなく深淵へとその身を投じた。


 

 ---


 

 縦穴の中は、不気味なほどに静かだった。

 キメラという最強の捕食者が通過した痕跡は、弱い魔物たちの存在を許さない。

 その残り香が、ヴィシュヌの降下を誰にも邪魔させなかった。

 

 降下しながら、ヴィシュヌのライトが照らし出す壁面には、このダンジョンの歴史が刻まれていた。

 幾重にも重なる地層、見たこともない鉱物の鉱脈、そして時折、壁に埋もれたまま化石となっている、異形の巨大生物の骨。

 ここは、地球の常識が一切通用しない、異界の深淵なのだ。


 どれほどの時間を降下しただろうか。

 やがて、ヴィシュヌの足が、固い地面を捉えた。

 

 辿り着いた最下層、第75階層。

 そこには、全ての音が死に絶えた静かな世界が広がっていた。


「ここで一度、キャンプを張る」


 翔は、ガネーシャを岩陰に固定させると、最低限の野営準備を整えた。

 カンテラの穏やかなオレンジ色の光が、周囲の闇をわずかに照らし出す。

 その光景は、まるで永遠の夜が続く深海の底に、かろうじて灯された命の灯火のようだった。

 

 翔はコクピットから降り、腰を下ろした。

 ガネーシャに括り付けた背嚢から取り出した携帯食を無理やり口に運ぶ。

 張り詰めていた神経が、わずかに緩んだ、その時だった。


『……少し、思い出しました』


 コクピットの通信機から、不意に、ルナの静かな声が届いた。

 地上との通信は、翔が道中に設置してきた超小型中継ブイを介して、かろうじて繋がっていた。


『私の故郷は……ダンジョンの脅威によって、滅びました』


 その言葉は、何の前触れもなく、しかし、確かな重みを持って翔の胸に突き刺さった。


『全ては、些細な異変から始まりました。今の、この習志野ダンジョンのように。私達は、その脅威の正体を突き止めるのが、あまりにも遅すぎた。あれは侵略ではありません。捕食です。星そのものを喰らう、災厄……。気づいた時には、私達の星は、生命の光も、記憶も、全てを吸い尽くされた抜け殻になっていたのです』


 淡々と語られる、滅びの記憶。

 翔は、口にした携帯食の味が、全く分からなくなっていることに気づいた。

 

 これは、ただのダンジョン攻略ではない。

 ルナの故郷を滅ぼした脅威と、今自分が対峙しているものは、同質の存在なのかもしれない。


 妹を救うという個人的な願いは、この星の運命さえも左右する戦いへと繋がるのかもしれなかった。


『ショウ。必ず、生きて帰ってきてください。あなたの勝利は、もうあなただけの希望ではないのですから』


「……ああ、分かっている」


 翔は、短く、しかし力強く応えた。

 その声には、先程までとは比較にならない、星の命運さえも背負う覚悟が宿っていた。


 

 ---


 

 短い休息を終え、翔は再びヴィシュヌを歩ませる。

 途中、サソリのような魔物との戦闘はあったが強化されたヴィシュヌにとっては敵ではなかった。

 

 最深部へと近づくにつれ、あれほど満ちていた魔物の気配が、再び嘘のように完全に消え失せた。

 まるで、神の領域に近づくにつれて、不浄なものが存在を許されなくなるかのようだった。


 やがて、一行は、広大な地底空間へと到達した。

 そこは、巨大な溶岩の湖が広がる、灼熱の洞窟エリアだった。

 ぐつぐつと煮え立つ溶岩が、天井の鍾乳石を不気味な赤黒い影として照らし出し、空気そのものが陽炎のように揺らめいている。


 その地底湖の中心に、黒曜石を磨き上げたかのような巨大な島が、まるで祭壇のように浮かんでいた。

 そして、その中央で、〝それ〟は眠っていた。


 初め、翔はそれを巨大な山だと思った。

 だが、ヴィシュヌのセンサーが確かな生命反応を捉え、メインカメラがその表面の質感を映し出した時、彼は全身の血が凍りつくのを感じた。


 それは、山ではない。

 一枚一枚がヴィシュヌほどもある、黒曜石よりもなお黒い鱗に覆われた、巨大な生物。

 丸くなって眠るその体躯は、それ自体が一つの山脈を形成していた。

 

 全身からは、物理的な熱や冷気ではない、もっと根源的な、あらゆるものを「無」に還すかのような、おぞましいオーラが立ち上っていた。


 ダンジョンの異変の元凶にして、最深部の門番。

 データベースにも記されていない、原初の厄災。

 

 ――ドラゴン。


 その圧倒的な存在感に、翔は息をすることさえ忘れていた。

 ヴィシュヌ・アヴァターラという、人類の叡智と神話の力を融合させた鋼の化身でさえ、この絶対的な存在の前では、まるで子供の玩具のように矮小に見えた。


 翔が、知らず固唾を飲んだ、その瞬間。

 彼の侵入を、その生命の輝きを、感知したのだろう。

 

 眠っていたドラゴンが、ゆっくりと、その頭を持ち上げた。

 地殻が変動するかのような轟音と共に、山が動く。

 そして、固く閉じられていた瞼が、開かれた。


 その瞳を見た翔は、恐怖よりも先に、理解不能な感覚に襲われた。

 そこに宿っていたのは、憎悪でも、怒りでも、知性でもない。


 ただ、どこまでも深く、昏い、純粋な虚無。

 まるで、星一つを丸ごと飲み込んだ夜空を、そのまま切り取って嵌め込んだかのような、「無」が、そこにあった。


 ドラゴンは、侵入者である翔を一瞥すると、静かに、その巨大な顎を開いた。


「――来るッ!」


 翔は、思考よりも早く、ヴィシュヌの左腕、多機能シールドアームを最大出力で展開させる。

 六角形の魔力結界が幾重にも重なり、絶対防御の壁を形成した。


 次の瞬間、ドラゴンの喉の奥から放たれたのは、炎ではなかった。

 音もなく、光もなく、ただ空間が灰色に染まっていくかのような、奇妙な奔流。

 

 触れた岩盤が燃えるでもなく、溶けるでもなく、まるで存在そのものを否定されたかのように、音もなく灰へと変わり、崩れ落ちていく。


「崩壊の呪い」のブレス。

 

 存在を、因果律のレベルから抹消する破壊。

 ヴィシュヌ・アヴァターラの多重結界が、その灰色の奔流に触れた瞬間、凄まじい勢いで外層から次々と消滅していく。


 妹の命を、仲間たちの想いを、そしてこの星の未来を懸けた死闘。

 

 鋼の化身と、深淵の厄災。

 世界の存亡を懸けた戦いの火蓋が、今、切って落とされた。

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