第五十五話 ダンジョン攻略①

「転移シーケンス、起動。目標、第十五層」


 翔の決意を帯びた声が、静かなコクピットに響き渡る。

 その言葉がトリガーとなり、足元の転移装置が蒼白い光を放ち始めた。

 古代文明の遺した魔法陣からの光が、床から壁へ、そして天井へと駆け巡り、小部屋全体が光の聖域へと変貌していく。


(待っててくれ、美咲)


 翔は、拳を握りしめたまま、静かに目を閉じた。


 次の瞬間、全身を空間が歪むような強烈な浮遊感が襲う。

 世界が一度、光の粒子へと分解され、そして、再構築されていく。


 数秒にも、永遠にも感じられた時間の後、暴力的なまでの光が収まった時、ヴィシュヌ・アヴァターラが立っていたのは、岩肌と、不吉な気配の残り香が漂う第15階層の洞窟だった。




 神話級モンスター・キメラがその縄張りとしていた場所は、主を失い、不気味なほど静まり返っていた。

 下級モンスターの気配すら、完全に消え失せている。

 あの凄まじい死闘が、この階層の生態系そのものを根こそぎ変えてしまったのだろう。


「ガネーシャ、追従モードを維持。周囲の警戒を怠るな」


 翔は、後方に控えるポーターユニットに指示を出す。

 そして、ヴィシュヌをさらに下層へと続く、キメラがその力で無理やり作り出したのであろう巨大な縦穴の入り口へと歩ませた。

 

 それは、まるで大地の裂け目。

 深淵が、こちらを覗き込むために開けた巨大な口のようだった。

 一歩、その領域に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。


「……っ!」


 肌をピリピリと刺すような、濃密な魔力。

 全身に纏わりつく、鉛のような重圧。

 重力が、僅かに、しかし確実に増しているのが分かった。

 

 ここから先にデータ上だけの存在だった本当の未知の世界が続いている。

 これまでこの習志野ダンジョンでは到達したことのない、ダンジョンの深層領域へと続いている。

 

 だが、翔の心に恐怖はなかった。

 むしろ、ヴィシュヌ・アヴァターラという鋼の肉体を通して、全身の細胞が歓喜に打ち震えるような、不思議な高揚感さえ覚えていた。


 キメラが周辺の魔物を喰らい尽くしていたおかげか、下層への道は、驚くほど順調だった。

 

 時折、岩陰から奇襲を仕掛けてくる魔物がいても、ヴィシュヌの敵ではない。

 翔が思考とほぼ同時に、機体が反応し、その剛腕の一振りで、魔物を岩壁の染みへと変えていく。

 

 第20階層、第25階層。

 

 階層を降りるごとに、周囲の景色は、地球上のそれとはかけ離れた、異界の様相を呈していく。


 そして。

 

 ついに、ヴィシュヌ・アヴァターラは、JGDSAのデータベースにも存在しない、完全なる前人未踏の領域――第28階層へと降り立った。




 ---



「……これは……」


 コクピットの中で、翔は思わず息を呑んだ。

 

 

 そこは、洞窟には見えなかった。

 洞窟の中なのに空があった。

 天井という概念が存在しない、巨大な地下空洞。


 地面には、水晶のように透き通った未知の植物が群生し、それぞれが青や緑の妖しい光を放っている。

 その光に照らされて、空中に、大小様々な無数の浮遊島が、まるで星々のように漂っていた。

 

 島と島の間を、光の粒子が川のように流れ、時折、重力に逆らうように滝が空へと昇っていく。


 あまりにも幻想的な、しかし、どこか生命の温かみが感じられない、不気味なまでに静謐な世界だった。


「ガネーシャ、アンカーモードに移行。ここで待機しろ」


 ポーターを安全な岩陰に固定させ、翔はヴィシュヌ単機で、慎重に浮遊島群へと足を踏み入れた。

 

 脚部から最小限の音を響かせながら、島から島へと跳躍していく。


 その時だった。


 視界の端に、複数の高速接近物体を示す警告が表示された。

 翔が視線を上げた先、巨大な浮遊島の影から、音もなく、十数体の飛行生物が姿を現した。


 それは、巨大なエイに似たフォルムを持っていた。

 だが、その体は、生身の肉ではない。


 この地に群生する植物と同じ、光を透過する半透明の水晶で構成されていた。

 翼を羽ばたかせるのではなく、体内で魔力を循環させることで、優雅に、そして不気味に宙を舞っている。

 

 JGDSAのデータベースに、該当するデータは、ない。

 全くの未知との遭遇だった。


「クリスタル・マンタ……とでも、名付けておくか」


 翔が警戒レベルを最大に引き上げた、その瞬間。

 群れのリーダーと思わしき、一際巨大な個体の腹部が、眩い光を放った。


 ――来る!


 思考と同時に、翔はヴィシュヌの左副腕を前方へと突き出していた。

 シールドアームの装甲が花弁のように展開し、その中心から多重の結界が瞬時に投影される。

 直後、クリスタル・マンタから放たれた純白の光線が、結界に直撃した。


 キンッ、という甲高い音と共に、光が当たった結界の最外層が、まるでガラスのように、美しい結晶と化して砕け散る。

 

 物質を石化させる光線。

 

 もし、シールドがなければ、ヴィシュヌの装甲でさえも、一瞬で結晶の塊にされていたかもしれない。


「……なるほど。これが洗礼か!」


 だが、翔の口元には、獰猛な笑みさえ浮かんでいた。

 この程度で、止まっていられるか。


「なら、こっちの挨拶も受け取ってもらうぞ!」


 一体のマンタを撃破したところで、すぐに次の攻撃が来る。

 やるなら、一撃で、この群れごと。

 

 翔は、シールドで光線を防ぎながら、背部のユニットを起動させた。

 キメラ・コアが組み込まれた長砲身――キメリック・キャノンが、彼の背後で、まるで悪魔が翼を広げるかのように展開される。


「エネルギー充填率、100パーセント! 撃てッ!」


 律子の声が、幻聴のように聞こえた気がした。

 砲身の先端に、キメラ・コアから供給された膨大な魔力が、禍々しい紫色の光球となって収束していく。

 ドックを揺るがした、あの破壊の力が、今、翔の意のままに解放される。


「――吹き飛べッ!」


 翔の叫びが、引き金となった。

 放たれたのは、もはや光線ではなかった。

 

 空間そのものを捻じ曲げ、飲み込みながら突き進む、紫色の破壊の奔流。

 クリスタル・マンタの群れは、回避する間もなく、その圧倒的な暴力に飲み込まれた。

 

 悲鳴を上げる暇さえなく、その水晶の体は、分子レベルで分解され、光の塵となって幻想的な空へと消えていく。


 破壊の奔流が過ぎ去った後。

 そこには、再び、静寂だけが戻っていた。

 

 新生ヴィシュヌ・アヴァターラの初陣。

 

 その圧倒的な力は、未知の階層の理不尽なまでの脅威さえも、赤子の手を捻るようにねじ伏せた。


 だが、翔の心に、高揚感はなかった。

 ただ、静かに、さらに深く続く暗闇を見据える。


 これは、始まりに過ぎない。

 本当の深淵は、この、さらに下に広がっているのだ。

 青年は、鋼の化身と共に、再び、その歩みを進め始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る