第五十三話 準備

 運命の歯車が、国家という巨大な機関を巻き込み、凄まじい速度で回転を始めた。

 

 JGDSA(日本政府ダンジョン調査局)の仮設ドック。

 そこは、日本の防衛技術の粋を集めて建造された巨大な揺り籠となっていた。

 今はたった一機の異形の機体を再生させるためだけに、その全ての機能が解放されていた。


「第七ブロックの魔導回路、インピーダンス正常!」

 

「バイオフレームへの神経回路、修復完了!」


 壁一面に投影されたヴィシュヌの設計図の周りを技術者たちが行き交う。

 彼らは、氷川沙織が日本中から招集した、各分野のトップエキスパートたちだ。


 航空力学、魔導工学、バイオニクス、AI制御――あらゆる専門知識が、ヴィシュヌという一つの器に惜しみなく注ぎ込まれていく。

 

 ドックの高みに設けられた管制室。

 その巨大なガラス窓の前に、氷川は腕を組んで静かに立っていた。

 眼下で繰り広げられる、人類の叡智の結晶とも言うべき光景。


 その全てが、一人の少女の命と、一人の青年の覚悟に懸かっている。

 

 それはもはや単なる機体改修ではない。

 未知への挑戦であり、国家の存亡を懸けた巨大なプロジェクトだった。


 その中心で、巨大なアームに固定されたヴィシュヌが、外科手術を受ける患者のように、静かにその身を晒している。

 そして今、改修の心臓部となる、最も危険な工程が始まろうとしていた。


「最終警告。全職員、抗魔力壁の内側へ退避。繰り返す、全員退避」


 ドック内に、緊張をはらんだアナウンスが響き渡る。

 厳重なシールドに守られた特殊コンテナが、ゆっくりと開かれていく。


 中に鎮座していたのは、あのバスケットボール大の紫色のキメラの魔石。

 まるで捕らえられた銀河のようにその内部で無数の光が渦を巻き、不吉な脈動を繰り返しながら自ら紫電を放っている。


「キメラ・コア、接続シークエンスに移行。マニピュレーター、誤差修正……0.003ミリ」


 巨大なアームが、赤子が宝石を扱うかのように、慎重に、しかし確実に魔石を掴み上げる。

 そして、ヴィシュヌの背部――新たに取り付けられた増設ユニットの中枢へと、ゆっくりと運んでいく。

 

 有機的なナノケーブルが、まるで神経網のように魔石に接続され、その表面を覆い尽くしていく。

 コンソールに表示されるエネルギー値が、指数関数的に跳ね上がっていく。


「エネルギー炉、再起動! コアとの同調を開始せよ!」


 管制室から、氷川の冷静な声が飛ぶ。

 その指示を受け、コンソールを操作していた律子が覚悟を決めてエンターキーを叩き込んだ。


 その瞬間、ヴィシュヌの全身を走る青いラインが激しく明滅し、白に近い輝きを放った。


 そして――。


 魔石からのエネルギーの奔流が、捕らわれた神話の獣が上げるかのような咆哮を上げた。

 

 凄まじいまでの紫色の魔力奔流が、ヴィシュヌの機体内部、そして表面を暴れ馬のように駆け巡る。

 制御しきれないエネルギーが紫色の雷となって外部へと迸り、抗魔力壁の壁面を叩いた。

 

 バチチッ! バチバチバチッ!

 

 ドック全体の照明が一斉に明滅し、火花を散らして計器が次々と沈黙していく。

 空間そのものが、解放されたエネルギーの圧力に悲鳴を上げていた。

 

 それは、神話級モンスターがその身に宿していた純粋な破壊の力の奔流。


 技術者たちが床に伏せ、頭を抱える中、律子だけが恍惚とした表情でモニターに映るエネルギーグラフを見つめていた。


「……なんて力……! なんて奔放な……! でも、いける! ヴィシュヌのフレームが耐えてる! 同調率、上昇中!」


 嵐が過ぎ去った後。

 ヴィシュヌの背中で、キメラの魔石は、まるで本来の収まるべき場所に収まったかのように、静かな脈動を取り戻していた。


 だが、その輝きは以前とは比較にならないほど力強く、禍々しかった。

 


 ---



 その日から、ヴィシュヌの変貌はまさしく日進月歩の勢いで進んだ。

 激しい戦闘で失われた左の副腕。


 その接続部には、以前の腕とは比較にならないほど複雑で、猛禽の鉤爪を思わせる巨大なアームユニットが取り付けられた。

 それは、キメラが誇った魔力防御能力をルナの持つ知識で兵器へと転用した多機能シールドアーム。


 装甲表面には、待機状態でも微細な魔法陣が幾何学模様を描いて明滅している。

 有事の際には、複数の装甲が花弁のように展開し、その中心から多重のヘキサゴン結界を投影。

 あらゆる物理・魔法攻撃を吸収、あるいは屈折させる絶対の盾となるのだ。


 そして、最も大きな変貌を遂げたのは、キメラの魔石が組み込まれた背部ユニットだった。


 まるで生物の肋骨のように湾曲した金属フレームが、コアを抱きかかえるように保護し、その左右からは異形の長砲身が天を突くように伸びている。

 

 キメラの魔力を収束し、亜光速で撃ち出す長距離殲滅兵器――「キメリック・キャノン」。


 その有機的で禍々しいフォルムは、怪物の骨格をそのまま移植したかのような威圧感を放っていた。


 機体の改修と並行して、翔もまた、己の限界を超えるための訓練に明け暮れていた。

 

 ルナが復元したシミュレーター――脳神経に直接情報を送り込む、フルダイブ型の没入装置。

 その中で、彼は来る日も来る日も、想定されるダンジョン深層のモンスターとの模擬戦を繰り返した。

 

 汗と疲労で意識が朦朧としても、彼は特訓に明け暮れていた。

 それは、ただ戦闘経験を体に叩き込むだけの作業ではなかった。

 

 ドックからリアルタイムで送られてくる、刻一刻と変貌していくヴィシュヌの最新データを自らの神経に同期させていく。

 新しく修復された左腕の重さ、より強力になった脚部アクチュエータの反動、キメリック・キャノンが要求する莫大な魔力の流れ。

 

 その全てを思考ではなく、本能のレベルで理解するために。

 

 強大すぎる力は、乗り手を選ぶ。

 乗りこなせなければ、それは自らを滅ぼすだけの凶器と化す。

 

 シミュレーションの合間、意識の片隅で、翔は何度も妹の姿を思い浮かべた。

 あの小さく、か細い手を、もう一度握るために。

 

 彼は、己の魂を、新たなる鋼鉄の化身(アヴァターラ)と一つに重ね合わせていった。



 ---

 


 そして、運命の日が訪れた。

 全ての改修と調整を終えた機体が、遂にその全貌を現す。

 

 万全のセキュリティ体制が敷かれたドックで、ゆっくりと、本当にゆっくりと巨大なゲートが開かれていく。


 その向こうから、地響きと共に、漆黒の巨人が姿を現した。


「ヴィシュヌ・アヴァターラ」


 管制室で、律子が、ルナが、氷川が、そして全ての技術者たちが、息を呑んでその名を呟いた。

 

 以前の、しなやかささえ感じさせた流線形のシルエットは影を潜め、全身を覆う追加装甲が、まるで要塞のような重厚さと威圧感を醸し出している。

 

 背中に鎮座するキメリック・キャノンは、まさしく堕天使の翼。

 左腕のシールドアームは、神の鉄槌。

 

 機体全身を走るラインは、以前の静かな青色から、キメラ・コアの魔力に染まった禍々しい紫色へと変貌し、まるで血管のように力強く脈動していた。

 

 それは、英雄の鎧であると同時に、怪物の力を宿した矛盾をはらんだ鋼鉄の化身。


 息を呑んで見守る仲間たちを前に、翔は静かに、最終調整が施されたコクピットへと歩を進める。

 

 ハッチが閉じられ、世界から音が消える。

 

 神経接続用のケーブルが首筋に繋がり、冷たいジェルが全身を包み込む。

 意識が機体と深く、深く沈み込んでいく。

 まるで、母の胎内へと帰るような、不思議な感覚。


(――行くぞ、ヴィシュヌ・アヴァターラ)


 心の中で、相棒に語りかける。

 全てを懸ける。

 この力で、必ず美咲を救い出す、と。

 

 その翔の覚悟に、機体が呼応した。


 ヴィシュヌ・アヴァターラの頭部に埋め込まれた複合センサーが、それまでの紫色の光ではなく、燃え盛るような朝日にも似た黄金の光を一斉に放った。

 

 それは、システムが起動しただけの光ではない。

 

 パイロットの魂の輝きに共鳴したかのような、力強く、そして温かい、生命の光。

 

 永い眠りから目覚めた化身は、主の覚悟を完全に受け入れ、その真の覚醒を果たした。

 深淵へと挑む、その時を、静かに待っていた。

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