第三十二話 アラクネが抱える闇①

 まるで、失われた古代技術の秘密を解き明かす呪文の応酬だった。


「――つまり、剣の持ち手内部に組み込まれた機構は、持ち主から供給された不安定な魔力を、切っ先で刃を形成するための安定した無属性の魔力へと変換している。私の世界では、これを『魔力コンバーター』と呼称していたわ」

 

「魔力コンバーター! やっぱり、そういう概念があったのね! 稼働する遺物に残された痕跡から、魔力そのものを別の形態へ変換する基幹部品……ブラックボックスの存在は示唆されてたけど……! ねぇルナさん、その変換効率は? 変換時にロスする魔力は熱量に置換されるの? それとも別の次元に霧散するの?」

 

「優れたコンバーターは、熱量変換を最小限に抑えるための冷却機構を内包している。このマナソードも……」


 ルナと律子が交わす言葉は、その一つ一つが翔の知らない世界の響きを持っていた。

 長年離れ離れになっていた研究者同士が、偶然再会を果たしたかのような熱量が、薄暗い店内を満たしている。

 時折飛び出る専門用語の奔流に、翔は完全に置いてけぼりだった。

 

 数時間前まで、妹の命を繋ぎ止めることだけを考えていた自分。

 そして今、目の前で未知の技術について目を輝かせながら語り合う、銀髪の恩人と快活な友人。


 その光景に不思議な疎外感を覚えつつも、心の底から楽しそうな律子とルナの横顔を見ていると、翔の口元は知らず知らずのうちに緩んでいた。


 友人が、自分の知らない世界でこれほど情熱を燃やせるものを語り合えていることが、素直に嬉しかった。


 しかし、このままでは本当に話が朝まで続いてしまいそうだ。

 

 翔はふと、熱気を帯びた二人から意識を逸らし、改めて店内を見渡した。

 

 壁一面に整然と並べられた工具は、どれも使い込まれ、主の手によく馴染んでいることが窺える。

 ガラスのショーケースの中には、ダンジョンからドロップしたであろう遺物や、整備されたであろう探索者の装備が整頓され、一つ一つに丁寧な説明書きが添えられていた。


 どの品も一級品であることは、素人の翔にも分かった。

 この店の主の確かな腕と知識、そして自身が扱う品々への深い愛情が、店内の隅々にまで満ちている。

 

 それなのに、だ。


 この店のドアベルが、自分たち以外の客の来店を告げたことがあっただろうか。

 以前から心の隅に引っかかっていた素朴な疑問が、むくりと頭をもたげる。

 盛り上がりの腰を折るのは少し気が引けたが、翔は意を決して口を開いた。


「なあ、律子。ちょっと水を差すようで悪いんだけど……」


 遠慮がちにかけた声は、意外なほどよく通った。

 二人の会話が、まるでスイッチを切られたかのようにぴたりと止まる。


 律子はぱちくりと大きな目を瞬かせ、興奮で上気していた頬の熱が、すっと引いていくのが見て取れた。

 

「どうしたの、翔ちゃん。改まって」

 

「いや、前から気になってたんだ。この店、こんなにすごい物を扱ってるのに、なんでいつも閑散としてるんだ? 何か、悪い噂でもあるのか?」


 何気ない問いだった。

 だが、その言葉が持つ力は、翔の想像をはるかに超えていた。

 

 律子の瞳から、先ほどまで宿っていた狂信的とも言えるほどの探究心の光が、蝋燭の火が吹き消されるように、ふっと消えた。


 代わりに宿ったのは、深い疲労と諦観がどろりと混じり合った、澱んだ影だった。

 

 彼女はカウンターに両肘をつき、細く長い、重々しい溜息を一つ吐く。

 店の奥で静かに回り続ける換気扇の低いモーター音だけが、耳障りなほど大きく響き、気まずい沈黙を埋めていた。


「……噂、ね。まあ、似たようなものかな」


 やがて、律子は自嘲気味に唇の端を歪めて笑った。

 それは翔の知る、太陽のような彼女の笑顔とは似ても似つかない、痛々しいものだった。

 彼女はぽつり、ぽつりと、この店が抱える苦境を語り始めた。


「一つは、まあ、先代からの気質。ウチのおじいちゃん、腕は本当にピカイチだったんだけど、見ての通りの筋金入りの職人気質でね。愛想笑いの一つもできないような、不器用な人だったから。お客さんを選ぶっていうか、お客さんに逃げられるっていうか……」


 彼女は店の奥、壁に飾られた一枚のセピア色の写真に、どこか懐かしむような、それでいて少し困ったような視線を向けた。

 そこには、油の染みた分厚い作業着を着て、気難しそうな顔でゴーグルを額に上げた老人の姿があった。


 その表情は頑固一徹そのものだったが、工具を握る指先の確かさや、実直そうな眼差しは、確かに目の前の友人に受け継がれている。

 

 翔も、その祖父に一度だけ会ったことがあった。

 以前、探索者を始める前に装備を探していた際、この店を訪れたことがあったのだ。

 彼は翔が持っていた剣を一瞥するなり、「そんな紛い物で遊んでいては、いざという時に何も守れんぞ」と、本気で説教を垂れたのだ。


「でも、それはまだマシな方。おじいちゃんは、分かる人だけが分かってくれればいいって、本気で思ってたから。……今、一番厄介なのは、分からない連中が、分かる人たちまで遠ざけようとすることよ」


 律子は言葉を切り、カウンターの下から一枚の光沢のあるチラシを取り出すと、翔の前に滑らせた。


 それは、国内最大手のダンジョン企業『明光めいこうエネルギー』が主催する、若手探索者向けの最新装備セミナーの案内だった。

 人気俳優が爽やかに微笑むその紙面は、この古物商の薄暗いカウンターの上では、あまりに場違いに見える。


「巨大な力を持つ『ダンジョン企業』からの、執拗な嫌がらせよ」


 その声には、抑えきれない怒りと、長い戦いで磨耗したかのような疲労が滲んでいた。


「私はさ、おじいちゃんの代からのやり方を変えたかったの。ダンジョンから得られる恩恵は、一部の金持ちや大企業だけが独占していいものじゃない。もっと多くの人に、平等に開かれるべきだと思った。だから、個人で地道に活動してる探索者さんや、ウチみたいな中小の工房にも安価で素材を供給できるように、独自の買取・流通ルートを確立しようとしたの」


 語るうちに、彼女の瞳に再び強い光が宿る。

 それは、先ほどの技術への探究心とは違う、理想に燃える改革者の、青い炎のような光だった。


「でも、それが市場を牛耳りたい大企業様の不興を買った。特に、最大手の『明光めいこう』にね」


 明光めいこうエネルギー。

 その名前を、翔はもちろん知っていた。


 ダンジョンに全く興味がない人間でさえ、テレビCMやネット広告で一度は目にしたことがあるはずだ。

 常にクリーンで先進的なイメージを振りまき、社会貢献活動にも熱心な、日本を代表する優良企業。

 その企業が、裏でこんな卑劣な真似をしているとは、にわかには信じがたかった。


「彼らは巧妙よ。あからさまな圧力なんて、時代遅れなことはしない。ただ、所属する大勢の探索者たちに、囁くだけ。『アラクネという店があるが、あそこの店主は我々の理念に反する活動をしている。できれば、取引は控えてほしい』ってね。ウチに素材を売ったり、ウチから装備を買ったりしたら、今後の査定に響くかもしれない、なんて匂わせるだけで十分。生活のかかっている探索者たちが、企業に忖度するのは当たり前よ」


 蜘蛛の子を散らすように、客足は途絶えていったのだという。

 律子の言葉は淡々としていたが、その裏にある悔しさは、痛いほどに伝わってきた。


「今じゃ、企業からの持ち込みは完全にゼロ。昔からのお付き合いがある、本当に気のいいお客さんからの、細々とした修理依頼だけで……何とか食いつないでるのが現状。笑っちゃうでしょ」


 語り終えた律子の横顔を、作業台の裸電球が照らし出していた。

 その光は、彼女の頬に落ちる影を一層深くし、悔しさと無力感に歪んでいるように見えた。

 

 友人が、たった一人で。

 こんなにも巨大で、見えにくい悪意と戦っていた。

 

 その事実に、翔の胸の奥から、どす黒い怒りが込み上げてくるのを感じた。

 そして同時に、猛烈な自己嫌悪に襲われた。


 自分は美咲のことばかりで頭がいっぱいで、友人がこんな苦境に立たされていることに、全く気づけなかったのだ。

 彼はカウンターの下で、自分の無力さを呪うように、強く、強く拳を握りしめていた。


 一連の話を、ルナは一言も発さずに聞いていた。

 翔が感情的に揺さぶられているのとは対照的に、彼女はただ静かに、そのサファイアの瞳で律子を見つめている。


 だが、その眼差しには、単なる同情の色はなかった。


 もっと深い、まるで目の前で起きている事象を、より大きな世界の構造の一部として分析し、その因果律を見通すかのような底知れない理知的な光が湛えられていた。

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