第十二話 深淵の目覚め②

 それから翔は自分が「探索者」であること、ここが「ダンジョン」と呼ばれるモンスターの巣窟であること、そして外の世界では五年前に突如このダンジョンが出現し、そこから採掘される「魔石」を新たなエネルギー源とする社会が築かれていることを、途切れ途切れに、そして簡潔に説明した。


 少女は「ダンジョン」「モンスター」といった言葉を静かに反芻する。

 そのサファイアの瞳には、恐怖よりも先に、純粋な知的好奇心が浮かんでいた。

 そして、「魔石」という言葉に、ひときわ強く反応した。


「マセキ……魔法の石? それは、高純度のマナ結晶体のことではないかしら? 私の世界ではマナ結晶体を体系的に利用していたわ」


 彼女の口から、こともなげに紡がれた「マナ結晶体」という言葉。

 どうやら彼女は、自分たちの文明よりも魔力を深く理解し利用していた世界の住人らしい。


 二人の間に、奇妙な沈黙が流れた。

 互いの素性を断片的に明かし、この異常な状況下で互いが唯一の対話可能な存在であることを認識する。


 広大なドームには、脱出への焦燥と未知への好奇心が入り混じった空気が漂っていた。

 先に口を開いたのは、少女だった。


「記憶を取り戻す手がかりを探すためにも、この施設を調査する必要があるわ。でも……」


 彼女はそこで言葉を切り、自分の体を見下ろした。

 食料も、水もない。

 体力も、長い眠りによって消耗しきっている。

 一人では何もできない、という厳然たる事実が、彼女の表情に影を落とした。


 翔もまた、自分の状況を理解していた。

 一刻も早く魔石や遺物を回収して、ダンジョンから脱出しなければならない。


 病床に伏す妹の顔が、脳裏をよぎる。


 妹を助けたい。


 その一心で、彼はこの死地というダンジョンで金を稼いできたのだ。

 妹の治療費と、自分の大学の学費。

 そのためには、稼がなければならない。


 彼は自分の切迫した状況を、隠すことなく正直に打ち明けた。


「俺は、ここから出たい。そして、金がいる。魔石に遺物、金になるものが必要なんだ」


 目的は違えど、「この場を生き延び、活動の足掛かりを得る」という点で、二人の利害は完全に一致した。


 しかし、翔の表情はすぐに暗い影に覆われる。

 協力するにしても、自分の無力さが足枷になることは目に見えていた。

 彼は自嘲気味に、吐き捨てるように言った。


「……だが、期待しないでくれ。俺は無属性だ。何の役にも立てない、『持たざる者』だからな」


 それは、彼がこれまで何度も投げつけられてきた言葉であり、自分自身に言い聞かせてきた呪いの言葉だった。

 その言葉に対し、少女は心底不思議そうに、こてんと首をかしげた。

 そして、彼女は翔の体をまるでレントゲンでも撮るかのように頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察し始める。

 その真剣な眼差しに、翔は居心地の悪さを感じる。


 やがて、彼女のサファイアの瞳が、驚きと、そして純粋な興奮で見開かれた。


「本当に無属性……? あなたの魔力適性が、本当に『無』属性だというの? もしそうだとしたら……奇跡よ!」


「は?」


 呆気に取られる翔に、彼女は専門家としての熱を帯びた早口な口調で続ける。


「理論上は存在するとされていたけれど、私たちの時代ではついに確認できなかった幻の適性なの! どんな色にも染まっていない、純粋なマナそのもの。……なんてこと。羨ましいわ」


 生まれて初めてだった。

 自分の特性を、真正面から肯定されたのは。

 それも、欠陥ではなく、最大級の賛辞と共に。


 翔は言葉を失った。

 無能の烙印。

 持たざる者という蔑み。

 長年、心を蝕んできた分厚いコンプレックスの壁に目の前の少女が放った言葉が一条の光となって突き刺さる。

 その光が、心の壁に小さな亀裂を入れた。


 翔が呆然としていると少女の方が不意に悪戯っぽく微笑んで切り出した。

 

「あなた、とか、君、っていうのも味気ないわね。それに、私もいつまでも名無しでは不便だわ。よければ、私に名前を付けてくれないかしら?」


「……え? 俺が?」


「ええ。あなたが私を目覚めさせたのだから、その権利があると思うの。名付け親になって」


 戸惑いながらも、翔は改めて彼女の姿を見つめた。

 月光を溶かして、そのまま束ねたかのような、美しい銀髪。この冷たく無機質な遺跡の中で、唯一、柔らかな光を放つ存在。ふと、一つの言葉が自然と口をついて出た。


「……ルナ」


 翔が、ぽつりとつぶやく。


「君の髪、月みたいだから。……記憶が戻るまで、そう名乗ったらどうだろう?」


 少女は一瞬きょとんとし、やがて自分の名前を確かめるように、小さく唇を動かした。


「ルナ……」


 その響きを慈しむように、彼女は微笑んだ。


「悪くない響きね。ええ、気に入ったわ。ありがとう。記憶が戻るまで、私はルナと名乗る。――それで、あなたの名前は?」


 ルナの真っ直ぐな視線に、翔は一瞬たじろいだが、腹を括ったように短く息を吐いた。今までの自分なら、どうせすぐ別れる相手に名乗る必要もないと、適当にごまかしていたかもしれない。だが、目の前の彼女は違う。そう直感が告げていた。


「翔だ」


「ショウ……。わかったわ、翔」


 ルナ、と名乗ることを決めた少女は改めて翔に向き直り、そのサファイアの瞳でまっすぐに彼を射抜いた。

 その眼差しは、先ほどまでの不安げな色を消し去り、未来を見据える強い意志の光を宿していた。


「翔。私は私の記憶を取り戻すために。あなたは妹さんを救いお金を稼ぐことに。互いの目的のため、契約しましょう」


 彼女は手を差し出さない。

 代わりに、二人の間には、言葉以上の、固い決意を秘めた視線が交わされた。


 こうして、ダンジョンの最深部で落ちこぼれの探索者・翔と、記憶を失ったメカニック・ルナという、奇妙な協力関係が成立した。


 持たざる者だった青年の運命は深淵で目覚めた神秘の少女との出会いによって、誰も予測できない方向へと音を立てて動き始めていた。








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