第十話:日常の再構築

 藤の花の香りが、邸内に柔らかく漂う日々。


 わたくしは、夫と共に、静かに日常を取り戻しておりました。


 朝の光が障子を透かし、広間に淡い影を落とす。その光景は、まるでこの屋敷の時間が再び穏やかに流れ出したことを告げているかのようでございます。


 針に通した怨念は、もはや形を失い、あの女の姿は目に見えぬほどに遠く、わたくしの生活に干渉しません。


 日常の些細な瞬間――湯気の立つ茶碗、夫の手のぬくもり、微かな笑み――そのすべてが、わたくしの胸を満たしておりました。


 お小夜の声が、ふと遠くで響くように思い出されます。



 ――「この術は、一度始めたら止められません……誓えますか、奥様?」



 あの時、確かに頷きました。


 けれど今は、夫と向かい合う暖かな日々の中に、わたくしの心はただ静かに落ち着いております。


 言葉の意味や重みを思い出すこともなく、ただ、日常の穏やかさに身を委ねているだけでございます。


 屋敷の庭では、藤の花房がゆらりと揺れ、かすかな風に香りを運んでまいります。


 その美しさに見惚れながら、わたくしはゆっくりと膝を伸ばし、紅茶を口に運びます。


 夫は新聞を広げ、時折こちらを見やり、微かな微笑を浮かべる。


 わたくしはその横顔を静かに眺め、過ぎた日々の苦悩が、まるで夢の中の出来事だったかのように遠く感じられるのです。


 復讐の儀式は完了し、日常は戻った――そう思える瞬間。



 しかし、胸の奥底には微かに、冷たい余韻のような感覚が残ります。


 それは、日常の暖かさと対照をなす、静かな影。思い出せばお小夜の言葉、触れれば少しざわめく記憶。


 けれど、日々の穏やかさに埋もれ、わたくしはそれに気づかぬふりをしているのです。


 屋敷の中は平穏。

 藤の花は香りを放ち、風は柔らかに吹き抜ける。


 それでも、夜の帳が降りるころ、わたくしの心に小さな震えが走ることもございます。



 それが何であるかは、今はまだわかりません。



 ただ、わたくしは、夫と共に過ごす日々の温もりの中で、今日も静かに暮らしております。


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### 次回予告


幸せそうだねぇ……復讐の残灰すら忘れた顔をしておいでだ。


だがねぇ――。


女というものは、奪われたものは倍で返してもらわずには終われぬ生き物さ。

愛も美しさも失った女に残された唯一の復讐は、奥方さまが何よりも慈しむものを狙うこと……。


人を呪わば穴二つ。


誰がその穴に落ちるのか、楽しみじゃないか。


祝いの声に重なるのは、呪詛の囁きでございますよ……。

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