第7話 黒羽さんは三日月真澄に会いたくて
その日は朝から雨だった。学校が終わってバイト先の喫茶店に赴いて仕事をはじめた黒羽だったが、雨のせいか全く客が入ってこない。清潔を保つためにテーブルを拭いて食器類を磨いて時間を潰す。客がいつきてもいいように料理の下準備は終えているが、誰も来る気配がない。黒羽にとってこの店は孤独な学校から逃れられる避難場所であり癒しの空間である。客が自分の淹れたコーヒーを飲んで料理をおいしいと食べて喜んでくれることが彼女にとって何よりの幸せだった。今日は雨だから客足が遠のくのはわかる。
けれど、ひとりも来ないのはやはり寂しい。学校での自分の状態が再現されたようで、黒羽はため息をひとつ吐いた。自然と一筋の涙がこぼれる。
外は黒雲に覆われザアザアと激しい雨が降っているせいか、店内は電気をつけていてもやや暗い。
「……三日月真澄(みかづきますみ)さん……」
呟かれたのは最近常連になった客の名前だ。
ショートヘアが特徴的な爽やかな美形の少女で店を気に入ったのか毎日のように足を運んでくれる。
彼女はくつろぎを求めているらしく客が誰もいないときに来るのが好きだ。
料理を食べながらふたりで何気ない会話をする。
同じ高校一年生なので話す話題はつきない。
ぽつりぽつりと間を置きながら話す黒羽と快活な真澄は真逆だが、それ故に波長があう。
通っている高校も違う常連の女の子。
それ以上でも以下でもない関係のはずなのに、黒羽は真澄が気になっていた。
真澄も人間でありもちろん来店しないこともある。特に彼女は黒羽が空いている日にちを教えてからピンポイントで来店するようになっていた。毎日は来ない。それは重々承知のはずだが、ひとりきりになると無性に話したくなってしまう。
彼女の笑顔が見たい。声が聞きたい。
真澄は初めて黒羽の名前を呼んでくれた特別な人だった。
『黒羽さん』と苗字だけではあるけれど、人として名前で呼んでくれたのが嬉しかった。
クラスメイトも同級生も黒羽のことを名前で呼ばない。
誰もが彼女のことを愛称で呼ぶ。否、愛称ではない。
影でひどいあだ名をつけられ呼ばれていることを黒羽は知っていた。
もう何度ため息を吐きだしただろう。夜は暗くなっている。誰も来ないので店を閉めようかと思ったとき、黒雲が割れて綺麗な月と星空が顔を覗かせ、店の扉が開いた。
「黒羽さん!」
声に驚いた黒羽が顔を上げると真澄がいた。よほど急いできたのか両膝に手をあてて息を切らせている。大雨のせいで彼女の髪や衣服はびっしょりと濡れてポタポタと雫が床に小さな水たまりを作っていた。
「……三日月さん……!」
祈りが通じたのかはわからないが真澄が来てくれた。大雨で濡れることも厭わずに。
黒羽は慌てて彼女の身体をタオルで拭いて温かいコーンスープを差し出した。
それをゆっくり飲んでから真澄が言った。
「家に食べるものがなくて、来ちゃった。開いていて本当によかったよ。この雨だから閉っていたらどうしようかと思ったけど……注文、まだ間に合う?」
真澄の問いに黒羽は何度も頷いて言った。
「……はい……! ご注文は何になさいますか……?」
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