第17話

 委員会が終わって放課後、灼と一緒に歩いて帰る。


 駅までしか一緒にいれないから、遠回りをして時間をかける。


 バイトがない日の楽しみでもある。


 バイトがあると急がないといけないから一緒に帰れないけど、無い日はのんびり出来る。

 委員会の分、いつもより少し赤みがかった景色だったけど、これも秋の入り口を感じさせる。


 私はこうやって景色を視界に抱いて歩きながら、灼と取り止めのない話をして帰る時間が好きだった。


 灼は……どうかな。


「だからあのお話は……って、どうしたの?」

「灼はさ……楽しいかな。私といるの」

「っ?」


 正直なところ委員会で感じた引っかかりは消えてなかった。


 結局私たちの関係性は友達で決着がついてしまうのではないか。

 そんな不安が、あの男子の先輩の言葉を聞いてから、いやプロポーズの時から多かれ少なかれ心の奥でずっと渦巻いてる。

 私は灼とずっと一緒にいたい。


 それは恋人として、永遠を誓うものなんだ。


「何度か同じようなことを聞かれた気がするけど……なんでそんなこと思うの? 楽しくなさそうに見えるかな。私」

「いや、そうじゃなくてさ……」


 喉の奥で言葉を詰まらせると、もはやいつものように私の心の中を察した灼は言葉を誘導する呼び水を投げかけた。


「不安なの?」

「……うん」

 


 繋いだ手の指を滑らせて、灼の感触を確かめながら恐る恐る口にした。


 そんな言葉にも灼は表情を変えない。

 無表情でも笑顔でもない、ただ真剣に眼差しに力を込めている。


 そんな彼女に私は語りかける。


「あのさ、私に付き合わせてないかなって。私はずっと一緒にいたいんだよ。灼と、一生」

「うん。私もだよ」


「それ、本当なの? 私はさ、いつも直感でなんとなくで行動しちゃうから、いろいろとなんか……薄い気がしてさ」


 なんとなく、そう思う。


 選択肢が出たら問題文を見ずに正解が分かっちゃうことがあるようになんとなく。


 それが灼との関係のきっかけだから不安だった。


 根拠がないから、灼との関係を濃く出来ない気がした。


 灼は灼で色々と私の気持ちに寄り添ってくれているけど、それはあくまで寄り添い。


 私の直感と灼の行動がピッタリとリンクしたことはない。


 自然と2人で行きたい場所が重なるとか、何もしなくても自然と出会うとか、そういう意思を挟まない2人のシンクロはあってもいいと思う。


 けど……あんまりない。


 選択授業は結婚する前だからノーカン。

 あれは偶然の域を出ない。


 あの直感は私の思い込みじゃないか。

 そうやって、何かが囁いている気がしてならない。


 現に運命が2人を繋いでるって証明は今のところ特に出来てない。


 それが私を不安にする。


「灼は私に寄り添って、受け入れてくれてる」

「うん。聖が一緒にいてほしいなら、私はいるよ」


 その言葉が、また心の奥の黒い泥みたいな不安を撹拌する。

 彼女は寄り添って受け入れて、それっぽくしてくれているだけなんじゃないか。


 私は運命の赤い糸を灼の前でチラつかせて、ただ掴ませただけなのかも。


 灼のこちらを心配するような視線が、私を探っているように見えてしまう。

 それに合わせて、返答しようとしてるんじゃないか。


 私は灼といれて幸せだけれど、これは運命なんだろうか。


 灼は運命の人を装ってくれてるんじゃないか。


 そうだったら、ただ灼に申し訳ない。


 灼には幸せになってほしい。


 好きだから……好きになってしまったからこそ、その相手には心から笑って、最高の人生だったと言ってから最愛の人に看取られるような生涯であってほしい。


 私の根拠の分からない直感でそれを邪魔したくない。


 手を伸ばしても届かない、私たちの繋がりを隔てるような透明な網がそこにあるように見える。


 手を伸ばしても、その網に絡め取られて灼には届かない気がしてくる。


 なのにそばにいてくれている灼は、それでいいのだろうか。


 彼女の選んだこともかもしれない。

 けど、それは私が選ばせたのかもしれない。


 気持ちが逸って仕方ない。


「灼は私とさ……」


 私と運命を感じてくれた? とは聞いてはダメだ。

 そうでなくても彼女は肯定してしまう。


 とにかく、何か思うこと……!

 ええっと……!


「灼は私と……キス、出来る?」


 直感のままに私は口を開くと、自分でもびっくりする言葉が飛び出した。

 なぜか灼よりも先に私が驚いて視線に力がこもった。


 目が渇きそうになる。


「あっ……えっ! 私っ!」


 そして灼も遅れて反応する。


 彼女の両目が大きく開く。


「なんで聖が驚いてるの……?」

「いや、思いつきで喋っちゃって……」


「そう、うん。キスか……」


 灼は私から視線を外してきょろきょろと視線を泳がせたかと思えば、また私を見直す。


「うん、少し人がいるけど……する?」

「えっ?」


 灼の言葉にギョッとして身体が跳ねた。


 マジで……?


 いいのかな。なんて気持ちもあるけれど、ただ淡々と私の言葉を受け入れる灼が恐ろしく見える。


 少し、本気にしてキスをしてしまおうか……。


 そう……考えたけど……。


「いや、やっぱいい。今じゃない」


 私からは出来なくて、断った。


「そう。したくなったら言ってね。少し驚いたけど気持ちは出来たし、聖ならいいよ」


 そうだよね。したいよね。と自分に言い聞かせるように灼は小さく続けた。


 それがまた少し胸をざわつかせる。


「なんで……? なんでいいの……?」

「なんでって……夫婦だから? かな?」


 2回ほど語尾を持ち上げて灼は言った。


 ……なにそれ。


 反射で口にしそうになったのを慌てて堪えた。


 その一方で灼はいつも通り曇りのない顔で顎に手を当てて考えていた。

 けど、今回はそれで出した結論にどうにも納得いかなかった。


 ……灼は冷静すぎる。


 私がこれだけ心を揺らしているのに、灼はなんでこんなスンとしてられるんだろう。


 キスなんて……重い行為なのに。


 恋人と夫婦ってもう段階は少し違えども、結局私たちは一緒になって何年も経つわけじゃないのに、なんで割り切れるんだろう。


 前にくれた灼のいろんな言葉が思い起こされる。


 周りからの見え方は関係ないって言ってたけど、灼からは夫婦って……そう見えてるって信じていいんだよね。


 状況とか、2人いることに対するものじゃなく、関係とか、感情に対して言葉を投げてくれてるんだよね。


 ただそう思っても、何か見落としをしている気がした。


「どうしたの?」


 灼はまたこちらを見上げるように顔を覗き込んだ。

 その距離感に驚いて少し後ろに下がると、不思議そうに見つめた。


 そんな灼に私の心の奥にある不安が一気に吹き出した。


 色々と聞いて、灼の人間像を補強したい。

 安心したい。


 灼はキスしたことあるの?


 だからそんな落ち着いてるの?


 そう聞いてみたかった。


 ただ……うんと言われたらどうしようかな。


 それで心がブレそうで、口が上手く動かない。


「あぁ、そうか」


 まただ。灼は心を読むように私を見つめてくる。

 この視線。


 眼鏡越しに私を見透かしている。


 やっぱり私の考えてることがバレてる……。


「もしかして、キスしたことない?」


 少しの間、視線を動かすことができなかった。

 眼鏡をスコープのようにして、撃ち抜かれたような気分だった。


「えっと……えっ?」

「あっいや……なんか緊張してるし。でも聖は彼氏たくさんいたし流石にないか」


 私はハハっと愛想笑いをすることしかできなかった。

 

 ……ただ灼を見て、なんとなく分かったかもしれない。


 彼女は願って私との夫婦関係を選んだ。

 私が選ばせたわけじゃないみたい。


 そこには少し安心するけど、ただ選んだのは私というより……。


 確信にしたくなくて、心の中ですら言葉を飲み込んだ。


 この子は常に私の感情を観察してる。

 それは多分、一緒にいるため。


 けど、きっとそれはもっと淡白なものだ。

 極端な受け身も、私に寄り添うその優しさも、ただ私のそばにいるためだ。


 正直、それ自体にどんな目的があるのかは分からない。


 けどそれが彼女にとって必要なものなのかもしれないから、まとわりつく感情を全て飲み込んだ。


 熱い鉄の玉を飲み込むみたいに苦しいけど、飲み込んだ。


「灼は……いっつも落ち着いてるね」

「そうかな……意外とドキドキしてる……かも?」


 なんでそこで含みを持たせるんだろう。

 私がこれだけドキドキして好きなのに、その感情に対する反射が見えない。


 今まで何人もの男子と付き合ってきたから分かる。

 あぁこの人は私のことが好きなんだという仕草や視線がある。


 近づけば緊張で顔を強張らせたり、視線を合わせることに躊躇したり。


 けれど、灼にはそれが見えない。


 好きって気持ちに対して応えるのは言葉だけ、こちらに見せるように笑うだけ。

 それが今まで抱いていた不安の正体かもしれない。


 灼は言葉が上手い、それでいろんな言い回しで私に好意を向けてくれている。

 でもその理屈付けの上手さが私の中によくないフィルタをくっつける。


 灼が私のことを運命と感じていない。そこまで好きじゃないかもしれない。


 それがなんとなく輪郭を持ち始めてる。


「なんでもないよ。行こ、灼」

「うん、聖」


 私が手を繋ぐと灼が握り返す。

 灼の手は冷たくなくて温かかった。


 血管からも灼のドキドキが伝わってくる。

 それが伝わるだけで凄い嬉しい。


 これは愛なんだと思う……。

 ちゃんとここに、灼の愛がある。


 きっとこれが、灼の感情や気持ちの答えなんだ。


 ただそれでも……私は考えてしまう。

 灼はきっと私が抱きしめても、それに寄り添って抱きしめ返すだけ。

 私より強い力で、私を求めてくれないんじゃないかって。


 手のひらに心があれば、灼の気持ちが分かるのに。


 そう思いながら少しだけチグハグなやり取りを私たちは続けて、遠回りをしながら駅を目指す。


 視界の赤みがかった景色はいつの間にか暗くなっていて、日が落ちる時間がグッと早まってることに私は気付いた。

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