第40話 プロジェクト・リフト、始動

その週末。

B級ダンジョン【古竜こりゅう寝床ねどこ】の入り口に佇む、黒いオベリスクの前。

そこに、四人と一匹の、奇妙な一団の姿があった。

健司のインベントリには、輝がマーケットで巧みに買い付けた、100個の【試練しれん要石かなめいし】が、重々しく鎮座している。彼の1000万円の、夢と希望(そして胃痛の種)の結晶だった。


「よし、始めるぞ」

健司の声は、どこまでもビジネスライクだった。

「目標は、ランク30のクリア。そして、投資額1000万円の回収だ。それ以外のことは、考えるな」

その、あまりにも夢のない号令。

それに、三人の少女たちは、元気いっぱいの声で応えた。

「「「はーい!」」」


そこから、彼らの奇妙な、そしてどこまでも効率的な「作業」が始まった。

彼らは、ランク2から一つずつ、リフトの階層を駆け上がっていく。

それは、もはや冒険ではなかった。

ただの、工場でのライン作業だった。


健司が、オベリスクに要石かなめいしを捧げ、ポータルを開く。

ダンジョンに突入した瞬間、陽奈が懐から取り出した、ストロベリー味のアイスを一口食べる。

輝と健司が、陽奈の攻撃力100%バフが乗った、圧倒的な火力で道中の雑魚を蹂躙する。

りんごが、後方で欠伸をしながら、ボスを瞬殺する。

そして、次の要石かなめいしを、オベリスクに捧げる。

その、あまりにも単調で、しかしどこまでも効率的なループ。


健司のARウィンドウには、彼が個人的に作成したスプレッドシートが表示されていた。

『プロジェクト・リフト収支報告書』。

【支出】の欄には、赤字で「-10,000,000円」と、禍々しい数字が輝いている。

そして、【収入】の欄には、リフトをクリアする度にドロップする魔石や低級エッセンスの市場価格が、リアルタイムで加算されていく。

ランク10をクリアした時点で、収入はわずか120万円。

ランク20をクリアしても、まだ300万円にも満たない。

(…ヤバいな。このままじゃ、大赤字だ…)

彼の、中間管理職としての魂が、そのあまりにも低い投資回収率(ROI)に、静かな悲鳴を上げていた。


彼らは、このプロジェクトが始まって以来、初めての「危機」に直面していた。

いや、健司だけが、そう思っていた。

少女たちは、そんな彼の内心の葛藤など知る由もなく、ただただ、この新しい遊びを楽しんでいた。

ランク21のリフト。

そこで、彼らは初めて、この世界の、本当の「悪意」の一端に触れた。

「うわっ!」

輝の、その驚愕の声。

リフトの内部は、禍々しい紫色の瘴気に包まれ、地面からは絶え間なく毒の沼が湧き出している。

だが、健司の心に、焦りの色はない。

「陽奈、回復魔法を準備。輝、フラスコを惜しむな。りんご、さっさと当たりを引け。俺が、前に出る」

彼は、そのあまりにも的確な指示を、矢継ぎ早に飛ばした。

そして彼は、その圧倒的な耐久力で、全ての攻撃をその身に受け止め、そしてその戦線を、決して崩壊させなかった。

危機は、なかった。

ただ、少しだけ、面倒くさい作業が増えただけだった。


そして、彼らが購入した100個の要石かなめいしの、その29個目を使い、ランク30のリフトをクリアした、その時だった。

戦いは、熾烈を極めた。

ランク30のリフトガーディアンは、B級上位に匹敵するほどの、圧倒的な耐久力と火力を誇っていた。

だが、彼らの、その完璧に最適化された連携の前では、ただの的でしかなかった。

りんごの【超・火炎球】が炸裂し、ボスが断末魔の悲鳴を上げる間もなく、その存在ごと、この世界から完全に消滅した。

後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてこれまでのどのリフトよりも、ひときわ強い輝きを放つ、ドロップ品の山だけだった。


「…ふぅ。終わったな」

健司は、安堵の息を吐いた。

そして、そのドロップ品の山の中に、一つの、あまりにも異質な輝きがあることに、気づいた。

それは、紫色の魔石の光ではない。青白いエッセンスの光でもない。

まるで、不死鳥の涙そのものを、そのまま結晶化させたかのような、どこまでも美しく、そしてどこまでも気高い、黄金色の輝き。

伝説の宝石(レジェンダリージェム)。


「――出た!」

輝が、この日一番の、歓喜の絶叫を上げた。

「やったー!レジェンダリージェムだ!」

「これ、マーケットに出せば、最低でも1000万円だよ!」

その、あまりにも暴力的な数字。

それに、テンションが上がる4人。

だが、その奇跡は、まだ終わりではなかった。

輝が、その宝石を拾い上げようと、その手を伸ばした、その瞬間。

彼女のユニークスキル、【幸運は二度ベルを鳴らす】が、まばゆい光と共に、発動したのだ。

一つの、黄金の輝きが、ふわりと、二つに分かれた。

複製されたので、2個になった。


「……………」

静寂。

そして、爆発。

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!」」」


その、あまりにも劇的な、そしてどこまでもご都合主義的な、奇跡。



彼らは、その場で、緊急の家族会議(という名の、戦利品の山分け会議)を開いた。

「ねえ、健司さん、装備しなよ!」

輝が、その宝石の一つを、健司へと差し出した。

「あんたが、うちのギルドの壁なんだから!あんたが一番強くなるのが、一番効率的でしょ!」

その、あまりにも的確な、そしてどこまでも合理的な提案。

それに、健司は、もはや反論することはできなかった。


「……じゃあ、悪いが、使わせてもらう」


彼が、その宝石…【不死鳥ふしちょうなみだ】を、自らの首輪へと、はめ込んだ、その瞬間。

彼の全身を、これまでにないほどの、温かく、そして力強い生命の奔流が、包み込んだ。

彼のHPバーの横に、新たに『毎秒HP自動回復+10』という、神の祝福が刻まれた。


「そして、残り一個は、売ろう」

輝が、そのビジネスマンの顔で、言った。

「これで、今回のプロジェクトの初期投資1000万円は、完全に回収。それどころか、純利益だ」

その言葉に、健司は、心の底から、安堵の息を吐いた。

これで、とりあえず黒字だ。

彼の、中間管理職としての、その小さな、しかし確かなプライドが、守られた瞬間だった。


そして、その日の冒険の、最後に。

彼らの全身を、これまでにないほど強く、そして荘厳な黄金の光が、包み込んだ。

ランク30までの、過酷な、しかしどこまでも効率的な周回。

その莫大な経験値が、彼らの魂と肉体を、一気に次のステージへと引き上げたのだ。


【LEVEL UP!】


祝福のウィンドウが、彼らの視界に、乱舞する。

レベルは、38まで上がった。




不死鳥ふしちょうなみだ (Phoenix's Tear)


効果: 毎秒のHP自動回復量が 10 増加する。(ランクごとに+9.9 / ランク100で1000)


ランク25ボーナス: 4秒間ダメージを受けなかった場合、最大ライフの200%にあたるダメージを吸収するシールドを得る。


フレバーテキスト:

これを、鋼鉄こうてつの盾と見紛みまがうな。はがねは砕ける。

これを、いしの壁と見紛みまがうな。いしは崩れる。


これは、炎そのものが交わした約束。


いかに傷が深くとも、いかに灰に近づこうとも、

その肉は絶えず癒え、心臓は鼓動を止めず、

生命の炎は、その一粒の涙によって、何度でも蘇る。

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