第16話 氷の乱舞と、確率の魔女

土曜日の昼下がり。

西新宿の空は、久しぶりに雲一つない、突き抜けるような青空が広がっていた。だが、その晴れやかな空とは裏腹に、D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】の内部は、ひんやりとした石と、乾いた土の匂いに満ちた、永遠の夜に包まれていた。

佐藤健司(35)は、その薄暗い石の回廊を、慎重に、しかし手慣れた足取りで進んでいた。

彼の心は、もはやF級ダンジョンを彷徨っていた頃のような、不安と手探りの感覚にはない。課長として、そしてこの奇妙なパーティのリーダーとしての、確かな、そしてどこまでも面倒くさい「責任感」だけが、そこにはあった。


「――陽奈、次の広間、骸骨兵が密集している。セオリー通り、入り口で一体ずつ釣るぞ」

「はい、健司さん!」

彼の、システム管理課の課長として長年培ってきた的確な指示。それに、パーティメンバーである天野陽奈(16)が、元気いっぱいの声で応える。

その隣では、もう一人のパーティメンバー、星野輝(17)が、つまらなそうに欠伸を噛み殺していた。

「ちぇー。また地味な作業かよ。あたしが突っ込んで、一気に片付けちゃダメなの?」

「ダメです」

佐藤は、きっぱりと言い切った。

「我々の目的は、派手な戦闘をすることではありません。最小限のリスクで、最大限のリターンを得ること。つまり、安全かつ効率的に、今日のノルマである魔石5万円分を稼ぎ出すことです。いいですね、星野さん」

「…へーいへい。分かってますよーだ」

輝は、不満そうに唇を尖らせた。

この、あまりにも対照的な二人の少女。そして、その間で常に板挟みになり、胃を痛める中年。

それが、このパーティの日常となりつつあった。


彼らが、広大な墓室へと足を踏み入れた、その瞬間。

カタガタゴトと、おびただしい数の骸骨兵が、地面からその呪われた体を起こした。

その数、二十以上。

だが、今の佐藤の心に、焦りの色はない。

なぜなら、彼の隣には、この一週間で、見違えるほどの成長を遂げた、頼もしい「切り札」がいたからだ。


「陽奈」

「はい!」

「――始めろ」

その、短い、しかし絶対的な信頼に満ちた命令。

それに、陽奈は深く、そして力強く頷いた。

彼女は、その手に握られた、アメ横で買い揃えたばかりの、少しだけ魔力を帯びた白樺のワンドを、静かに構えた。

そして、彼女の背後に控えるフロンティア君が、嬉しそうに解説を始めた。

「いくッピよ!陽奈の、新しい力だッピ!」


陽奈の、その小さな唇から、静かな、しかしどこまでも透き通った詠唱が、漏れ出した。

彼女の足元に、青白い魔法陣が広がる。

そして、その魔法陣から、五つの、まるで生き物のように蠢く氷の矢が、その姿を現した。

スキル【フロストボルト】。

だが、その光景は、教科書に載っているものとは、明らかに異なっていた。

斉射(大)サポートの効果によって、彼女の左右の空間から、さらに四つずつ、合計八つの氷の矢が、追加で生成されていたのだ。

合計、十三本の、死の氷柱。

そして、その全てが、投射物低速化サポートの効果によって、まるで時が止まったかのように、ゆっくりと、しかし確実に、前方の骸骨の軍勢へと、その切っ先を向けていた。


「――いっけえええええええええ!」

陽奈の、可愛らしい、しかしどこまでも力強い叫び。

それに呼応するかのように、十三本の氷の矢が、一斉に放たれた。

それは、もはやただの魔法ではない。

一つの、完成された芸術だった。

ゆっくりと、しかし決して止まることのない氷の津波が、骸骨の軍勢を飲み込んでいく。

投射物は、一体の骸骨兵を貫通し、その勢いを衰えさせることなく、その後ろにいる二体目、三体目へと、その冷気を伝播させていく。

ガキン、という硬い骨の音と共に、骸骨兵たちの動きが、ぴたりと止まる。

凍結。

その、あまりにも美しく、そしてどこまでも無慈悲な光景。

それに、輝はただ呆然と、その口を半開きにしながら、見つめていた。

「…うそ」

彼女の口から、感嘆のため息が漏れた。

「無双じゃん…。新しく、買ったの?」


「はい!」

陽奈は、自分のことのように嬉しそうに、そしてどこか誇らしげに、頷いた。

「健司さんが、雷帝ファンドのお金で、新しいスキルジェムを買ってくれたんです!まだ出来る事はありますが、とりあえずこれで無双出来ますね!」

彼女は、そう言うと、少しだけ専門家のような顔で、続けた。

「【フロストボルト】は、敵を貫通するから、敵が密集していればいるほど、効果は絶大なんです。それに、凍結するので、弾速が遅いのは、あまり問題になりませんし」


その、あまりにも的確な、そしてどこまでもクレバーな解説。

それに、輝はただ舌を巻くしかなかった。

そして、その彼女たちの会話に、ピンク色のタコが割り込んできた。

「そうだッピ!」

フロンティア君は、得意げに言った。

「この構成は、いずれMPを大量に確保し、そのMPを火力へと変換する、MPスタック型ビルドへの布石だッピ!陽奈の最終目標は、無限のMPで、無限の氷の矢を放ち続ける、絶対的な『氷の女王』になることなんだッピ!」

「そうです!さすがですね、フロンティア君!」

陽奈が、そのあまりにも壮大な未来予測に、目を輝かせる。


その、あまりにも専門的で、そしてどこまでも楽しそうな三人(?)の会話。

その、和やかな空気。

それが、唐突に、一つの甲高い怒鳴り声によって、断ち切られた。

前方の一つの、ひときわ巨大な霊廟。

そこから、若い男女の、激しい口論の声が聞こえてくる。


「――だから、ふざけんじゃねえって言ってんだよ、りんご!」

甲高い、リーダー格であろう少年の声が、高い天井に反響する。

「お前のそのクソスキルに、俺たちの命を付き合わせるのは、もうごめんだ!」

「えー、でも楽しいじゃない?」

どこまでもマイペースな、少女の声。

「楽しくない!俺たちは、帰る!」


「…おいおい、またかよ」

佐藤は、思わず呟いた。

「いやな予感しかしないぞ?呪われてるだろ、このユニークスキル」

彼の、そのあまりにも的確な自己分析。

それに、陽奈と輝は、ただ顔を見合わせるだけだった。


彼らが、恐る恐るその霊廟を覗き込むと、そこには案の定、地獄が広がっていた。

一体の巨大な骸骨の騎士と、その周りで右往左往する四人の学生パーティ。

そして、その中心で、一人のピンク色の魔女…兎月りんごが、狂ったようにそのワンドを振り回していた。

彼女がスキルを発動するたびに、ランダムな奇跡が起こる。

ある時は、骸骨の騎士の頭上に巨大な火球が現れ、その骨の鎧を黒焦げにし。

またある時は、パーティメンバーの傷が、一瞬で癒えていく。

だが、次の瞬間には。

「あ、ハズレだ」

彼女の足元に、ぽんと一輪のタンポポが咲いた。

そのあまりにもシュールな光景。


「――りんご!お前のクソスキルに振り回されるのは、うんざりだ!お前を、このパーティから追放する!」

リーダー格の少年が、そう宣言すると、ポータルでダンジョンの外に逃げる。

残されたパーティメンバー達もまた、我先にと、その後を追っていった。

後に残されたのは、一体の怒り狂う骸骨の騎士と、そしてその状況ですら楽しんでいるかのような、一人の狂った魔女だけだった。


「えー、面白いのに」

彼女は、そう言ってぺろりと舌を出した。

そして、こちらを発見して、こう言った。

彼女は、健司たちの存在に気づくと、最高の笑顔で手を振った。

「そこの、冴えないオジサンと、可愛い女の子たち!ちょっと、手伝ってくれないかしら?見ての通り、パーティから追放されたのよ。仲間に入れてくれない?」


その、あまりにもマイペースな、そしてどこまでも無茶苦茶な依頼。

それに、佐藤健司は、思わずため息を吐く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る